教祖のない宗教
この会は昭和10年4月に設立された浄土宗の僧侶有志による会です。
その会員誌として月刊『浄土』を発行しています。
この月刊『浄土』が1000号になった記念の行事でありました。
法然上人が善導大師の著作に啓発され、新たに浄土宗を開かれてより、令和六年で八百五十年を迎えています。
平成二十三年には、法然上人の八百年大遠忌が盛大に行われています。
開祖様に対する尊崇の思いはとても深いものであります。
先日の対談では、平岡聡先生が司会をなされていました。
平岡先生は、仏教に原理主義はないと言われ、「ブッダ」という言葉も本来は普通名詞だったと指摘されました。
それがお釈迦様という特別な方を表す固有名詞となっていったのだというのです。
鎌倉仏教は教祖主義の傾向が強いというのです。
これはたしかにその一面はあろうかと思います。
浄土宗は法然上人が開創されました。
法然上人の浄土宗であります。
浄土真宗は親鸞聖人が開かれました。
どちらも宗祖を大事にしています。
平成二十四年に親鸞聖人の七百五十回忌の大遠忌がなされています。
それから日蓮宗はその名の通り日蓮大聖人でいらっしゃいます。
時宗は一遍聖人です。
禅宗はというと、臨済宗は栄西禅師、曹洞宗は道元禅師です。
このどちらも、浄土宗や浄土真宗、日蓮宗、時宗などのように、栄西禅師や道元禅師が開創したものではありません。
臨済宗も曹洞宗も中国にあった教えを日本に伝えられたのです。
栄西禅師も道元禅師も一宗の開祖ではないのであります。
曹洞宗では、道元禅師を高祖、瑩山禅師を太祖としています。
『広辞苑』には「曹洞宗」について、
「禅宗の一派。
中国で洞山良价と弟子の曹山本寂によって開かれ、日本では、道元が入宋して如浄からこれを伝え受けた。」と解説されています。
臨済宗の場合は、文字通り臨済禅師を祖としています。
ただし、ただいまの日本の曹洞宗は、道元禅師は開祖のようになっていると言えるかと存じます。
中国の洞山禅師の教えを学ぶことも大事にされているとは思いますが、なんといっても道元禅師の教えを学ぶ教団となっていると言えようかと思います。
それに比べると、臨済宗は栄西禅師の教えを学ぶ教団かというと、そうでもありません。
もっとも栄西禅師は、日本に初めて臨済宗を伝えて根付かせてくださった大事な祖師であります。
『興禅護国論』を著されて、建仁寺を開山されています。
只今も臨済宗は十四の派に分かれています。
それぞれの祖師が独自に臨済の禅を伝えているのです。
日本の方で中国に渡って禅を学んで伝えた方もあれば、建長寺や円覚寺のように、中国のお坊さんが日本に見えて禅を伝えた場合もあります。
それぞれの本山ではそれぞれの開山様を大事にしています。
平岡先生は浄土宗の僧侶でもありますので、あまりに教祖主義に偏るのは問題ではないかと仰るのですが、こちらから拝見すると尊いお姿に見えます。
もっとも臨済宗の場合は、宗祖の臨済禅師を特別に尊崇するかというと、これもまた問題であります。
「仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺す」という言葉が『臨済録』にあるほどです。
祖師や師家といっても「見、師に過ぎてまさに伝授するに堪えたり」というように、その師を乗り越えていってこそ教えを受け継ぐに足ると言っているのです。
師は重要ですが、その師に依存するのではなく、師を超えることを大事に説いています。
臨済禅師の言葉を集めた『臨済録』にしても、決してこれを聖典の如くに崇めよというのではありません。
小川隆先生が『臨済録のことば 禅の語録を読む』(講談社学術文庫)に、『臨済録』に登場する普化という謎の禅僧のことに触れています。
『臨済録』には普化という和尚が、臨済禅師を補佐すると説かれているのですが、小川先生は「『臨済録』に記される、普化の前での臨済は、頼るものも憚る所ももたぬ、あの激烈な強者としての臨済ではない。
普化の捉えどころの無さに翻弄され、なすすべを知らぬまま、それを遠くから見ているほか無い臨済、それが『臨済録』の記す普化と臨済の姿である。
それのどこが「佐輔」であり「佐贊」であつたのか。
だが、少なくとも結果からいえば、臨済のそうした姿を書き留めることで、『臨済録』という書物が教条的な独善と硬直から免れ得ていることは間違いない。
臨済の威厳を嘲笑し、臨済の権威を相対化すること、それこそが普化の「佐輔」であり「佐贊」だつたのではあるまいか。」というのです。
臨済禅師を絶対視しなようにすることをその『臨済録』でも意図されているのです。
そこで小川先生はよく禅は「教祖と聖典のない宗教だ」と説かれるのであります。
いい意味で自由で大らかな教えであるとも言えます。
横田南嶺