坂村真民記念館
いつもは何かの行事で行くのですが、今回は特別の行事もありません。
それでもどうしても行っておかねばと思ってうかがいました。
坂村真民記念館の西澤孝一館長が、この三月いっぱいで館長をおやめになると聞いたからでした。
昨年の三月八日に記念館で、開館十三周年で講演をさせていただきました。
それ以来であります。
その昨年の折にも記念館の今後のありようについていろいろとお話をうかがいました。
何か出来ることはないかと思いつつ、月日が流れて、今年になって西澤館長が今年度末でご退職なされることになりました。
また更に今年の九月末で閉館すると発表されたのでした。
驚きでありました。
西澤孝一館長、真美子夫人のお二人がご苦労されてこの記念館を開館なされたのでした。
私も二〇一二年の三月に開館して間もない頃に、おうかがいしたのでした。
その時に初めて道後にある宝厳寺さまにもお参りして、真民先生のお墓にもお参りさせてもらったのでした。
それ以来何度もこの記念館を訪ねたのでした。
開館より実に十四年になります。
そして遂に幕を下ろすのです。
館長ご夫妻のお気持ちは察するにあまりあるのです。
思えばその間にもいろいろのことがありました。
二〇一三年の八月には、真民先生のお墓のある宝厳寺様が燃えてしまいました。
宝厳寺さまには、重要文化財に指定されていた一遍上人像がございました。
そのお像もまた燃えてしまったのでした。
真民先生は満五十歳の年に、この一遍上人像に出逢いました。
一遍上人というお方は、南無阿弥陀仏という念仏札をみんなに配って日本全国を行脚された方です。
そんな一遍上人ですから、そのお像も、素足のままで質素なお衣を身に纏った素朴なお像なのでした。
この一遍上人のお木像のおみ足に触れて真民先生はご自身の道がはっきりしたと言われます。
一遍上人は南無阿弥陀仏と書いた念仏札をお配りになりましたが、真民先生は、南無阿弥陀仏の札のかわりに、自分は詩を作ってそれを多くの人々に配ろうと決意されたのでした。
一遍上人の志を受け継ぐことを決意されたのです。
そして毎月「詩国」と題して、詩を作って千数百人の方々に配っていらっしゃいました。
私も高校生の頃から大学を卒業するまでの間、その「詩国」を送っていただく一員に加えていただいていました。
そんな大事なお木像が燃えてしまったのです。
後に真民先生の三女である西澤真美子さんと対談した折りに、私は西澤さんに、あの一遍上人像が燃えた跡に、真民先生が立たれたらなんと仰ったでしょうかと質問しました。
もっとも真民先生は平成十八年の十二月にお亡くなりになっていますので、実際の火災を知るよしもありません。
もしもその火災にあって、その焼けた跡に立たれたら、なんと言ったと思われますかと聞いたのでした。
西澤さんはしばらく考えながら、その時には即答されませんでした。
私もまた、ずっと長い間そのことを考えていました。
私は真民先生の「消えないもの」という詩も思ったりしていました。
「どんな大きな伽藍(がらん)でも
いつかは壊れてくる
それは歴史が示している
だがいつまでも
壊れないものがある
それは愛と慈悲である
この二つは エーテルのように
宇宙からきえることはない」
その後、西澤さんからご丁重な手紙をいただきました。
その手紙には、燃えて全て亡くなった跡に立たれて真民先生は何を言われるか、西澤さんの思いが綴られていました。
「宝厳寺の本堂が燃えているときの炎はまるで地獄絵のような恐ろしい勢いでした。
上から見ている父は、自分の身が焼かれるような痛みだったに違いありません。
そして見事としか言いようが無いほど、燃え切って灰になり、翌朝私がまいりました時には、風だけが吹き抜けていました。
風は焦げた竹林を通ってお墓に届いたことでしょう。
その風の中に、父が一遍上人のお姿を見ていたと思います。
立像ではなく、生きたお姿を。
山河草木、吹く風浪の音の中に生きていらっしゃるお姿です。そして何と言ったでしょう…
ひとつ言葉が浮かびます。
…そういうもんだ」。
長い言葉ではありませんでした。
「そういうもんだ」という一言でした。
深い深い一言です。
よく記念館を訪ねると近くの開花亭で西澤さんとご一緒に食事をしていました。
開花亭には、大きな「念ずれば花ひらく」の石碑がありました。
そして真民先生がご生前毎月例会で講話をなされていた朴庵という茅葺きの庵がありました。
たくさんの真民先生の書が飾られていました。
その開花亭も数年前に閉店となり、朴庵もなくなりました。
東京の国際フォーラムには相田みつを美術館がありました。
私も毎年おうかがいするのを楽しみにしていましたが、こちらも一昨年には閉館となりました。
相田みつをさんも真民先生のことを尊敬されていたそうです。
真民先生と相田みつをさんとは、生前に一度円覚寺で出会っているのです。
これもまた不思議なご縁です。
これで相田みつを美術館も坂村真民記念館も共に閉館となるのです。
世の流れかもしれません。
今もまた、真民先生は、「そういうもんだ」と仰せになるかもしれません。
真民先生の記念館が閉館となっても、真民先生の詩は、たんぽぽのように全国に飛んで芽を出して花を咲かせています。
多くの人の心には、真民先生の詩が生きています。
横田南嶺