すが入る
最近よく行っているものです。
今回は、「読書」という一章をとりあげて皆で輪読しました。
輪読して学ぶというのはいいことです。
各自が一段落ずつ読んでいって、最後に、自分がどの言葉に心惹かれたかを述べて感想を言うのです。
最後に私が総評をして話し合います。
「読書」の項目にもいい言葉がたくさんあります。
こんな言葉がはじめにあります。
「この読書が、われわれの人生に対する意義は、一口で言ったら結局、「心の食物」という言葉がもっともよく当たると思うのです。つまりわれわれは、この肉体を養うために、平生色々な養分を摂っていることは、今さら言うまでもないことです。実際われわれは、この肉体を養うためには、一日たりとも食物を欠かしたことはなく、否、一度の食事さえ、これを欠くのはなかなか辛いとも言えるほどです。」
というものです。
更に「つまりよほどの病気ででもない限り、一回の食事を欠くことさえ、滅多にないことです。否、実際には、かなりの病気でも、ただ食物の種類が変わるだけで、ぜんぜん食物を摂らないということは、ほとんどないわけです。ですから健康時には、わずか一時間、否、三十分でも食事が遅れると、諸君らのような若い人々はなかなか我慢し切れないでしょう。
ところが、ひとたび「心の食物」ということになると、われわれは平生それに対して、果たしてどれほどの養分を与えていると言えるでしょうか。からだの養分と比べて、いかにおろそかにしているかということは、改めて言うまでもないでしょう。」
と続きます。
読書は心の食物であると森先生は仰いながらも、それは必ずしも読書に限ることではなく、私たちの心を養ってくれるのは、様々な人生経験であるとも述べていらっしゃいます。
しかし森先生は、
「われわれの日常生活の中に宿る意味の深さは、主として読書の光に照らして、初めてこれを見出すことができるのであって、もし読書をしなかったら、いかに切実な人生経験といえども、真の深さは容易に気付きがたいと言えましよう。」
と述べておられます。
修行僧達がそれぞれいろんな箇所に注目しながら意見や感想を述べてくれました。
私が総評するのに、ふと思い出したことがありました。
数年前にこの「読書」について学んだときに、注目され議論されたところが今回誰もとりあげていなかったのです。
それは「そこで諸君は、差し当たってまず「一日読まざれば一日衰える」と覚悟されるがよいでしょう。
一般に小(中)学校の先生は、卒業後五、六年もたてば、もうすが入り出すと言われますが、教師にすが入りかけるのは、何も卒業後五、六年たって初めて始まることではなくて、その兆しは、すでに在校中に始まっていると言えましょう。
これは諸君らとしても、胸に手を当てて見られればよく分かるはずであります。すなわち、諸君らが今日忙しさに口実を求めて、何ら自発的な読書をしないということは、すでに諸君らの心にすが入りかけている何よりの証拠です。」
という箇所です。
ここのところの「すが入る」という言葉が分からなかったようなのです。
修行僧達に聞いても誰一人「すが入る」の意味が分かっていなのでした。
あまり日常では使わなくなったのでしょう。
中にはすっぱい酸味のある「お酢」の事だと思った者もいました。
「すが入る」とは、主に食べ物や木材などに、内部に細かい空洞やひび割れのようなものができることをいいます。
「大根にすが入る」という表現をします。
内部の水分が抜けたり、成長しすぎたりして、中がスカスカ・スポンジ状になることです。
すについては骨粗鬆症という字を書くときの「鬆」という字を書きます。
『広辞苑』には「【鬆】す、大根・牛蒡ごぼうなどの心に多くの細い孔を生じた部分。」と解説されています。
「大根、牛蒡(ごぼう)、蓮根(れんこん)などの、時期がすぎて、みにできるすきま。また、食品、植物、その他の組織などに、処理が悪かったため生じる多数の穴。」とは『日本国語大辞典』にある解説です。
かつてここのところを学んだときに、「一般に小(中)学校の先生は、卒業後五、六年もたてば、もうすが入り出すと言われますが、教師にすが入りかけるのは、何も卒業後五、六年たって初めて始まることではなくて、その兆しは、すでに在校中に始まっていると言えましょう。」というのを私たちの修行にあてはめてみたのでした。
修行道場で修行して、道場を出てから五、六年も立つとすが入るのではないか、いやその兆しは修行道場にいるときにすでに始まっているのではないかと話し合ったのでした。
こういうことは、その人の顔や目、姿からよく分かるものです。
修行道場にいるときには、澄んだ目をしていて、美しい姿をしていても、五、六年も経つと、すっかり変わってしまうことがあります。
また修行道場を出たあとも変わりない者もいます。
中には修行道場にいた時以上に輝く場合もあるのです。
すが入るというのは、内面が空洞になっていくことです。
毎日の生活に追われるだけで、自分自身の内面を見つめることをしないと、すが入ってくるとも言えましょう。
読書は、心の内面によい潤いをもたらしてくれます。
また単に読書するのだけでなく、そこに感動が入ると一層心には潤いがもたらされるのです。
心にすが入らないように気をつけないといけません。
よい本を読んで、よい人の話を聞いて、心に潤いを与えるように心がけたいものです。
横田南嶺