仏教懇話会
これが午前七時からととても早い時間の会です。
しかもお集まりの方というのは、なんと国会議員の方々なのであります。
全日本仏教会というのは、ホームページによると
「1900(明治33)年、国家の宗教統制に反対して結成された「仏教懇話会」に淵源を持ち、「大日本仏教会」「日本仏教連合会」等を経て、1957(昭和32)年に財団法人全日本仏教会となり、2007(平成19)年8月には財団創立50周年を迎え、2012(平成24)年4月より新たに公益財団法人としてスタートいたしました。」
というもので、
「日本には約75,000の伝統仏教の寺院、教会、布教所等があり、それらの多くはいずれかの宗派や教団に所属しています。全日本仏教会は、その中の主要な59の宗派、37の都道府県仏教会、9の仏教団体、合計105団体(令和3年6月現在)が加盟している、日本の伝統仏教界における唯一の連合組織です。」
と書かれています。
私もかつてこの全日本仏教会の副会長を務めたことがありました。
その時の会長は天台座主の半田孝淳座主でありました。
副会長を務めたおかげで、その間いろんな会合で、半田座主の隣に坐らせていただきました。
懐かしい思い出であります。
臨済宗円覚寺派も全日本仏教会に加盟しています。
国会議員の方々に、私ごときが話をするというのは、恐れ多いし気が乗らないのですが、全日本仏教会のご依頼となると、お断りするわけにもゆかずで参上したのでした。
この会は、「朝食懇談会」というように、お忙しい議員さん達と朝ご飯を食べながら話し合うというものです。
また「仏教懇話会」とも銘打っていますように、仏教の話もするのです。
今回は私が講師となって、皆さんの前でお話をするのでした。
時間は三十分、しかも皆さんは朝ご飯を食べながら聞くというのであります。
早くから演題を決めるように言われていたので、いつもように「禅の教えに学ぶ」と題しておいて、あとでいろいろ考えることにしました。
禅の教えから言えば、朝ご飯を食べる時に、朝ご飯を食べることに集中するのであって、ご飯を食べながら話を聞くというのは既に禅的ではないと言えます。
諸事情あってのことですから仕方なしであります。
はじめに全日本仏教会の理事長によって三帰依文を皆で唱和しました。
そのあとすぐに私の話となりました。
朝のご挨拶をして、「どうぞゆっくりお召し上がりになりながら お聞きいただければ幸いでございます」と申し上げましたが、そう申し上げるまでもなく、皆さんご飯を食べることにご熱心でいらっしゃいました。
多くの議員さんがご飯をたべていらっしゃって、こちらを向くわけでもないのです。
これはとても話しにくい状況であります。
しかしながら、これも場数を経てきたおかげで、これくらいの話しにくさには動じなくなりました。
聞こうが聞くまいが淡々と話をしていれば一人くらい耳を傾けてくれるものです。
そんな気持ちで軽く話を進めてゆきました。
鎌倉の円覚寺にいて円覚寺派の管長を務めていることを申し上げて、花園大学の総長を務めていることに触れました。
そこで花園大学と申しましても、園芸や畑の大学ではありませんと申し上げました。
ここで皆さんが笑ってくださったので、ご飯を食べるのに夢中で話を聞いていないのではないということが分かりました。
笑ってくださるというのは話しやすいものです。
そこから私は大学の卒業生に今のソフトバンクの社長である宮川潤一さんがいらっしゃることに触れて話を進めました。
宮川さんとは懇意にさせてもらっていて、昨年の秋にも食事をしました。
その折に日本のAI人工知能を開発するのだという話をうかがいました。
やがて発表されると聞いていたのですが、昨年末に新聞などで公表されました。
12月21日の読売新聞の一面に
「国産AI開発 官民三兆円」という大きな見出しが出ていたのでした。
そんな話題に触れて、人工知能が発達してこれから人類はどうなるか分からないという話をしました。
そうしておいて、話を一転させて、昨年の清水寺の貫首が書かれる今年の漢字が「熊」であったことに触れました。
かたや人工知能AIが発展し、また「熊」に振り回されるのが人間ですと申し上げました。
熊が出て猟師が鉄砲で撃つという 人は太古と変わらざりしか.
という和歌を紹介しました。
熊が出て猟師さんが鉄砲で撃つのですから、これは昔から変わらないのであります。
「なるほど上手に歌った歌だなと思ったのですが、実は私が作りました」と言うと、こちらも大いに笑ってくれました。
だんだんと話に引き込めるなと感じるようになりました。
熊の話から、人間はとても熊には対抗できない弱い存在であることを述べて、その弱い生き物が、今この地上でもっとも発展して暮らしているのは、言葉を使い、貨幣や国や宗教という価値観を共有して力を合わせてはたらくようになったからだという、ユヴァル・ノア・ハラリさんの『サピエンス全史』にある話を使いました。
そこから禅は宗教の中でも「教祖と聖典のない宗教」と呼ばれる特徴があると話し、各自の心こそが仏であると説いていると話しました。
仏とは智慧と慈悲を具え完成された人格を言います。
そんな話をダルマさんの話で笑いを取りながら進めていると、気がついてみると、ご飯を食べている人は誰もいなくなってしまって議員の皆さんも私の方を向いて聞いてくださっているのです。
智慧と慈悲の話から鈴木大拙先生が昭和二十一年天皇陛下にご進講された話に展開しました。
仏教は智慧と慈悲の教えです。
智慧と慈悲とは決して別ものではありません。
慈悲とは理解であるという言葉を紹介して、どこまで理解してあげることができるかが大事なことだと伝えました。
寄り添うという言葉をこの頃よく耳にしますが、寄り添うにしてもどこまで理解してあげているかが大事なことであります。
そして釈宗演老師が百年以上前に、アメリカから自分ファーストいう個人主義が輸入されて、これが高じていくと危険思想になると警鐘を鳴らしていたと申し上げました。
しかし、誰しも人は自分が大事であり、自分ファーストを否定するわけにもいきません。
相手にとっても自分が大事なのだと理解することが必要です。
最後に、人間というのは熊とは戦えないのであって、一人では弱い存在であること、だからこそいかに多くの人や物の協力がなければならない、そのことを自分中心の目線だけではなく、時には敵対するような人の立場の身にもなってみて、あの人は今どういう景色を見ているのであろうかというようなことを想像し理解力を働かせていく、それには姿勢を調え呼吸を調え感情を波立たせず、思考力を正しく働かせて、どこまで相手のこと、あるいは今の状況のことを理解をすることができるか、その力を育んで、この困難な世の中を生き抜いていくというのが、禅の生き方でありますと申し上げたのでした。
話し終わると、よくお顔を報道で見かける高名な政治家さんがすぐに私の席に来て話に感銘を受けたと言ってくださいました。
私は自分の話のあとに食事をいただくことになっていたのですが、気がつくと私の席の前に、議員の先生方がズラーッと並んでいらっしゃって、お一人一人ご挨拶していると、とうとう私は食事に箸をつけることができないで終わりました。
朝ご飯を食べ損ねましたが、大勢の皆さんに拙い話を聞いてもらえたのでそれだけでじゅうぶん満足であります。
横田南嶺