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臨済宗大本山 円覚寺

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2026.02.19
今日の言葉

人生の目的

先日は京都に行って禅文化研究所の運営委員会に出ていました。

委員会の前に、禅文化研究所のYouTubeの撮影をすませました。

まずは墨蹟紹介をひさしぶりに行いました。

今回取り上げたのは、越渓守謙老師の書であります。

忍の一文字を大きく書いて、その横に、

瞋は是れ心中の火
能く功徳林を焼く
菩薩道を行ぜんと欲せば
忍辱して真心を護らん。

という寒山詩の言葉を書いているものです。

瞋りは心の中の火であります。

修行していくら功徳を積んだとしても、それを一瞬のうちに焼きつくしてしまうものです。

菩薩の道を歩もうと思うならば、不都合なことでもよく耐え忍んで己の真実の心を大切に護ることだという意味です。

越渓老師は、今の妙心寺天授院に僧堂を開かれた方であります。

また釈宗演老師のお師匠さまでもあります。

そのあとは、山田無文老師の『般若心経』をもとにして話をしました。

山田無文老師の『般若心経』を読む第24回と第25回と二本録画しておきました。

禅文化研究所のYouTubeで公開されているものの続きです。

こちらのYouTubeチャンネルではコメントも書けるようになっていますので、私も皆さんのお言葉を読むのが楽しみであります。

第二十二回の時にコメントに

「生きる目的を明確にお示しくださって、目が覚める思いでした」

という言葉がありました。

有り難いお言葉です。

これはその時に、無文老師が、太平洋戦争のあとA級戦犯の罪で裁かれた佐藤某という方の逸話を語っておられて、それを紹介したのでした。

この方はおそらく佐藤賢了氏のことと察するのですが、何らかの事情で、本名は記さずに佐藤某となっています。

私もかつて無文老師の何かの著書の中で拝読して深く感銘を受けたものであります。

このYouTubeの回では「阿耨多羅三藐三菩提」について解説していました。

「阿耨多羅三藐三菩提」を無文老師は「尊厳なる普遍的人格」と訳されています。

そこでこの人格を完成することこそ、人生の目的であると説かれているのです。

そのことに気がつかれた例として佐藤某の話があるのです。

無文老師は、佐藤さんについて次のように書かれています。

「戦死もせず、自決もせず、殺される覚悟であった者が殺されもせず、生きておる。

昔ならば、武士が縄目の恥を受けたようなものだが、こうしてまでも、生きていかねばならんのか。

戦争の責任は充分に感じてはおるが、感じてみたところで、自分一人で償えるものでもない。

いったい何のために生まれて来たのか。

人生の目的はどこにあるのか。

この意味のない人生も生きていかねばならんのか。

いろいろと煩悶したが、結局、人生の目的はどこにあるのか、ということに自分はいきづまった。」

と書かれています。

それまで軍人としてはたらきながら、戦犯として囚われの身となった苦悩を綴られています。

更に「そこで、悩みに悩んで煩悶をした結果、解決がついたことは、それは何も珍しいこともない、ありふれたことだが、「人生の目的は人格の完成にある。人間が生まれて来たのは、自分を完成するためだ。自分の最大価值を発揮することだ」と、こう気がついた。

これはしばしば言われることであり、本にも書かれておることであり、こんなことは自分も幾たびか若い人に向かって講釈をして来たか知れん。

しかし自分が本当にいきづまって、煩悶したあげくに開けた道はこれより他になかった、と。

「人生の目的は人格を完成するにある」。

そのとおりだ。

誰が聞いてもそのとおりである。

が、それを真剣に人生と取り組んで、そこに解決を得たのと、常識的に知っておるのとでは、大変な違いがあるわけであります。」

ということに気がつかれたのです。

そこで「人生の目的は人格の完成にある。

金を儲けるのは、自己の人格を完成するための一つの手段である。

社会的地位ができるのも、それは枝葉の問题である。

学問をするのも自己を完成する手段である。

目的は人格の完成にあると気がついたら、これは誰でもできることだなと思いついた。

金がなくても、身分がなくても、学問がなくても、乞食をしておっても、その気になれば、いかなる立場に置かれても、誰でも、どこででもできることだ。」

と書かれています。

佐藤氏は、そのように気がつくと、この刑務所の中が人格を完成するには、もっともよい場所だと思ったのです。

「仕事もせず、生活は保障され、そして本が読める、この刑務所が自分の人生の目的のために最後に恵まれた、一番いい場所だと気がついて、喜んで毎日修行させてもらっている」というのです。

佐藤賢了さんならば、昭和二十三年東京裁判で終身禁固刑となって、昭和三十一年に仮出所され、昭和五十年まで生きられたのでした。

更に無文老師は、その人格の完成ということが、我々凡夫にできるのかという問題に触れられます。

よく禅宗は坐禅をして難行苦行をして人格を完成するのだと思われるのですが、無文老師はそうではないと説かれています。

自力を捨てて自我を捨てて無心に無念になること、自分の持っておる本性を発揮することが禅だと説かれます。

人格はこれから完成するのではなく、生まれたときに完成されておるものだと分かることが禅だと無文老師は説いてくださっています。

生まれたままが仏であり、坐禅して仏になるのではなく、坐禅することによって元に戻り子供の心に戻るのだというのです。

そのことに目覚めて一日一日与えられた務めを精一杯果たして生きるのが、生きる意味であると言えます。

 
横田南嶺

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