春に立つ
立春については、『広辞苑』に、
「二十四節気の一つ。太陽の黄経が315度の時。春の始め、太陽暦の2月4日頃。」
と書かれています。
二十四節気は、
「太陽年を太陽の黄経に従って24等分して、季節を示すのに用いる語。中国伝来の語で、その等分点を立春・雨水などと名づける。二十四節。二十四気。節気。」
と解説されています。
二十四節気の始まりは立春であります。
立春大吉という言葉もあります。
かつてこの時期に「立春大吉」と書いたお葉書をいただいたりしていました。
年賀状のようなものでした。
立春大吉については、これも『広辞苑』に
「立春の日、禅家で門口に貼る札の文句。」
と書かれていますが、私どものお寺ではこの言葉を貼るという習慣はありません。
『禅学大辞典』には、「立春大吉祥」という言葉が書かれています。
立春の日に掛札に書く字だと解説されています。
「立春大吉」を縦書きで見ると、全く左右対称になっています。
そこで鬼が家に入ったときも「立春大吉」に見えるし、出ようとして振り返って見ても「立春大吉」に見えて、どちらが外で、どちらが中か判別できないから、方向感覚を失うという話もあります。
この文字にも不思議な力があると思われていたのだと察します。
ともあれ、そんな立春の日に西園先生の講座を受けることができてとても有り難い思いであります。
北鎌倉の駅までお迎えに参りましたが、日差しのとても暖かい一日でありました。
この時期の境内は閑散としています。
静かに佛殿にお参りして、ご案内しました。
もう西園先生に丸四年教わっていることになります。
ずいぶんたくさんのことを学びました。
ご縁というのは不思議で、長年坐禅をしてきて、まだ足りないと感じていたのが、足の指でありました。
どうも足の指の先まで充実して坐るということが足りないと感じていた頃に、藤田一照さんのご縁で西園先生にであうことができたのでした。
ちょうど西園先生の『魔女トレ』の本が出た頃でありました。
またその頃から私は膝に違和感を覚えるようになっていました。
これがだんだんと痛みになっていくのだろうと感じていました。
六十に近い頃だったこともあり、これも坐ることが多いのでやむを得ない事かと思っていました。
しかし、足の指を調えて、足首も調整していると、全く膝の違和感を感じることがなくなりました。
まだまだ調えることによって可能性があるということを感じました。
それ以来、毎回毎回新たな発見があるのです。
昨年に教わった正坐についても大きな発見でした。
正坐をすることが多いので、正坐が変わっただけで体が変わりました。
しかしながら、これだけいろいろ教わって発見があり変化があったので、もうこれでじゅうぶん、あとは調えるだけだという思いが内心ありました。
あまり欲張ってもいけないという思いでありました。
そんな気持ちで講座に臨んだのですが、今回も大発見でありました。
講座の始まりに西園先生も筋力の衰えを感じるらしく、しかし、筋肉を使わない方が骨の力強さが出てくるとお話くださっていました。
その方が体のつながりも強くなるというのです。
その言葉を私は漠然と聞いていました。
西園先生でも筋力の衰えというのがあるのかなぐらいに思って聞いていました。
しかし、そのあとの講座でこの言葉を実感することが出来ました。
今回もいろんなワークをたくさん三時間にわたって行いました。
途中いつものように足の指と足首を調えます。
毎回行っているのですが、西園先生の方法もかなり進化しています。
丁寧さ、精密さがより一層増しています。
今回も足の指の関節を第一関節、第二関節とそれぞれ丁寧に緩めるということを行いました。
第二関節というのは私なども全く固くなっていることが分かりました。
そして足首の曲げ伸ばしを行います。
これも坐って片膝だけ立てて、片方の足の裏だけ床につけて、踵を持ち上げて足首を曲げます。
そのときに爪が真っ白になるように足の指先に体重を掛けるようにします。
なかなか爪が真っ白になるまでというのは難しいのです。
それでもがんばると出来ます。
それから踵を下ろします。
踵で床を押すように降ろすのです。
そのときに踵の下に自分の手を置きます。
そして自分の手を踵で踏むようにします。
その時に西園先生は手を踵で踏んで「激痛であればOK」と仰いました。
「痛気持ちいいくらいだと、かかとで踏めてなくて、太ももが力んでます」というのです。
「あまり痛くないなという人は、太ももとお腹の間に自分の手を挟んで、自分の手を太ももとお腹で挟んで、ちょっと伸ばすようにすると、かかとで踏めるようになる」と教えてくださいました。
太ももが緩めば、踵で踏めるようになるのです。
私もはじめは「激痛」とは少々大袈裟な表現だなと思いながら、やっていました。
少々痛いかなというくらいでした。
しかしどこかで何かが緩んで、何かがつながってまさに指が激痛になるほど踵で踏めるようになりました。
それは力で踏みつけようとしているのではありません。
しかしただぼやっとしているのでもありません。
なにも力を入れていないのですが、何かがつながったのです。
しかも、それは一瞬のうちに起きた現象です。
その瞬間骨で押す、骨で立つ、力が抜ける、それらがすべてつながったのでした。
そして立ってみると、まさに初めて立ったという感動でありました。
今までは立っていなかったという思いでありました。
「立春」は春に立つと書きます。
古語の「立つ」には「始まる」「出現する」「境目に姿を現す」などという意味があります。
「立春」とはそんな春が姿を現し始める地点に立つのです。
そんな日に私もまた立つことができたのでした。
感動の一日となりました。
横田南嶺