沢庵禅師の教え
この本は廣済堂出版から出ている本です。
まえがきが平成七年秋となっています。
もう三十年前の本であります。
はじめのところにこんな沢庵禅師の逸話が書かれています。
この話はよく知られた話です。
旗本の水野十郎左衛門との問答です。
水野十郎左衛門については『広辞苑』にも記述があります。
「江戸前期の旗本奴の頭目。名は成之。1650年(慶安3)父の遺領を継いだが、無頼の旗本を糾合、市中で不法の行いが多く、切腹を命ぜられた。幡随院長兵衛との喧嘩は有名。(~1664)」と書かれています。
幡随院長兵衛との喧嘩は落語の「芝居の喧嘩」という演目にもなっています。
その水野十郎左衛門が鷹狩りに出かけた折のことです。
松原先生の本には「その日も彼は馬にまたがり、周囲をにらみつけるようにして進むので、通行人は彼の行く手から逃げ走ります。十郎左衛門は得意になって馬を進めると、前方から沢庵和尚が供も連れずにただ一人、ゆったりと歩いてくるではありませんか。」
と書かれています。
更に「十郎左衛門は、沢庵が将軍德川家光の信頼を受けているのを、日頃から憎々しく思っているので、沢庵を打ちのめす好機と思ったのでしょう。
馬上から沢庵を見下ろして威圧するように、
「お前は、上様(将軍)に地獄の話をまことしやかに話して上様をたぶらかしおる慳しからん奴じゃ、本当に地獄があるのか、どうだ」と詰問します。その答えによっては只では置かんぞ、との凄味を秘めています。」
というのです。
そのあと沢庵禅師は、十郎左衛門にどこに出かけるのかと尋ねます。
鷹狩にゆくのだと答えます。
沢庵禅師は十郎左衛門の出で立ちを眺めて「今日のような好天気の日に、蓑笠までご用意ですね」と言いました。
十郎左衛門は「わしは上様直参(直接に仕える)の旗本じゃ。非常の場合は、上様にわが身を捧げるのだ。わが身であってわが身ではない。常に健康に心がけることが肝要じゃ。私用で身体を用いる場合はとくに心を配らねばならぬ。今晴れていても、いつ雨が降るかわからぬ。
にわか雨に遭って身体を濡らし、風邪を引いてご奉公に事を欠いては不忠の臣となる。
されば常に雨具を装備して万全を期するのが、武士の心得だ。坊主にわかるものではない」とまくしたてます」と書かれています。
そこで沢庵禅師は、「ところで先刻、地獄についてご質問でしたが、そのお答えもあなたのお説と同じです。
地獄から帰った者は無いから、地獄の有無は当てになりません。当てにならない点では、天候と同じです。
当てにならない天候のもとで旅をするには、あなたのように雨具を常備するのが賢明です。
降ってよし、晴れてよしでしょう。
地獄の場合も同じです。死後に地獄が有っても無くても、どちらでもいいように生前に心に備えをして、言動をつつしむのが、身分に関係なく、人間としてのつとめでしょう」
と答えたのでした。
沢庵漬けに関わる逸話も書かれています。
品川に東海寺が出来たのが、寛永十六年(一六三九)沢庵禅師が六七歳のときで、正保二年(一六四五)にお亡くなりになるまで七年間住されました。
その間に徳川家光公が東海寺を訪ねたのが七五回に及ぶというのです。
松原先生の本には次のように書かれています。
「当時の品川では、海から塩が取れます。塩はお手の物です。
寺では玄米をついて精米にするので、沢庵は、その糠と塩とで乾した大根を漬けます。
糠と塩との異なる味どうしの調和で、乾し大根に、淡い黄色と香りとが宿り、かみしめると甘味も出てきます。
それに容易に腐らない持久性もあります。
沢庵は、非常食の意味をこめてのたくわえ(貯)漬けと呼んで、寺での日常の副食物にしていました。
あるとき、沢庵が家光に、この“たくわえ漬"をすすめると、家光はうまそうに音をぼりぼりと立てて食べて、その味を賞でます。
そして「うまい、うまい、たくわえ潰でなくて、日本一の『沢庵漬』じゃ」とご機嫌です。
家光は、この潰物を江戸城へ持ち帰り、諸大名に紹介したので、『沢庵漬』が一躍有名になったといいます。」
と書かれています。
松原先生もこの話の真偽の程ははっきりしないと書かれています。
沢庵禅師の『結縄集』にある言葉も味わい深いものがあります。
こちらは松原先生の本にある現代語訳を引用します。
「この世に生まれて来たと思わずに、この世に客に来たと思うなら、さまざまの苦労も苦にはならないであろう。
たとえば、自分の好きな食物には、よいご馳走と感謝する。
自分の気に入らなくても、お客に来たのだから、同じように賞めて食べなければならないであろう。
夏の暑さも、冬の寒さも、客である以上辛抱が必要となる。
孫子兄弟も、この世という同室に泊まり合わせた相客と考えたら、お互いに耐え合って仲よく暮らせよう。
ああすればよかった、こうしておけばよかつた、との悔いを後に残さないようにして、この世のおいとまを申したいものだ」
と書かれています。
そのあと、
たらちねによばれて仮の客に来て こころのこさず かえる故郷
という和歌があります。
この和歌を松原先生は
「父母の縁により、この仮の世に客に生まれて来ましたが、後に悔いを残さずに故郷のあの世に帰ります」と訳されています。
この和歌は私も法話の折によく使わせてもらっています。
沢庵禅師は、自ら死に臨んで「私が死んでも、経を読むな、斎も出すな、香典に類するものは一切受けてはならぬ。修行僧は、私の息が絶えても、平日の如く修行せよ。私の死後の栄誉を飾ろうとして、諡号を朝廷や幕府に乞うな、石塔·位牌·木像·伝記類を作ってはならない」と徹底して自らを否定されています。
とても厳しかった宗風だとうかがえます。
横田南嶺