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臨済宗大本山 円覚寺

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2026.02.09
今日の言葉

手塩にかける

手塩にかけるという言葉があります。

「手塩」とは、

食膳にのせてある塩。

手塩皿の略。

手ずから世話をすること。」

という意味が『広辞苑』には書かれています。

「手塩に掛ける」という言葉も『広辞苑』に出ています。

「手ずから世話をする。

自らめんどうをみて大事に育てる。」

という意味であります。

二月になると修行道場の沢庵を漬けます。

一月に修行僧達が、三浦地方に托鉢に出かけて大根を作っている農家さんから、数本ずつ大根をいただきます。

それを三浦にある円覚寺派のお寺の境内を借りて干しておきます。

その干した大根を二月になると取りにいって、修行道場で漬けるのです。

もっと早い時期に沢庵を漬けているところが多いと思いますが、円覚寺の修行道場では例年、このような時期に行っているのです。

毎年私もこの沢庵漬けは行うようにしています。

夏の梅を漬ける、冬の沢庵を漬ける、これらは大事なこととして、三十数年来欠かしたことはないのです。

梅干しも沢庵漬けも、修行道場では欠くことのできないものです。

どちらも大事なのが塩であります。

沢庵などは大根と糠で漬けますので、塩がないと腐ってしまいます。

さて沢庵漬けを『広辞苑』で調べると、

「漬物の一種。干した大根を糠と塩とで漬けて重石でおしたもの。

沢庵和尚が初めて作ったとも、また「貯え漬」の転ともいう。」

と解説されています。

この通りで、干した大根を糠と塩で漬けて重石でおすのです。

四斗樽に、だいたい八十本くらいの大根を漬けます。

大根は干された状態によって大小さまざまありますので、八十本前後になります。

糠は一斗に、塩がそれぞれ異なります。

浅漬けですぐにいただくのは、一升五合くらいの塩にします。

古漬けで何年も保存するものは、五升の塩を加えるのです。

これはかなり塩っ辛い沢庵になります。

しかし、何年でも持つのです。

沢庵和尚が初めて作ったともと、『広辞苑』に書かれていますが、これは実際のところ、定かではありません。

沢庵禅師は臨済宗のお坊さんです。

こちらも『広辞苑』にその名前が載っています。

「江戸初期の臨済宗の僧。

諱は宗彭。

但馬の人。

諸大名の招請を断り、大徳寺や堺の南宗寺等に歴住。

紫衣事件で幕府と抗争して1629年(寛永6)出羽に配流され、32年赦されてのち帰洛。

徳川家光の帰依を受けて品川に東海寺を開く。

書画・俳諧・茶に通じ、その書は茶道で珍重。

著「不動智神妙録」など。(1573~1645)」

と書かれています。

但馬の国、出石の城主の家臣の子であったといいます。

大徳寺の春屋宗園について修行し、その弟子である一凍紹滴(1539―1612)の印可を受けています。

慶長十四年大徳寺百五十三世住持になっています。

慶長十四年は西暦一六〇九年ですので、満三十六歳の時であります。

『禅学大辞典』には、住山三日で泉南に帰ると書かれています。

沢庵禅師については紫衣事件というのがあります。

これは少々わかりにくいものです。

政治的な事件であります。

紫衣というのは元来高僧が天皇より下賜されるものでありました。

紫衣事件については岩波書店の『仏教辞典』に次のように書かれています。

「1626年(寛永3)、朝廷が事前に幕府に相談なく僧侶に紫衣を賜っていたことが発覚した。

翌年幕府が「勅許紫衣法度(ちょっきょしえはっと)」および「禁中並公家諸法度(きんちゅうならびにくげしょはっと)」に違反するとの理由でこれを咎めたところ、大徳寺の沢庵宗彭・玉室宗珀や妙心寺の単伝士印らが京都所司代に対して抗議したため、1629年(寛永6)に至り幕府は彼らを流罪にするとともに、それまでの勅許状を無効として紫衣を奪った。これら一連の事件をいう。」

とあります。

これによって沢庵禅師は、出羽の国に流罪となったのでした。

寛永九年には江戸に戻っています。

水戸頼房、柳生宗矩らの帰依を受け、更に徳川家光の帰依を受けて、品川に東海寺を開きました。

東海寺の開山となっています。

『不動智神妙録』という著書が残されています。

千手観音さまについて書かれているところがあります。

「千手観音に千本手があることを考えますと、弓を取るその手にとらわれるならば、他の九百九十九の手は用にたちますまい。

一つの所に心を止めないからこそ、千本の手が用にたつのです。

いかに観音菩薩とはいえ、身一つにどうして千本の手を持っておられるのか。

それは、不動智さえひらけたならば、手が千本あってもみな用にたつことを人々に示そうとして作られた姿です。

たとえば、一本の木に向かって、そのうちの赤い葉一つだけを見ておれば、残りの葉は目に入らぬものです。

一つの葉に目をとられず、一本の木に無心に向かうなら、数多くの葉も残らず目に見えるものです。

一枚の葉に心をとられると、残りの葉は見えず、一つに心を止めなければ、百千の葉がみな見えるのです。

このことを得心した人は、すなわち千手千眼の観音にほかなりません。

それなのに、何も知らぬ凡夫は、ただ単純に、身一つに千の手、千の眼がおありだからありがたいと信じます。

また生半可な物知りは、身一つに千の眼がどうしてあるのか、嘘だといって非難攻擊します。

今少しわけを知るならば、ただありがたいと信ずるのでなく、攻擊するのでもなく、道理の上で尊信し、仏法が一物をもって根本の理をあらわすことを納得します。」

と説かれています。

その前のところで「物を一目見て、それに心を止めないことを、不動と申します。
なぜかなら、物に心が止まると、いろいろの分別心が胸にわき、いろいろ胸のうちに動くのです。心が止まれば、止まる心は、動いているようで、自由自在に動かぬのです。」
と説かれているのです。

現代語訳はちくま学芸文庫にある『不動智神妙録/太阿記/玲瓏集』から引用させてもらっています。

不動というのは動かないことではなく、何か一つに心をとどめずに自由自在にはたらくことを説いているのです。

たくさんの大根を、一つに心をとどめず自由自在に、しかも手塩にかけて漬け込んだのでした。

 
横田南嶺

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