使わないと衰える
こちらもいろいろ工夫して行っています。
その時々で、どこを重点的に行うかを決めています。
先日は股関節を中心にして一時間ほど行ってみました。
今まで自分が学んだきた股関節の運動や、それに長年続けている真向法を丁寧に時間をかけて実習してみました。
そのあと、坐禅がとても坐りやすくなった、体が安定するのを感じた、歩くのも軽くなったという感想が聞かれました。
いつの頃からか、坐れない、足が組めないという修行僧が現れるようになりました。
私などにしてみれば信じられない現象でした。
私は十歳の頃に坐禅を始めて、それに高校時代にはもう坐禅の道を歩むと決めていたので、学校の授業でもイスの上で正坐するか、坐禅するようにしていました。
修行に行くことを考えると、イスで坐る習慣より、正坐や結跏趺坐を習慣にしておいた方がよいと思ったからです。
修行道場に来るのは、ほとんどお寺のご子息なのですから、修行道場に行くことは早くから分かっているはずなのに、修行道場に来るまで坐ることも何もしないというのは不思議でありました。
しかし、坐れない、足が組めないという青年が増えているのは現実なのです。
これはいったいどういう訳なのか自分なりに考えてみました。
決して彼らが悪いわけではありません。
現代の私たちの暮らしは、人類の歴史から考えると、かつてないほど安全で、便利になりました。
どの道は舗装され、段差はなくなっています。
台風などで倒木でもあればすぐに片付けられます。
階段も上りやすくなっています。
大股で上らないといけないような階段はあまり見かけなくなりました。
また階段に乗っているだけで上がれるように、エスカレーターもあります。
それに椅子と机の生活が当たり前になっています。
廃用性萎縮という言葉があります。
「寝たきりや行き過ぎた安静状態が長く続くことによって起こる筋肉や関節などが萎縮すること 」を言います。
平たくいえば使わないものは衰えるということです。
このような便利な暮らしになったおかげで、使わないことによって衰えたものもあります。
その象徴の一つが、股関節ではないかと思うのです。
股関節は、人体の中でも最も大きく、最も自由度の高い関節です。
本来は、前後左右、回旋を含めた立体的な動きができます。
私たちの、歩く、しゃがむ、座る、立つといった基本動作の要となっています。
しかし現代生活では、平坦な道を小さな歩幅で歩き、椅子に腰掛けるようになってしまい、深くしゃがむことも、床に座ることもほとんどありません。
その結果、股関節を大きく使う機会は激減したのです。
そうすると使わないと衰えるので、股関節の可動域は狭まり、正座や胡座ができない人が増えたのではないかと思います。
坐禅の時の結跏趺坐や半跏趺坐という坐り方は、股関節を深く開くことが必要です。
その結果、骨盤を立て、背骨を自然に積み上げることができます。
とても合理的な身体の使い方であり坐り方です。
とてもよく安定します。
結跏趺坐などが出来なくなっているというのは、股関節を日常的に使ってこない世活をしてきたからだと言えるのではないかと思います。
別段その人が悪いのではなく、そういう暮らしになったのです。
それなのに、無理に足を組まそうとすると、坐ろうとした瞬間に、股関節や膝、腰の違和感に意識を奪われてしまいます。
所謂「足が痛くてたまらない」という現象です。
そこで我慢して坐れと言われると、我慢大会になってしまいます。
日常でも股関節が硬いと、動きはどうしても膝や腰、肩に頼るものになります。
結果として、動作は不安定になります。
怪我の原因になることもあり得ます。
古来、「腰が入っていない」「足腰が弱い」と言われてきた言葉の背景には、股関節を中心とした身体感覚の重要性が認識されていたことがあります。
禅の修行で大事にしているのは、決して特別な身体能力ではありません。
日常の中で、自然に使われ、自然に養われる身体です。
坐る、立つ、歩く、しゃがむ、その一つひとつを、全身で行うことです。
股関節を大きく使うということは、単に柔らかくなることではなく、身体全体を一つとして使い直すことになります。
今正坐や坐禅をすることは、単に昔の修行方法というだけでなく、現代に失われつつある身体感覚を取り戻す試みであるともいえます。
真向法は一見すると「柔軟体操」に見えます。
しかし真向法を始めた長井津先生は、42歳の時に脳溢血で倒れ半身不随になり、試行錯誤の末この体操で奇跡の復活を遂げられたのです。
礼拝の姿がもとになったように真向法では股関節を深く折り曲げて伸ばすことを繰り返します。
股関節を中心に、身体全体をもう一度つなぎ直すのだと言ってもよいかと思います。
股関節は人体最大の関節であり、骨盤と下肢を直接つなぐものです。
そして屈曲・伸展・外転・内転・回旋と多方向に動きます。
股関節を大きく動かすと、大量の感覚情報が脳に送られて、運動野、小脳などが同時に刺激されます
これは、脳と身体の再同期を強く促すと考えられます。
礼拝の動作をもとにした真向法は、股関節の深い屈曲であり、骨盤が前後に動き、それが背骨全体の連動となり、深い呼吸にもつながります。
単なるストレッチというよりは、全身の協調運動であります。
股関節から骨盤、そして体幹が鍛えられ頭が安定し、手足も自由に動くようになります。
人間本来の運動連鎖が回復すると言えるのです。
そのようなことが複合的に行われて、長井先生も半身不随から歩くことができるように回復されたのではないかと想像します。
「腰を据える」とか「丹田に集中する」とか言いますが、これは言葉を換えると、股関節を中心に全身が一体として働く状態を指しています。
足が組めない、坐れない、或いは歩けないという問題は、多くの場合「部分」ではなく、股関節の動きを失った全身性の問題なのではないかと思います。
かつて甲野陽紀さんに丹田について教わった時に大転子を開くようにと言われたのも股関節に関わることなのです。
股関節が固まると全身がばらばらになり、股関節が目覚めると全身が目覚めるとも言えるのです。
股関節をいろいろ動かし坐れるように工夫することで、多くのことに気がつくことができます。
使わないと衰えるので、今の便利な生活の中ではいかに股関節を動かすか、いろんな運動が必要になっているのだと思うのです。
修行僧達と股関節を動かしたりしているといろいろ学ぶことがあるものです。
横田南嶺