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臨済宗大本山 円覚寺

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2026.01.19
今日の言葉

無住

「無住」という言葉を『広辞苑』で調べてみると

はじめに仏教語として、

基づくもの、よりどころがないこと。

②執着がないこと。

と書かれていて「無住心」という用例があります。

さらに
3番目に「寺院に住職がいないこと。また、その寺。」と書かれています。

人名の「無住」もあります。

こちらは、

「鎌倉後期の臨済宗の僧。名は道暁、号は一円。

鎌倉の人。上洛して諸宗を学び、禅を円爾に受け、尾張の長母寺に止住した。諡号は大円国師。著「沙石集」「雑談集(ぞうたんしゅう)」など。(1226~1312)」

と書かれています。

これは鎌倉時代の無住道暁という日本のお坊さんの名前なのです。

「無住」と岩波書店の『仏教辞典』で調べると、

「住するところがない、よりどころがないという意味で、何事にも執着をしない自由な悟りの境地をいう。

<不住>ともいう。」と解説されています。

『禅学大辞典』で調べてみます。

無住は

固定した実体のないこと。
また心が一つの対象に執著することによって自由無礙なはたらきの失われることが全くないこと。

②寺院に常在している住持のいないこと。また、その寺をいう。」

と書かれています。

そして三番目に人としての無住が解説されています。

こちらは西暦七一四年から七七四年までの中国、鳳翔郿県(陜西省)の人であります。

中国唐代の禅僧です。

更に『禅学大辞典』には

「俗姓は李氏。二〇歲をすぎた頃、嵩山慧安の門人陳楚璋に遇って頓教の法を受ける。天宝初年(七四二ころ)自在に参ず。同一〇年より二年間、北霊州(陝西省)賀蘭山に止住する。

至德二年(七五七)成都府(四川省)净衆寺に無相を望見す。

ついで南陽(河南省)白崖山に登って宴寂につとめる。

永泰二年(七六六)空慧寺に入る。

同年一〇月一日杜鴻漸と問答し、頓教の法を開演する。のち保唐寺に住し、大曆九年六月三日示寂。世寿六一。

なお〔歷代法寶記〕は無相―無住
〔圓覺經大疏鈔〕は弘忍-慧安-陳楚璋の関係を重視している」

と解説されています。

先日の小川隆先生の講義でも「浄衆宗と保唐宗」ということを学びました。

浄衆宗は浄衆寺無相禅師であり、保唐宗とは保唐寺無住禅師であります。

『歴代法宝記』(柳田聖山『初期の禅史Ⅱ』筑摩・禅の語録3)には

達摩大師から代々伝わって弘忍禅師と法が伝わり、その弘忍禅師から智詵―処寂(唐和上)―浄衆寺無相(金和上)―保唐寺無住と伝わっていると説かれているのです。

則天武后が慧能の袈裟を召し上げ、後にそれを智詵に与え、それが代々四川で相伝されたと主張されています。(『初期の禅史Ⅱ』〔一二〕)

柳田聖山先生の『初期の禅史Ⅱ』に書かれている「浄衆寺無相」についての記述の現代語訳を引用します。

「剣南成都府(四川省成都府)浄衆寺の無相禅師は、俗姓は金氏、新羅王の血統である。

代々、海東の名家であった。」

と書かれています。

更に「…髮をおろして親と別れ、海を西に船出して、やがて唐に着いた。

師を求め道をたずねて各地を経めぐり、最後に資州徳純寺にやってきて、唐和上にお目にかかろうとした。

唐和上はちょうど病中で顏を出さない。すぐ指を刺して点火して燈明とし、唐和上に献上した。

唐和上は、並大ていの男でないことを知り、すぐに、身近かに引きとめること二年であった。

のち、天谷山(四川省灌県の西南)に居をかまえ、徳純寺に帰ってきた。唐和上は家人の王鍠を使者として、ひそかに証拠の袈裟を伝えていう、「この衣はダルマ祖師の伝法の衣である。則天が詵和上にたまわり、詵和上はわしにくだされた。わしは今そなたに与える。」金和上は法と証拠の衣を貰うと、もう天谷山の巌穴にかくれてしまった。

草を衣とし食を減じて、食べものがなくなれば土を食らい、猛獣が護衛するという霊験があった。

やがて章仇大夫が召して禅法を広めさせたので、浄衆寺に居をかまえて人々を教化すること二十年におよんだ。」

というのです。

どんな教えを説かれたかというと、こちらも柳田先生の現代語訳を参照します。

「「記憶をなくし、念をなくし、忘却してはならぬ。」

記憶のないのが戒である、念のないのは定である、忘却しないのは恵である。との三原則は総持門である。

さらにいう、「念が起きぬということは、あたかも鏡の面がよく万像を映すようなものである。念が起こるのは、あたかも鏡の裏に何も映らないようなものである。」
さらにいう、「念が起こったらかならずはっきり起こったと知り、滅したらはっきり滅したと知る、その知のとだえぬととろが、仏を見ることにほかならぬ。」

と説かれています、

「記憶をなくすというのは無憶で、念をなくすのが無念、忘却してはならぬというのが莫忘です。

この教えを無住禅師も受け継がれました。

「金和上は記憶することもなく、念ずることもなく、忘れてはならん、と教えているそうですが、そうですか。」と問われて、無住禅師は「そうです。」と答えています。

さらに、「この三つのことばは、結局は一つでしょうか、それとも三つでしょうか。」と問われて

「一つです、三つではありません。記憶することのないのは戒、念ずることのないのは定、妄想することのないのは惠です。」

さらにいう、「念の起こらぬのが戒門です、念の起こらぬのが定門です、念の起こらぬのが惠門です。念がなければ、戒も定も恵も完全です。」

と説かれています。

後に「山中の無住禅師、礼懺・念誦するを得ず。只だ空しく閑坐するのみ」と説かれるようになります。

この無住禅師が、ただ閑かでありながら活鱍鱍、生き生きとしていて「一切時中総て是れ禅なり」、どんな時も禅ならざるはないと説かれたのでした。

これが馬祖禅師の平常心是れ道という教えへとつながってゆくのであります。

 
横田南嶺

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