観音さまのいろいろ
修行道場でも朝のお粥に七草を入れていただきます。
一般に「松の内」というと、
「正月の松飾りのある間の称。もと元日から15日まで、現在は7日までともする。」と『広辞苑』に解説されています。
修行道場では七日の朝から通常の修行に戻ります。
独参という禅問答も七日の朝から始まるのです。
そこでその前の日に松飾りも取ってしまい、前の晩に鏡開きもします。
「鏡開き」というと、
『広辞苑』に「(「開き」は「割り」の忌み詞)
「正月11日ごろ鏡餅を下げて雑煮・汁粉にして食べる行事。近世、武家で、正月に男は具足餅を、女は鏡台に供えた餅を正月20日(のち11日)に割って食べたのに始まる。鏡割り。新年」
と書かれています。
修行道場では六日に松飾りもはずして、六日の晩に鏡開きもしてしまうので、一般よりはかなり早いことになります。
今年はうま年ということで、馬についてあれこれと調べるうちに、馬頭観音という観音様のことを思いました。
まず『広辞苑』には、
「頭上に馬頭をいただいて忿怒の相をなした変化観音。
馬頭を直接頭にするものもある。
六観音・七観音の一つ。
普通は三面で、二臂・八臂像などがある。
馬頭明王ともいい、八大明王の一つ。馬の保護神として、特に江戸時代に広く信仰された。」
と解説されています。
それでは更に岩波書店の『仏教辞典』で調べてみます。
「観音信仰の広がりの中で最も異教的な内容を加えて変化した観音。
六観音の一。
忿怒(ふんぬ)の顔容から<馬頭明王><大力持(だいりきじ)明王>の名もあって八大明王の一ともされる。
魔障や煩悩を馬口のように食いつくして衆生を救済するところから<噉食金剛(たんじきこんごう)>の名もある。」と解説されています。
六観音というのは、これも『仏教辞典』には、
「地獄・餓鬼などの六道世界に輪廻する衆生を救うために6体集成された観音。中国で天台大師智顗の提唱した大慈・大悲以下の六観音が最初だが、わが国では雨僧正仁海(にんがい)が用いたとされる聖観音(地獄道)、千手観音(餓鬼道)、馬頭観音(畜生道)、十一面観音(阿修羅道)、准胝観音(人道)、如意輪観音(天道)の6尊が主に造顕された。
天台宗では准胝観音のかわりに不空羂索観音を立てる。両尊を含めて<七観音>と称することもある。」
と書かれています。
観音様について調べていると、松原泰道先生にいただいた『観音のこころ』を書架からとり出してみました。
扉には、「慈眼」という松原先生のご揮毫があります。
松原先生は「仏教にはたくさんのほとけさまがいらっしゃるが、釈尊を除いてほとんどすべてが歷史上に実在されたお方ではない」と仰せになっています。
ほとけさまの名は「釈尊の修行やさとりの内容を表した」ものであり、ほとけの画や像は「釈尊の修行やさとりを象徴して人になぞらえた、つまり擬人化されたおすがたで、偶像でない」とも本書で説かれています。
更にお釈迦様は「私は人間に生まれ、人間に長じ、人間にほとけを得た(さとった、成仏した)」といわれたことも記されています。
では馬頭観音様はなにを表しているのでしょうか。
松原先生の『観音のこころ』にも馬頭観音について解説されていますので引用します。
「馬頭観世音菩薩(約して馬頭観音という)の原語のサンスクリットはハヤグリーヴァで、漢訳馬頭明王とも忿怒持明王ともいいます。
その名の通り頭上に馬の頭部をいただき、猛だけしい忿怒の相をしておられます。
もつとも男性的な観音さまです。
馬頭観音の怒りの形相は、私たちの感情的な怒りと違い、自分の心中にわきあがってくる邪まな考え方を悲しみ怒るすがたです。
ある人が馬頭観音さまの怒りのお顔を拝んでいいました。
「怒るということが、どんなに醜いものであるか、を自ら嘆くすがた」だと。
そのように拝めるかもしれませんが、この怒りは「勇猛心」の象徴とうけとめましよう。
それは、菩薩とは、仏道を求める修行者ですが、同時に菩薩には「大菩提(大きなさとり)を勇猛に求むるが故に、菩薩」とする「華厳経」の思想に基づくものだからです。」
と解説してくださっています。
怒りの表情を見て怒りがどんなに醜くおろかなものかを学ぶということもあるかもしれません。
仏道に邁進する勇猛果敢な精神とみてとることもできます。
馬のように煩悩を食い尽くすというのはおもしろい表現であります。
馬頭観音の頭上にある馬頭は、六道の中の「畜生道」のすくいを象徴します。
松原先生も
「畜類を擁護するのを誓願とするのが馬頭観音さまです。
中国でも日本でも民間信仰としての馬頭観音さまは、当時の交通機関としての馬による道中安全の守護として、馬の健康と安全とを祈り、また病死した馬の霊を慰めて下さる大慈の観音さまとして信じられています。」
と説いてくださっています。
更に「仏教思想には「人間は、万物の霊長だという考え方はない。人間も万物の一つである」とする」と書かれています。
生きとし生けるものに慈悲を及ぼすのでありますから、馬も大切にしたのでした。
観音さまが時に憤怒の姿で私達を救ってくださること、煩悩などを食べてくれること、動物を擁護してくれること、そんなことを思うと馬頭観音さまに一層親しみを覚えるのであります。
観音さまにもいろいろあるものです。
鎌倉には馬頭観音は少ないようですが、神戸の須磨寺様にはお祀りされているそうです。
この秋に須磨寺様にもお参りする予定がありますので、馬頭観音さまにもお参りしたいと思っています。
横田南嶺