うま年
また喪中の方にはお見舞い申し上げます。
今年はうま年です。
丙午と申します。
丙(ひのえ)というのは、五行では「火」に属します。
陽性であり、明るさや表面に現れるエネルギーを表します。
午(うま)もまた五行では同じく「火」に属します。
活動性や勢いを象徴しています。
五行というのは「中国古来の哲理にいう、天地の間に循環流行して停息しない木・火・土・金・水の五つの元気」と『広辞苑』に解説されているものです。
火に属するのは、丙も午も同じです。
火は燃える熱や光、成長を表します。
大いに熱意をもって臨みたいものです。
禅語には「快人一言快馬一鞭」という言葉があります。
聡い人は一言で悟り、駿馬は一鞭で疾走するという意味であります。
『無門関』にも「良馬の鞭影を見て行くが如し」という言葉があります。
こんな公案であります。
「世尊、因みに外道問う、有言を問わず、無言を問わずと」
これはお釈迦様にある仏教以外の思想や哲学を学ぶ者が質問をしました。
言葉でもない、かといって沈黙でもない、言葉を問うものでもない、沈黙を問うものでもない、仏教はどう説かれるのかという問いであります。
これは有言、無言を離れるだけでなく、生と死、有と無、語と黙一切の相対を離れて一句どう説くかという難問であります。
それにたいして「世尊座に拠る」とあります。
「座に據る」というのは、座について威儀を正して坐ることをいいますが、坐したまま沈黙することを表しています。
黙って坐っておられたのです。
そのお釈迦様のご様子を見て「外道賛嘆して云く、世尊、大慈大悲、我が迷雲を開いて我をして得入せしむと。乃ち礼を具して去る」というのです。
かの異教徒はお釈迦様を褒め称えられました。
世尊の大慈悲心は私の迷いの雲を払い、私を悟りの世界に入れてくださったと、丁寧に礼拝して去ってゆかれましたのです。
それをお釈迦様のおそばでご覧になっていたのが阿難尊者です。
阿難尊者はお釈迦様の晩年ずっとおそばに仕えていましたが、お釈迦様がお亡くなりになってその後に悟りを開いたと言われます。
この時にはまだ悟りの眼が開けていませんでした。
それで不思議に思われたのです。「阿難、尋いで仏に問う、外道、何の所証有ってか賛嘆して去る」と聞きました。
かの異教徒はいったい何を悟ってお釈迦様を褒め称えて礼拝して去ったのですかと聞いたのです。
それに対して「世尊云く、世の良馬の鞭影を見て行くが如し」と答えられました。
古来四つの馬の譬えが説かれています。
一には鞭の影をみて御者の心を察して走ってゆく馬です。俊敏な譬えです。
次には、鞭が毛に触れて走り出すのです。
三には、鞭が肉に触れて走り出す、四つには、鞭が骨肉に徹して初めて走り出すのです。
鞭影を見て行くというのは、言わぬ先に意を悟る上根の者を表します。
ただしここでは賛嘆しながらも、まだ意を悟らぬ阿難尊者をおとがめになっていると読み取ることができます。
建長寺の開山の大覚禅師は、「鞭影を見て後に行くは良馬に非ず。訓示を待って志を発するは好僧にあらず」と遺誡されました。
鞭の影を見て走るのではまだ遅い、人から訓示をいただいてそれで志をおこすようではもう遅いというのです
これは自ら走り出し、みずから志をおこして自ら道を求めるようでなくては手遅れだというのであります。
わずかな気配を察して俊敏に行動できるようになりたいものですが、私などは勘違いの方も多いので、慎重に歩を進めることも大事だと思っています。
馬は犬や牛についで人間ととても親しい間柄にある動物と言われています。
犬はもっとも早く親しまれていました。
犬は狩猟のときには補助をしてくれました。
見張りの役もしてくれます。人間の共同生活の仲間でもありました。
次には牛であります。
農耕には大いに役立ち、食用にもなり牛乳も飲まれました。
馬もそうでした。
馬はまた馬車にもなりました。
人間の活動範囲が大きくなりました。
鞍や鐙や轡を作って馬に乗るようにもなりました。
更には馬に騎乗して戦うようにもなりました。
馬は家畜として飼われ、乗馬に用いられ、移動の手段にも活用されて、更には農耕や軍事にも使われるようになったのでした。
馬を文明の力に変えたのがアーリア人です。
アーリア人はヨーロッパにも入りましたし、南の方にはインドにも入っています。
アーリア人は騎馬や戦車によって圧倒的な軍事力を持っていました。
インドではヴェーダの文化も作り上げました。
やがてはカースト制度を生み出してゆきました。
それに対抗して起きたのが仏教であります。
お釈迦様の出家なされる時には、愛馬カンタカに騎って城を出たと伝えられますので、馬が飼われていたのです。
馬によって文明は大きく発展したのですが、戦争にも使われていたのは悲しい歴史でもあります。
仏典には馬は心に喩えて制御しなければならないものであると説かれています。
「御者が馬をよく馴らしたように、おのが感官を静め、高ぶりをすて、汚れのなくなったーこのような境地にある人を神々でさえも羨む。」
とは『法句経』九四番にある言葉です。
あまり勢いに乗るのではなく、心をよく制御し調えて、着実に一歩一歩歩みたいものであります。
今年もどうぞよろしくお願いします。
横田南嶺