量か質か
いろんな意見があろうかと思います。
人それぞれの受け止め方があっていいと思っています。
私が長年坐禅をしてきて思ったことを、思いのままに語っています。
それを甲野陽紀さんがずいぶん高く評価してくださっていてこちらが恐縮しているくらいです。
まえがきにもこんなことが書かれています。
「対談では、期間を空けて数回にわたってお話をさせていただいたのですが、そのたびに大小様々なハッとする瞬間に出会うことになりました。
とくに、横田管長があることを語られたあとに、ふっと補足するように、さりげなく言われたひと言がいつもあとになって響いてくるのです。
「量を積むこともまた必要なことだと思うのです」と何気なく話されたときもそうでした。その言葉は大袈裟ではなく私には衝撃的に響いたのです。
というのは、それまで私が自身の身体技法研究の基礎的な考え方としてきた「量より質、そして質のある量」という考え方の盲点を突かれたような気がしたからです。」
と書いてくださっています。
この量と質との問題は本書の中でも論じています。
坐禅などもそうです。
私などはただ足の組み方だけを教わって、あとはただ長い時間坐り続けてきました。
そうすると自然と体が工夫して坐禅に馴染んできます。
はじめは足の痛いのを我慢するだけだったのが、何年も坐禅しているうちに変化してきます。
十年くらいして、坐禅の喜びが感じられるようになったものです。
こういう修行もまた尊いものです。
毎朝行っている五体投地もそうです。
ただひたすら回数を重ねていくとそれで体が調ってゆきます。
ただし、やはり質も問題にしないといけません。
私は五体投地の方法については野口法蔵先生に教わりました。
野口法蔵先生は、当時七百万回を超える五体投地をなさっておられました。
今はもっと数をこなしていらっしゃいます。
そんな野口法蔵先生のことを知って、どうしたら膝を壊さずに五体投地が出来るのだろうかと不思議に思って、教わりに行ったのでした。
そこで実際に教わってみて、なるほどこれは膝を壊さないように工夫されていると分かりました。
一日百八回を行うといいと教えていただいて、それ以来、毎日欠かしたことはありません。
一日百八回を三年間続けると十万回を超えることになります。
十万回というのはまずひとつの目安だそうです。
この秋にまた野口法蔵先生のところを訪ねてお話をうかがいましたが、その折に十万回を達成したことを褒めてくださいました。
こういう行はやはり量を重ねることによって、身体にも変化があります。
ただし質を工夫しないとやみくもにやるだけでは、体を壊すことにもなりかねません。
もっとも野口法蔵先生はいろいろ工夫を重ねてこられたのだと察します。
坐禅は体を壊すことは少ないものですが、しかし気をつけないと膝を痛める方がいらっしゃいます。
膝を壊してしまうと生涯にわたって不自由になります。
私は幸いに小学生の頃から坐禅を始めて、学校の授業でもイスの上に正坐するか結跏趺坐をするかしていましたので、膝を壊すことなく今日に到りました。
しかしやはりどうしても腰を張ってしまう癖がついていて、長く坐ると腰が張るようになっていました。
坐禅は安楽の法門というからには、安楽でなくてはならないと思って工夫を重ねてきたものです。
そのいろんな工夫の成果を今の修行僧達には伝えたいと思っています。
即ち甲野陽紀さんのおっしゃる「質のある量」を重ねてほしいのです。
何も坐禅などのような特別な修行に限ったことではありません。
毎日私たちは歩いています。
その歩き方が偏っていたりするとやはり膝に負担をかけてしまします。
山に登ったりするとよく分かります。
膝に負担のかかる登り方、くだり方をすると、膝が悲鳴を上げることになります。
毎日私たちは歩いていますが、その歩き方もとても重要です。
身体の研究をしているといろんな人の歩き方が気になるものです。
その歩き方ではお年を召してから膝が具合悪くなる可能性があるのではないかなと思うことがあります。
坐禅の時には良い姿勢をされていても会議などでイスに坐ると姿勢が崩れてしまうのをよく見かけます。
また電車などの乗り物に乗ると腰を痛めるような姿勢をされていることもよく見かけます。
私が取り組んでいるイス坐禅や寝る禅は、この日常の姿勢を調えていこうと考えているものです。
先日のイス坐禅の会にもニューヨーク在住の方がご参加されていて、そのあと帰りのフライトで、十二時間ほとんど背もたれを使わずに坐ることができて、疲れも少なかったという感想をいただきました。
自然とそうなるのがいいのです。
背もたれを使わないぞとがんばるのではありません。
疲れたら背もたれにもたれかかって休もう、休んだら自然と背もたれを使わずに坐っているというくらいがいいと思っています。
寝る禅では立つ姿勢ががらりと変わります。
立つ姿勢が変わると、歩く姿勢も変わります。
立つとか歩く、そしてイスに坐るというのは現代の生活の大半を占めているものなので、それらを質のある量へと工夫していくと、毎日の暮らしで体が調い心も調っていくのです。
これこそが普段の当たり前の暮らしがそのまま道であるという禅の本来の教えの実践だと思っているのです。
横田南嶺