やはり足の指から
この方はいつも私のイス坐禅や布薩の会に出てくださっている方のようです。
今年御孫さんがお生まれになったそうです。
その御孫さんがはじめて寝返りをしたという話です。
その寝返りの様子をご覧になっていたらしいのです。
回るまえには、まず左足の親指をうまく使って床を押して、体軸を少し回して、そこで右手を口元に行って更に体軸をひとつにまとめてくるっと寝返りしたというのです。
イス坐禅や布薩で私が足の指を使うことを指導させてもらっていますので、そのおかげで気がついたと書かれていました。
私はそのお便りを聞いて感動しました。
そして自分に足りないことを教わった思いがしました。
それはなんといってもまず足の指で床を押すことから寝返りの動きが始まっているということです。
私などは足首や膝を立てることから始めるように思ってしまいます。
起点は足の親指だったのです。
足の親指で床を押すことから動きが始まるので、頭から足の先までが一つにまとまってくるりと動くことができるのです。
足首や膝から使う時点で、足先がおろそかになってしまっています。
これだと思いました。
まず朝起きる時にも、足の親指で床を押してそこから起き上がるようにしようと思ったのでした。
足の親指で床を押す、これは原点だと思いました。
『維摩経』には、心浄ければ国土浄しということが説かれています。
心が浄らかであれば、その国も浄らかだというのです。
原文は、其の心の浄きに随って仏土浄しとなっています。
しかし、実際には清らかな心を起こして修行している菩薩や仏様がいらっしゃるのに現実の世界は、汚れています。
そんなことを舎利弗が疑問に思われました。
心さえ清浄であればこの世界は浄らかになるというのならば、すでにそういう菩薩行を行じられた心の浄い仏陀がおられるこの世界が、どうしてこんなに汚れたものなのであろうかという疑問です。
仏陀は舎利弗に、太陽や月というものは清らなものなのに、愚かな者には見えない、それは目が覆われているからだといいます。
世界はもともと素晴らしく、清らかなものなのに、舎利弗、にはそれが見えていないだけなのだというのです。
梵天たちもこの世界は清らかだと舎利弗に説くのですが、舎利弗は納得しません。
そこで仏陀は、ご自身の足の指で大地を押されたのでした。
原文では「佛足指を以て地に按ず」となっています。
「按」はおさえるという意味です。
足の指でこの大地をおさえると、なんとこの世界が無量の宝石で美しく飾られた世界として現われたという話であります。
なんとも不思議な物語でありますが、この物語からも大地を足の指で押すということの大事さを学ぶことができます。
抽象的な概念ではなく、足の指で地面をおさえることによって大地が輝いて見えたのです。
心が開けたということになります。
私なども西園美彌先生にであって、毎日足指を調えるようにしてきました。
足で床を押すことによって身体感覚が変わって、その瞬間に世界が明るくなるという体験を何度もさせてもらっています。
それでもまだ赤ん坊にも及ばないところがあるのです。
現代の生活では硬い靴を履くことが多くなっていますので、どうしても足の指が動かなくなっています。
立っているときも足の指は大いにはたらいています。
特に足の親指は、立っているときでも安定とバランスを保つ要であります。
親指は足裏で最も内側であり前方に位置しています。
親指は踵や小趾球とともに「三点支持」をつくっています。
拇指球、小指球、踵の三点で立つということは西園先生に毎回教わっていることです。
体重が前後左右に揺れたとき、親指は前方や内側の支点として微調整を行ってくれています。
そして親指が床を捉えていると、土踏まずが保たれます。
それで姿勢が安定します。
歩くときも親指が大事です。
歩くときには体重が、踵や小指球から親指へと移動します。
親指がしっかり反ることで地面を強く押せるのです。
その結果、前へ進む力が生まれます。
もっとも足の親指は意識しやすいのですが、三点で立つという時の小指球を意識するのはかなり難しいものです。
それでも毎日の修練によって、この頃は小指球もかなり意識されるようになりました。
足の指に意識をもって調えていくことで体のバランスが整って膝の負担も少なくなります。
かつて西園先生にお世話になる前には、私もそろそろ膝に違和感を覚え始めていたのでした。
それが今やすっかり解消しています。
毎日修行僧たちに接していて、修行僧はいつも素足ですので、足の指をよく見ることができます。
足の指を使えていないとまだ体が不安定です。
坐ったときにも安定感が足らないことが分かります。
毎日足の指を動かすことだけでも体には大きな変化があるものです。
足の親指は立っているときには体をしっかり支えてくれていますし、動くときには指から動いてゆくのです。
寝返りも足の指からとは大いなる学びをいただきました。
毎日の足指の調整にも一層心を込めて行おうと思います。
いろんなところに出かけるとたいへんなこともありますが、学ぶこともあります。
一つ学ぶことがあれば、それだけでじゅうぶん有り難いのです。
横田南嶺