日常の動きが素晴らしいはたらきに
「今呼吸しているでしょう」
こんな簡単な問答を紹介して笑っていました。
井上欣也さんにお越しいただいて、修行僧達に講座を開いてもらいました。
先月に続いて二回目であります。
先月の井上さんの講座がとても好評で、修行僧たちの方から是非とももう一度お願いしたいということで、無理を行ってお越しいただいたのでした。
講座の前に控え室で、お茶を差し上げていろんな話をします。
雑談をしているのですが、そんな中で日常の何気ない動作に奥深いものがあるという話題になったのでした。
そういう視点は私ももっとも関心のあるところであります。
ただ立つ、ただ坐る、ただ呼吸する、なんの意識もせずにただスッとするのです。
ここに実に精妙な働きがあります。
坐るにしても、赤ん坊の頃には、誰に教えられるでもなしに、ハイハイしていてすっと坐ったのでした。
それからスッと立ち上がったのでした。
それが一番きれいで素晴らしい働きであります。
たとえば立つというのはとても難しいものです。
人間の体のような細長くて頭の重いものを地面に立てようとすると難しいのです。
そういう難しいことを、足の裏や足の指や、からだのいろんな部位が倒れないように精明なバランスを取って立っているのです。
人が立つという行為は、足裏で地面を感じ下肢で支え骨盤で重心を整え体幹で積み上げ首で頭を載せるという、全身の運動でもあります。
それには約二百以上の筋の協調によって成り立っています。
立つとは「足首・股関節・体幹」を同時に制御して行われているのです。
特に足首に関わるヒラメ筋や、股関節に関わる大殿筋・中殿筋、体幹をささえる腹横筋・多裂筋などが大事になっています。
呼吸をするにも同じようにたいへんな運動であります。
呼吸というのは横隔膜を中心に、肋骨・腹・背・骨盤が同時に動く全身運動であります。
横隔膜がなんといっても呼吸の主役です。
息を吸うと横隔膜が下がり、吐くとあがります。
肋間筋も大事です。
肋間筋は肋骨と肋骨との間にある筋肉で、外肋間筋が胸郭を広げ肋骨を引き上げる息を吸うはたらきです。
横隔膜と協働しています。
内肋間筋は呼気の要です。
呼気と体幹安定の中枢となっています。
ほかに腹直筋、内腹斜筋、胸鎖乳突筋、脊柱起立筋なども関わっています。
それに骨盤底筋群も、横隔膜と上下で協働していて安定した呼吸の基盤となっています。
そんな素晴らしい精明な働きをしています。
これは筋肉の上でのことですが、しかも空気を吸って体に必要な酸素などを取り入れて、二酸化炭素などを吐き出して、体の中のバランスを見事にとってくれています。
ただ大きくなるにつれて、姿勢が崩れて呼吸が浅くなってしまったりしているので、いろんな呼吸法が必要になっているのだと思います。
私は、呼吸法は新たに努力して特別な能力を身につけるというよりも本来行っていた素晴らしい呼吸に気がつく為のものだと受けとめています。
前回の井上さんの講座では正坐して体を完全に伏せてしまって、そこからゆっくり体を起こすというのを行いました。
これが修行僧たちの間でも好評でした。
上体の力が抜けて、自然と腰が立つようになります。
それを今回もより一層丁寧に行いました。
これは二人一組になって一人は正坐してうつ伏せになり、もう一人の者が、骨盤が回転して起き上がるように誘導します。
すると骨盤が立ってくると同時に、腰の骨、胸、背中の骨がひとつひとつ順番に積み上がっていくのです。
とても自然な状態で腰を立てることができます。
腰や背中に無理な緊張がありません。
前回よりも一層詳しく行いました。
箒で普段掃除をしていますので、その箒の柄の部分がたくさん残っています。
その竹の棒を使ってもいろんなワークを行いました。
竹の棒を股関節に挟んで、お尻を後ろに引いていくというのは股関節の引き込みを一層はっきりさせてくれます。
竹の棒を使ってふたりでいろんな動きをしたのですが、棒を握らない方が力がでるというのを実感しました。
しっかり握った方が力が入りやすいように思いますがそうではないのです。
棒に手を添えているくらいの方がいいのです。
そして体の中心を動かすようにするのです。
そんなことを教えてくれていましたので、私は井上さんにこれを私たちの日常の掃除に応用できるようにご指導をお願いしました。
箒も手でぎゅっと握るのではなく、軽くもって、股関節を少し引き込むようにして、腕だけで箒を動かすのではなく、腰も使いながら掃くというように教えてくれました。
こういう日常の動作に使えることが大事であります。
講座でいろんな身体の感覚を学んでも日常の歩き方、掃除の仕方、物の持ち方などが変わらないと何もなりません。
日常の動きの中で、素晴らしいはたらきがあるのです。
日常の立ち方、歩き方、箒の使い方、そのひとつひとつが道にかなったあり方になるように工夫してもらいたいと思っています。
すると自然と日常の動作や坐禅が連綿として継ぎ目無く、体を調え心を調えて道にかなうようになるのです。
講座の最後にみなで静かに坐りました。
動いた後の余韻を感じるのが大事なのだと教えてくれました。
すぐにパッと動くのではなく、余韻を感じるのです。
次の日の朝や、その次の日くらいまで体にその余韻が残ります。
その体の感じを味わっていくと日常の動きも変わっていくのだと思います。
講座のあとは井上さんと一緒にお昼ご飯をいただきながら、感想を伝えたり質問をしたりしていました。
こうしていろいろ学びながら、皆の修行が少しでもより良い方向へと進んでほしいと願っています。
横田南嶺