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臨済宗大本山 円覚寺

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2025.12.19
今日の言葉

「生と死 」を考える

先日は朝日カルチャー横浜教室の講座にお招きいただきました。

最近は年に一回お話させてもらっています。

毎年いろんなテーマをいただいて話をしています。

今回は『「生と死」を考える』というテーマであります。

講座の紹介文には、

「人は生まれては必ず死を迎えます。

生まれては死ぬ、この繰り返しが人間の営みとも言えます。

それだけに生とは何か、死とは何かは永遠の課題でもあります。

死を問いとして、それに答えるに足る生き方を教えてくれるのが仏教の智慧です。

生と死の問題に真っ向から取り組むのが禅の修行です。

古今の禅僧の生と死についての考えやその実際を参考にしながら学んで参ります。」

と書いています。

いろんな資料を用意して一時間半かけてお話させてもらいました。

死とは何かという問いに答えてくれるものを求めて今日まで歩んできたのでした。

その答えを私は禅の道に求めました。

そんな死について考えるようになった経緯から話をしました。

人の記憶はいつ頃はじまるものでしょうか。

その人その人によってさまざまでしょうが、私は満二歳の時に祖父が亡くなったことが、記憶のはじまりです。

一緒に暮らしていた祖父が亡くなり、葬儀をおこないました。

とりわけ火葬場に行ったときのことをよく覚えています。

この頃のようなきれいな火葬場ではなく、薄暗く不気味な「焼き場」でした。

手に黒い手っ甲をはめた職員が祖父の棺桶をかまどにくべた様子を見ていました。
今のように控え室でお茶を飲んでいる間に焼けるわけではありませんでしたので、一度家に帰ったと思います。

その折りに火葬場を出て振り返ってみると、煙突から白い煙が上がっていました。

その煙を母に手を引かれながら眺めていました。母は私に「おじいさんはあの白い煙になってお空に昇っていくの」
と教えてくれました。

初盆の時のこともよく覚えています。

私の生家のそばには熊野川が流れています。

お盆の終わりには、熊野川の川原で各家がご先祖を送りました。

銘々送り火をたいてお線香を供え、更にはご先祖がお帰りになる途中にお腹がすいてはいけないからと、おにぎりのお弁当もつくって共に川に流してお送りしました。

一家の主が亡くなると、船を造ってその船に灯籠や提灯を飾って御霊を送りました。

私の生家でも何日も前から家の前で船を造っていました。

いよいよお盆の最後に川原で船にたくさんの提灯や灯籠を灯して流しました。

その時にも母は私の手を引いて「おじいさんはあの船に乗ってあちらの世界に帰るの」と教えてくれました。

ところが、その船は船の専門家ではなく素人の造ったものだったためか、わずか数メートル進んだだけで、私たちの見ている前でズブズブと沈んでしまいました。

その様子を見ながら子供心に「これではいったいおじいさんはどうなるのか」と心配したものです。

「お空に帰る」と言ったり「船に乗って帰る」と言ったり、はて、おじいさんはどこに帰って行ったのか、実に不思議に思いました。

という次第で、「人は死ぬ」という厳然たる事実にであったのが私の記憶のはじまりです。

そしてどこに行くのか分からない、漠然とした不安を持っていました。

更に小学校に入って、同じクラスの同級生が白血病で亡くなりました。

おじいさんのようなお年寄りではなくて、同じ年の子の死ですから、これにはこたえました。

私は「人は死ぬ」という事実と共に、その「死はいつ訪れるか分からない」という事も知ったのでした。

人は死ぬ、やがて家族とも別れなくてはならない、そしてそれはいつ訪れるか分からない、不安は更につのってゆきました。

ところがそういうことは学校ではまったく教えてくれません。

そこで天理教の教会にも行ったり、また浄土真宗のお説教を聞きに行ったりしました。

そんな頃にであったのが禅のお坊さんであり、坐禅でありました。

そこから仏教を学んでいくようになりました。

お釈迦様は

「わたしは思ったことである。愚かなる人々は、自ら死する身であり、死することを免れないのに、他の死せる者をみると、おのれを忘れて厭い嫌う。考えてみると、わたしもまた死ぬる身である。死ぬることを免れることはできぬ。それなのに、他の人の死せるをみて忌み嫌うということは、これはわたしにとって相応しいことではない。比丘たちよ、わたしは、そのように思ったとき、わたしの生存の憍逸はことごとく断たれてしまったのである。」(増支部経典)と仰せになったと学びました。

自分と同じような思いを抱いていた方が遠い昔にもいらっしゃったのだと知ったことは、驚きであり、喜びでありました。

お釈迦様が悟りを開かれて初めて発した言葉とされる教えが伝わっています。

「この存在(よ)なる幻の屋舎(いえ)を
誰ぞ作りし
さがし求めて
ついに究めず
かくて数多き存在(いのち)の
輪廻をば経きたれる
この生もかの生も
ひとしく
苦しみなりき

この幻の家の作者(つくりて)よ
いまこそ汝を見出せり
この上にて よも
汝はふたたび家をつくらじ
すべて汝の柱材は折れ
棟梁(はり)はこわされたり
かくて
心すでに造作(はからい)をはなれ
愛欲の滅尽(はて)にいたりぬ『法句経』(一五三、一五四番)

苦しみの生涯を繰り返すことを、家を作ることに喩えています。

苦しみの原因は何かというと、煩悩、渇愛であります。

煩悩の原因は何かというと、自我意識であります。

「自分がかわいい」「自分はいつまでもいてほしい」と執着する心であります。

この自我が崩壊してしまったのであります。

自我意識あるが故にお互いは苦しみます。

死の苦しみは、死にたくないから起きます。

しかしその自我意識なるものは、はじめから堅固なものとしてあるのではないのです。

「無明(むみょう)」という、何も分からない状態から、意識が生まれて、自他を分けて自分のものと思い込み、ほかと比べて、執着するようになって、その執着が争いの原因になり、苦しみの原因になっているのです。

この自我意識、煩悩の消滅こそが苦しみから解脱でありました。

後に大乗仏教では単なる煩悩の消滅を説くだけではなく、涅槃の世界を無量の命とか阿弥陀如来とか、あるいは仏心と説くようになりました。

そこで人は仏心の中に生まれ仏心の中に生き、仏心の中に息を引き取ると説くようになったのです。

仏心の中に帰るのだということが肚に落としこんでいれば、どんな死を迎えようと嫌うことはなくなると話をしました。

むしろ禅僧たちは、その仏心を明らかにして敢えて従容として死を迎えるのではなく、苦しんだりすることさえもありました。

「吉野山 ころびても亦 花の中」という柳宗悦の句があります。

「考えると、ころびつづけの身ではあるのだが、実はころぶそのところが花の上なのである。立とうが坐ろうがつまづこうが、倒れようが、どんなときでもところでも悉くが花の中の出来事にほかならぬ。実は荒涼たる人の世は、万朶の吉野山であったのである。」

という言葉を紹介したりしました。

そんな話をしてきたのでした。

 
横田南嶺

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