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臨済宗大本山 円覚寺

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2025.12.17
今日の言葉

托鉢に思う

先日とある企画に協力していた撮影は二日間にわたりました。

二日目も朝四時のお勤めから撮影が入りました。

スタッフの方々もたいへんだと思います。

寒い本堂を開け放ってお経を読みます。

その裏方で食事をする支度がなされています。

竈に薪をくべてお粥を炊くのであります。

そして坐禅の時間となりました。

円覚寺の修行道場の坐禅堂は、照明がいくつかの段階で分けてできるようになっています。

坐禅中はほのぐらい照明にできます。

お茶を飲んだりするときには、少し明るくできるようになっているのです。

初日の撮影のときに、あまり暗いと写らないだろうからと思って、明るい照明にしていたのでした。

終わったらカメラマンの方がもっと暗い方がいいと言われました。

そこで普段の坐禅の時に使っているほのぐらい照明にしたのでした。

そしてまた朝のお粥を皆でいただきました。

そのあとは、托鉢に出ることにしました。

托鉢も大事な修行であります。

十四名ほどで円覚寺の門前を托鉢しました。

十数名の修行僧が網代笠をもって出かける様子というのは壮観であります。

本来ならば、境内の隅っこを歩いて出ているのですが、今回は撮影のために山門から出ていくことにしました。

そして門前の家を一軒一軒お経を読んで回るのであります。

こういう方法は京都の町では行っていません。

托鉢のことを京都では「分衛」とも言います。

これはサンスクリットで「乞食」という言葉を音写したものです。

これを臨済宗では托鉢と同じ意味に用いています。

京都の市内では、七つの僧堂がありますので、一軒一軒の家の前に立ってお経を読んで托鉢することはしないように申し合わせています。

ただ道を「ほー」と大きな声をあげて歩くだけです。

その「ほー」という声を聴いて家から出てくださってお喜捨くださるのです。

だいたい三人くらいで托鉢をしていました。

大勢の修行僧がいても、そんな大挙して托鉢することはないのです。

鎌倉では一軒一軒の家の前に立って四弘誓願を読んでいます。

そのときに「本日は円覚寺僧堂より托鉢にあがりまして―」と言ってから、衆生無辺誓願度と唱えてゆくのです。

一軒一軒丁寧にお経をあげるのです。

門前の町ですと、毎月托鉢に来るのを楽しみに待っていてくださる家もございます。

幼い子供がいるお宅ではわざわざその幼い子に小銭を持たせてお喜捨くださることがよくあります。

こういうのも有り難いことです。

京都ではただ「ほー」と言って道を歩くだけですので、そんなに大勢で歩いても効率よくはありません。

三人くらいで間隔をあけて歩きます。

最初の人の声で気がついて後の人にお喜捨するのです。

鎌倉では一軒一軒家の前でお経を読みますので、大勢で行った方がいいのです。

十数名が托鉢にでてお経をあげるのは迫力があるものです。

初めて托鉢に出た日のことは今も覚えています。

京都でありました。

鴨川の畔を托鉢して歩いていました。

ちょうど桜がきれいに咲いていました。

しかし、その時は京都に初めて来たので、その川が鴨川だということも知らなかったのです。

大きな川だと思っていただけでした。

鎌倉では明月院の前を托鉢したのでした。

その通りがまた鎌倉らしい風情のある町並みであります。

木々がたくさんあって緑が豊かであります。

大きな家が多くてその一軒一軒の玄関先でお経をあげさせていただくのです。

中から出て見える方も丁寧に拝んでお喜捨くださいます。

なんとも言えない有り難さを感じたものでした。

撮影の方にタイの方がいらっしゃって、終わった後に、タイでは托鉢のあとに食事をするので、ここでは托鉢の前にお粥を食べているので少し驚いたと言われました。

托鉢はもともと食べ物をいただいていたのでした。

今鎌倉ではお金をいただくのがほとんどとなっています。

南方ではまだ食べ物をいただくのです。

これがブッダ以来の正式な方法であります。

托鉢でお金を受けてもいいかどうかというのは仏教では大問題となったことがありました。

仏教の教団が分裂する原因となったことのひとつにお金を受けてもいいかという問題も入っていたのでした。

認める方は多人数であったので「大衆部」と呼ばれました。

認めない厳格な方々は少人数で長老上座が多かったので上座部と呼ばれるようになったとも言われます。

この分裂については実に諸説あるものです。

とりわけ禅宗では南方の仏教とは大きく異なり、作務という労働をするようになりました。

畑を耕して自給自足に近い暮らしをするようになったのでした。

それで野菜などは自分たちで作っていただいているのです。

それにお米を貯えてもいいという考えになりましたので、朝お粥を炊くことができるのです。

もともとは一切たくわえてはいけなかったのでした。

たくわえると執着になるからです。

そんな次第で全て托鉢でいただいたものを食べて暮らす南方の仏教と、お米を貯えたり畑で野菜を作っている禅宗では異なるようになっています。

撮影のあと、スタッフの方に感想を伺うと温かに敏感になったと言われていました。

私が寒かったでしょうと申し上げたのでそう答えてくれたのでした。

たとえば朝板の間に正坐してお粥をいただくのですが、修行僧が坐禅堂に戻っていったあと、その板の間を歩くと温かみが残っていると感じたというのです。

一杯のお粥のあたたかさが身にしみたとか、お日様の光がこんなに有り難いと思ったことはないと仰っていました。

これは修行のはじめの頃に一番感じるものです。

朝かじかんだ手でお粥を一杯いただくと、それだけで全身あたたまり今日一日生きていこうという気力がわくものです。

お日様の光のあたたかさ、日だまりのあたたかさには心癒やされるのです。

これも寒い中でこそ気がつくものなのです。

暖かい中で暮らしていると気がつかないものです。

托鉢にも随行してくれたスタッフの方は鎌倉の町に托鉢の修行僧がよく似合っていて、町の中にとけ込んでいて素晴らしいと感じたと言ってくれていました。

私たちも托鉢でお布施を頂戴して、それが身も心も養ってくれるのであります。

 
横田南嶺

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