鹿と法輪
鹿の絵が描かれているものは、いくつかございます。
なにぶんにも円覚寺は、開創の折に鹿が現れて開山仏光国師の説法を聞いたと伝えられています。
鹿は神道でも大事にされています。
春日大社の神鹿はよく知られています。
神様が鹿に乗ってきたと伝えられているようです。
奈良公園の鹿は有名です。
仏教でも鹿は大事にされています。
お釈迦様が初めてお説法されたところを鹿野苑と申します。
鹿がたくさんいたところであります。
岩波書店の『仏教辞典』には鹿野苑について書かれています。
「ムリガダーヴァの漢訳名。略して<鹿苑>ともいう。
ブッダ(仏陀)が成道の後、5人の修行者に最初に説法(初転法輪)して弟子とした地。
ここから五時八教の第二、阿含経の説時を<鹿苑時>と呼ぶ。
<リシ‐パタナ>(聖仙の住むところ)とも呼ばれる。
ガンジス河中流域にあるヒンドゥー教の聖地ベナレス(ヴァラナシ)市(波羅奈国(はらなこく))の北東約7キロメートルにあり、現在のサールナート。
紀元前3世紀のマウリヤ王朝から12世紀のパーラ王朝に至るまでのストゥーパ(塔)、僧院の遺構が出土し、インドの国標とされるライオン像、刻文を有するアショーカ王(阿育王(あいくおう))建立の石柱がある。
なお、日本では<鹿苑>を<かせぎのその>と訓読し、釈教歌や法文歌にも出てくる。」
と解説されています。
初転法輪はお釈迦様が初めてお説法されたことを言います。
ブッダガヤで悟りを開かれて、そのあとかつて共に修行していた五人に法を説こうとしてサールナートに行ったのです。
これがそんなに近くはありません。
二百五十キロほどもあります。
インドに仏跡巡拝をした折に、バスで七時間かかったことを思い出します。
お釈迦様は七日かけて歩かれたのでした。
それほど歩いてかつての修行仲間に真理を伝えようと思われたのです。
またお釈迦様の前世の話にも鹿が出てきます。
お釈迦様が前生において鹿であったお話です。
その国の王様は、肉を食べることが大好きで、毎日のように鹿狩りをしていました。
鹿狩りのたびに、多くの鹿が殺され、傷ついたのでした。
そこで鹿の王は考えて、王様に進言しました。
このような鹿狩りを続けられると、多くの鹿が無駄に死んでしまいます。
これからは一日一頭の鹿を差し出しますので、いたずらに鹿を傷つけることはおやめ下さいと頼みました。
それからは、毎日順番で一頭の鹿が、王のために献上され料理人が調理をしたのでした。
ある日の事、一頭の子供を宿した母鹿が順番に当たってしまいました。
その母鹿は、鹿の王に、今自分は子を宿しているので、どうか子を産んでからにして欲しい、自分の順番を飛ばしてくださいと頼みました。
鹿の王は、他の鹿に替わってもらうわけにはいかないと、自らが王のもとに行きました。
鹿の王が現れたのを見た料理人は、驚いてすぐさま王様にこのことを告げました。
王様は、鹿の王になぜおまえはここに横たわっているのか問いました。
鹿の王は、子を宿した母鹿のことを話しました。
そして自分が身代わりになっているのだと告げたのです。
そのことを聞いた王様は、そんな忍耐と慈悲の心を具えた者は、かつて人間の中にも見たことがないと言って、鹿の王と母鹿の命を救うことを約束しました。
更に鹿の王は、われらの命はたすかりましたが、他の鹿達はどうなりますかと問うと、王様は、他の鹿達も安全を確保してあげると約束したのでした。
そこで多くの鹿が、その村で幸せに暮らすようになったという話であります。
その鹿の王こそが、前生のお釈迦様であったという話です。
また『ジャータカ』には金色に輝く鹿の話もあります。
ベナレスでブラフマダッタ王が国を治めていた時のこと、ある大金持ちの子でマハーダナカという名の者がいました。
親はこのマハーダナカを大事に育て勉強させるのもかわいそう、自由気ままに育てようと考え、人の道として何一つ教えませんでした。
マハーダナカは大酒飲みになり、博打に明け暮れました。
やがて資産を使い果たして借金まみれになります。
死のうと思ってガンジス川に飛び込みましたが、苦しくなって叫び声をあげました。
その悲鳴を聞いた金色の鹿が、川に飛び込みマハーダナカを背負って岸辺にあがりました。
そして金色の鹿は、自分のすみかに連れて行って食べ物を与えてあげました。
やがてマハーダナカが元気になると、ベナレスへの道まで案内してあげました。
そのときに、金色の鹿は自分がここにいることを絶対に人に教えないでほしいと頼みました。
その頃王妃が金色の鹿が説法している夢をみました。
金色の鹿を是非とも探して説法して貰ってほしいと王に頼みました。
王様は、金色の鹿の居場所を教えてくれた者には千金入りの箱を与えるとお触れをだしました。
それをみたマハーダナカは王様に金色の鹿の場所を教えてしまいました。
王様は家来に命じて金色の鹿のいる林を取り囲ませました。
金色の鹿は王様に近づいて、誰が自分の居場所を教えたのか聞きました。
マハーダナカがそうだと聞いて金色の鹿は裏切りの行為を非難します。
王様もマハーダナカに怒りを覚えて殺そうとします。
しかし金色の鹿は王様に殺生を止めさせました。
王様は金色の鹿になんでも望みを聞いてあげようと言います。
金色の鹿は、「全ての鳥や獣を殺したり傷つけたりしないように」と願い、王様もその願いを聞き届けました。
ところが、今度は鹿が増えてしまい、人の作った穀物を食い荒らすようになりました。
金色の鹿は、これから人間の作った穀物を食べてはならないと鹿の群れに言い渡しました。
その後鹿の群れも穀物の畑を荒らすことをしなくなりました。
そんな話があります。
初転法輪では、まだお釈迦様のお姿を画かない頃、法輪と鹿の絵を描いていました。
私が先日着用した袈裟にも法輪と鹿が画かれています。
お釈迦様の成道会でありましたので、成道のあと鹿野苑でお説法なされた事に因んでその袈裟を着けたのでした。
横田南嶺