icon_arrow-r_01 icon_tryangle icon_search icon_tell icon_download icon_new-window icon_mail icon_p icon_facebook icon_twitter icon_instagram icon__youtube

臨済宗大本山 円覚寺

臨済宗大本山 円覚寺

  • 円覚寺について
  • 拝観案内・アクセス
  • 境内案内
  • 年間行事・法要
  • 管長のページ 2025.12.14 更新
  • 法話会・坐禅会・
    写経会
  • 御朱印・御祈祷
  • 円覚寺売店
  • お知らせ
  • Q&A
  • リンク

© 2019 ENGAKUJI
ALL RIGHTS RESERVED.

お問い合わせ

2025.12.12
今日の言葉

自分ファースト

仏教伝道協会というのがあって私も最近その理事を拝命しています。

いろんな活動をしているのですが、「輝け!お寺の掲示板大賞2025」というのを表彰しています。

お寺の掲示板に掲げられた標語を顕彰するのであります。

SNSを通じて寄せられた3408作品の中から、言葉のありがたさやユニークさ、インパクトなどで評価が高かった16作品が選ばれるのであります。

今年の大賞は、鹿児島県南さつま市・顯證寺の

「自分ファーストという貧しさ」という言葉です。

仏教伝道協会の講評には、

「仏教の教えをまず自分事として捉えることは重要ですが、仏教の慈悲の精神においては、必ずしも自分がファーストではありません。人々が他者への思いやりを持った寛容性豊かな社会になることを願って、この作品を大賞とさせていただきます。(今年60周年を迎えた「仏教伝道協会」は仏教の慈悲と共生の思想を広めることが活動目的の一つになっています)」と書かれています。

その顯證寺様からは、特別賞に「瀕死(ひんし)の一生」というのも選ばれています。

浄土真宗本願寺派のお寺の坊守(住職の妻)で、僧侶でもある方が書かれたそうであります。

「瀕死の一生」には「この一生は今まさに死に瀕した状態の連続にある」という深い警醒を与えてくれるという講評があります。

自分ファーストというと、釈宗演老師(1859~1919)の言葉を思います。

宗演老師が今からもう百年以上前に、

「アメリカ合衆国から自分第一(ファースト)という個人主義が輸入されて恐ろしい勢いで跋扈しはじめた。この思想の勢いは防止することができない。ナニモ個人主義カニモ個人主義といちいち自己を中心にして割り出す。これが高じてくると危険思想にもなるのです。」(釈宗演『禅に学ぶ明るい人生』国書刊行会)と語っておられるのです。

私は、この言葉をよくいろんなところで紹介させてもらっています。
聞かれた方の多くが、百年も前から言われていたのですねとか、まるで今の時代を言っているのかと思うなどと言われるものであります。

もっとも誰にとっても自分自身は大事なものです。

それはたしかなのです。

仏典にも有名なコーサラ王の話があります。

お釈迦様の時代の話です。

ある時コーサラのパセナーディ王が、王妃とともに、城の高楼に上って、眼下に広がる町を眺めていました。

そして王妃に問いました。

この広い世に、自分自身よりも愛しいと思うものはあるだろうかと。

王妃は、しばらく考えて、この世に自分よりも愛しいと思われるものはありませんと答えました。

王もまた、そうとしか思えないと言って、二人でお釈迦様のもとを訪ね、自分たちの考えは間違っていないか伺いました。

するとお釈迦様が仰せになりました。

「人の思惟は何処へも行くことができる。されど、何処へ行こうとも、人は己れよりも愛しきものを見いだすことを得ない。それと同じように、すべて他の人々にも自己はこのうえもなく愛しい。されば、おのれの愛しいことを知るものは、他のものを害してはならぬ。」(相応部経典)というのです。

誰しも自分が大事なのだから、そのことを思って誰かを害するようなことはしてはならないというのです。

これが思いやりというものです。

もっとも時にはわが身を犠牲にしてでも人の為に尽くさねばならないような時もあるかもしれません。

孔子は「身を殺して仁を成すあり」と言われています。

禅門にも老師という方がいらっしゃっいました。

京都南禅寺の僧堂師家をつとめておられた方です。

次の南禅寺管長として嘱望されていた方でもあります。

老師は、戦後昭和二十年十月釜山から引揚船に乗って帰る途中、たままるという船に乗っていました。

しかしその船は時化に遭い船が沈没してしまいました。

老師は海の中を約六時間も耐えていました。

ところが、ようやく救助船が来ても、専ら若い人達を先に船に乗せてあげていました。

そしてとうとう老師自らは力尽きて海に沈まれたというのです。

我が身を捨てても人を救うということを実践されたのでした。

誰しもこのようなことが出来るとは限りません。

釈宗演老師は、自分ファーストの考えに対して、

「我が日本人の思想としては何が中心にならなければならないかといえば、それは「感恩の精神」(おかげさまと恩に感ずること)とでもいうべきものではないでしょうか。」と仰せになっています。

自己を犠牲にして人を救うようなことまではできなくてもせめて、このおかげさまという心をもっていたいものです。

森信三先生は、

「お互い人間は、この肉体をもっている限り「我」の根の切れる時は、厳密には無いといえましょう。

それ故「我を捨てよ!」とか「無我になれ!」などというよりも、むしろ相手の気持ちになり、相手の立場を察するように―という方が、具体的で分かりやすく、これなら心がけ次第で、だれでもある程度は出来ましょう。」

「わたくしたちが人間として生きてゆく上で、もっとも大切な心がけの一つは、「相手の立場にたって」ものごとを考えるということであります。(森信三先生『不尽聖典』)」

と仰せになっています。

相手の立場になって考えるということは身につけておきたいものであります。

自分ファーストという貧しさから逃れる一歩になります。

 
横田南嶺

自分ファースト

前の記事
次の記事

カテゴリー

  • 僧堂提唱(37)
  • 坂村真民 詩(93)
  • 掲示板 (今月の詩)(33)
  • 今日の言葉(2294)
  • 今日の出来事(164)
臨済宗大本山 円覚寺

〒247-0062 鎌倉市山ノ内409  
TEL:0467-22-0478

  • 円覚寺について
  • 拝観案内・アクセス
  • 境内案内
  • 年間行事・法要
  • 管長のページ
    • 管長侍者日記
    • ビデオ法話
    • 回覧板 (おしらせ)
  • 法話会・坐禅会・写経会
  • 御朱印・御祈祷
  • お知らせ
  • リンク
  • 円覚寺売店
  • Q&A
  • お問い合わせ