坐禅の本質とは
まず胡適先生の「禅宗史的一個新看法」(1953年 於台北)という書物の中の一説を紹介してくださいました。
「西暦七〇〇年〔武則天の久視元年〕、詔によって、一人の〔「東山法門」のこと〕の著名な僧、神秀が、都に招かれました。その時、かれは、すでに九十歳あまり。国中に名を知られた苦行僧でした。かれが湖北から両京に至ったとき、武則天と中宗・睿宗は、みなひざまづいてそれを迎えました。その声望の高さがうかがえます。」
というものです。
五祖弘忍禅師の継承者として神秀禅師は、時の則天武后に召されて帰依を受けていたのでした。
ところが、そのあとに次のように続くのです。
「ところが西暦七三四年〔開元二二年〕、突如、神会という一人の河南省の南方和尚が現れて、神秀・普寂の一派を「是れ、是れ」、そう公然と非難したのでした。達摩の第六代は、慧能であって、神秀ではない。慧能こそ、弘忍の伝法の弟子にほかならない、と。」
この年代については資料が複数あって記述に相違があるそうです。
突然神会という方が現れて、そのすでに権威となっていた神秀禅師の一派を傍系であると批判したというのです。
この神会なる僧が何者なのか不思議な方であります。
六祖慧能禅師のお弟子であります。
『禅学大辞典』の記述によれば、もともと神秀禅師の会下に参じていて、神秀禅師が大足元年(七〇一)入内すると、その勧めによって慧能禅師に参じたと書かれています。
また一説には、十四歳の時に慧能禅師に参じて、さらに神秀禅師にも三年侍して、そのあとまた慧能禅師のもとに帰ったとも書かれています。
ともあれ神秀禅師にも参じながら、慧能禅師の教えを受け継がれた方ということができます。
それまでの東山法門と言われる教えでは、次のような坐禅が説かれています。
こちらは小川先生の『禅思想史講義』(春秋社)から現代語訳の部分を引用させていただきます。
「坐禪をする際には、平らかな地に正身端坐し、ゆったりと身心を寛げて、空の尽きるはてに「一」の文字を観ずるようにせよ。
この禅法には自ずと然るべき段階がある。まず初学の人で事物への執われが多い場合は、心のなかに「一」の文字を観想せよ。
次に心が清澄となって後の坐禪では、広大な平原のなか、ただひとり高山の山頂に坐せるがごとく、四方いずれを顧みてもはるかにひろがって果てしが無い、という状態になれ。」
という風に説かれています。
しかし神会禅師は、
「「凝心入定、住心看浄、起心外照、摂心内証」-そう教えるのは菩提を礙げるものにほかならない。
自分は、念の起こらぬことを「坐」とし、自己の本性を見るのを「禅」とする。
だから坐して住心入定させることをしないのである。」
と説かれていて、それまでに行われていた坐禅を否定されているのです。
このことは後の臨済禅師にも共通しています。
今は心を静めて坐禅をするのが修行だと思われていますが、実に神会禅師や後の臨済禅師の教えでは、そうした坐禅の否定から始まっているのです。
「念の起こらぬことを「坐」とし、自己の本性を見るのを「禅」とする」という言葉は後に六祖慧能禅師の言葉として知られてゆきます。
私も六祖慧能禅師の言葉として覚えていましたが、もとは神会禅師の言葉なのだそうです。
神会禅師の教えには虚空の譬えがあります。
講義では原文を教えてくださっていました。
ここでは『禅思想史講義』にある現代語訳を参照します。
「虚空というものには、本来、いかなる動静も無い。
明が来たからといって虚空自体が明るくなるわけではなく、暗が来たからといって虚空自体が暗くなるわけでもない。
暗い時の空も明るい時のと同じ空であり、明るい時の空も暗い時のと同じ空である。
明暗には去来があるけれども、虚空自体には本来いかなる動静も無い。
「煩悩即菩提」というのも、同じである。その上を去来する迷·悟のさまには別があるが、「菩提心」そのものには、本来いかなる動きも無いのである。」
と説かれています。
ここで菩提心とは、菩提そのもの、仏心である仏性をさしています。
また神会禅師の教えでは定慧等学ということが説かれます。
禅定と智慧とが一体であるという教えです。
こんな問答が示されました。
こちらも同じく現代語訳を参照します。
「禪師の說かれる“定慧等学"とは如何なるものか?」
神会、「“定”とは“体”が不可得であること。“慧”とは、その不可得の“体”がひっそりと静寂でありながら、そこに無限の“用”が有るのを“見る”,ことである。それゆえ、“定慧等学“というのである」
虚空のように無限定、無分節であることが「定」なのです。
しかしその「定」が無限定であるから、そこからあらゆるはたらきが生み出されるのです。
そのことを自ら見るのが「慧」だというのです。
神会禅師は、
「それゆえ『般若経』(『金剛般若経』)に「応無所住而生其心」という句がある。
「応無所住」とは空寂なる自性の本体のこと、「而生其心」はそこに具わる本智の作用のことを言うのである。
ただ「作意」をさえなさざれば、自ずからに悟入するはずである。」
と金剛経の言葉を引用されています。
のちに鈴木大拙先生は、「無所住」が絶対無であり、「而生其心」が行為の主体であると説かれました。
体と用とで説かれているのです。
「応無所住」が真空であり体です。
「而生其心」が妙用であり用です。
しかし神会禅師の場合
「定とは本性が無分節であること、慧とはその無分節なる本性が空寂でありながら無限の作用を具えているのを見ること」なのです。
後の馬祖禅師のように、日常のあらゆる営みとしてはたらくとまでは説かれてはいないということであります。
ここに思想史の発展の流れを学ぶことができました。
そして坐禅の本質とは何かを学ぶこともできます。
横田南嶺