思想史の流れ
早くも十二月になりました。
十二月というと、八日がお釈迦様が悟りを開かれた日であります。
それに因んでいつの頃からか、修行道場では一日から八日まで一週間坐禅に打ち込んで修行しています。
先日小川隆先生にお越しいただいて、中国禅宗史の講義をしていただきました。
そろそろ先生をお迎えにあがろうと思って境内にでると、妙香池という池の前で、熱心に写真を撮っておられる先生のお姿が目に入りました。
その日はとても紅葉がきれいで多くの参拝の方がお見えになっていました。
小川先生の禅宗史の講義をしていただくようになってこれで四回目であります。
第一回は、敦煌文献の発見の話で終わりました。
第二回が達磨大師のお話でありました。
達磨大師の伝記の話や、その伝承のこと、そして二入四行の話をうかがいました。
第三回は東山法門と呼ばれる五祖のお弟子の神秀禅師やその一派のことについて学びました。
そして今回は、神会禅師のことについて学んだのでした。
新しく分かってきた禅宗史の講義というのはとても興味深いものです。
伝統的に信じられてきたことが根底から覆されたりします。
五祖禅師のあとは、慧能禅師が嗣がれて六祖になったのであり、神秀禅師という方はあたかも慧能禅師をもり立てる役まわりのように思われていたのですが、どうも事実はその逆のようなのです。
前回のところ、時の則天武后に神秀禅師が大事に迎えられていたということを学んだのでした。
慧能禅師の話などは私は中学生の頃、無門関にある話を通じて学びました。
慧能禅師は西暦六三八年のお生まれです。
広東省新州に生まれて、父を早く亡くし、薪を売って母を養うという貧しい生活を送っていました。
ある時、街で薪を売っていて、客が読んでいた『金剛経』の一句を聞いて、気がつくところがありました。
そこでこのお経が黄梅山の五祖禅師のもとで読まれていると聞いて、出家して黄梅山に行こうと決心したのでした。
黄梅山の住持だった五祖弘忍禅師は、この青年と問答をして見所があると思ったのですが、他の多くの弟子の手前上、まず米つきの役をさせていました。
五祖禅師が、弟子達の自分の心境を偈に表して示すように命じました。
その時に修行僧達の頭であった神秀禅師が偈を作って廊下に張り出しました。
五祖禅師は、それをご覧になって、この偈の通りに修行すればよいといって褒めたのでした。
ただ慧能禅師は、この偈ではまだ不十分であるとして、自身の偈を示しました。
五祖禅師は、その偈を見て大いに認めたのですが、これもまた他の修行僧たちの手前、表だって褒めることはせずに夜中に慧能禅師を室内に呼んだのでした。
そこで金剛経の教えを伝えました。
更に法を伝えた証として、袈裟と鉢を与え、船に乗って南方に逃れさせました。
そのあと、法を説かれなくなった五祖禅師のことを不審に思った弟子達が、衣鉢を慧能禅師はもっていったと知って、追いかけたのでした。
追いついたところでなされた問答が、『無門関』の第二十三則であります。
そのあと慧能禅師は五祖禅師の教えを守って数年間、俗人の中に紛れて身を隠していました。
そして広州のお寺で説法があるときに、そこの僧が説法の印の旗が風に吹かれているのをめぐって問答したのが、無門関の第二十九則です。
一人の僧が、旗が動くといい、また別の僧が風が動くといい、議論になっていたところ、慧能禅師が旗が動くのでも風が動くのでもない、あなたの心が動くのだと言ったのでした。
その後正式に出家して説法なされるようになりました。
西暦七一三年にお亡くなりになります。
そのお説法を集めたのが『六祖壇経』です。
まだ中学生だった私は、この六祖禅師が学んだ『金剛経』や『六祖壇経』を知りたくで、仏具屋に売っていないかと探したのでした。
お経だから仏具屋にあるかと思っていたのでした。
もちろんあろうはずもなく、市の図書館の書庫に『金剛経』の講義本があるのを見つけて、貸し出し禁止の書籍だったので、何日も通って書写してことがありました。
そんな話も後世になって作られた話だというのも愕然としますが、常識が覆るのは興味深いことですし、禅では誰かを教祖のように崇めて絶対視することを嫌うので、こういう学問の成果も素直に受け入れることができます。
慧能禅師のお弟子の神会禅師が、慧能禅師を五祖の正嫡だとしたのでした。
神会禅師は神秀禅師や普寂禅師の一派を「是れ、是れ」、と非難したのでした。
達摩大師の第六代の祖師は、慧能禅師であって、神秀禅師ではないと言ったのです。
神秀禅師の方は漸悟であり、慧能禅師や神会禅師の方は頓悟であるとも主張しました。
小川先生は神秀禅師などの東山法門の教えと、慧能禅師や神会禅師の教えとを分かりやすく次のようにまとめてくれていました。
「北宗」の思想
(1)各人の内面には「仏」としての本質―仏性―がもとから完善な形で実在している。
(2)しかし、現実には、妄念・煩悩に覆いかくされて、それが見えなくなっている。
(3)したがって、坐禅によってその妄念・煩悩を除去してゆけば、やがて仏性が顕われ出てくる。
神会の思想
(1)各人に具わる仏としての本性は、虚空のごとく無限定・無分節なものである。
(2)迷いも悟りも、その虚空の上を去来する影像にすぎない。禅定によって迷妄を排除し清浄を求めようとすることは、本来の無限定・無分節を損なう愚行にほかならない。
(3)虚空のごとき本性には本来的に智慧が具わっており、それによって自らの無限定・無分節なる本来相をありありと自覚するのである。
小川先生の『禅思想史講義』にも掲載されています。
神会禅師の教えでは心の本体には、自らが仏であることを自覚する智慧が具わっているというのです。
段階を経て修行していく漸悟ではなく、速やかにこの心の本体を明らかにすることができるというのが頓悟の教えなのであります。
東山法門の教えから神会禅師へとどのような展開があったのか、思想史の流れがよく理解できたのでありました。
横田南嶺