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臨済宗大本山 円覚寺

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2025.11.12
今日の言葉

ほんとうの宝物

釈宗演老師のことを徳富蘇峰さんが、「決して智のかたまりではなく情の厚い人」であると評しています。

そして「ちょっした悲劇でもみると、じきに泣き出す。

あれほどの智力と意力を持ちながら、少し悲しい芝居をみると公衆の面前でさめざめと泣いた。」

というのです。

私は宗演老師ほど涙を流すことはありません。

それでも先日は法話を聞いていて涙を流していました。

どなたの法話かというと、臨済宗方広寺派の東福寺住職伊藤弘陽さんの法話でありました。

先日の宝物風入れの時に伊藤さんに法話をしてもらったのでした。

伊藤さんとは数年来のご縁をいただいています。

伊藤さんが住職される東福寺は静岡県湖西市にあるお寺です。

私もなんども法話をさせてもらっています。

お目にかかってお話するたびに、とても熱心に勉強されている和尚様だと思っていました。

円覚寺ではいつも円覚寺派の和尚様に法話をしてもらっています。

おそらく今回初めてよその派の方に法話をしてもらうことになりました。

これはひとえに伊藤さんが素晴らしい方なので、ぜひ一度円覚寺で法話をしてもらいたいと思ったからであります。

宝物風入れの時期でありますので、法話は十一月の連休中でありました。

お寺としても法事などが入って大変お忙しい時でありますがご無理を言ってお願いしたのでした。

ところが肝心のお願いした私が、その日は長野県松本に出かけることになってしまい、伊藤さんの法話を聞くことができなくなったのでありました。

そこで寺の事務所の方にお願いをして録音をしてもらっていたのでした。

松本から帰って早速録音を拝聴しました。

何度か涙を流す、とても素晴らしいご法話でありました。

まず穏やかな語り口で、聞いている方の心が和みます。

身近な話題を例にして話をしてくださいました。

お題は、「ほんとうの宝物」でした。

ご自身の身近な話題というのは、親しみやすさを感じます。

伊藤さんのお寺東福寺には白隠禅師が描かれた観音さまのお軸があるそうです。

宝物にちなんでその話をなされました。

観音さまが描かれていて、その上に讃が書かれています。

その讃を、現代語訳にして紹介してくださっていました。

この観音さまの真のお姿を拝することができれば、とりもなおさず、福寿無量と書いてあるそうなのです。

では観音さまの真のお姿とは何でありましょうか。

画に描かれたのは真の姿ではないということでしょうか。

そこで私の『仏さまのこころ』という本の言葉を紹介しながら分かりやすくかみ砕くようにお話してくださっていました。

伊藤さんは

「仏教ではたくさんの仏様、菩薩様がいらっしゃいますけれども、それらは一体何であるかというと、歴史上に実在したのは、お釈迦様一人だけです。

それ以外の方はお釈迦様がお悟りになった、仏様の心というのはどういうものなのか。姿を見ればわかるように表現してくださったのが、お寺にあるご仏像であり、あるいは絵で描いたものは仏画になるのです。

また仏様の心とはどのようなものなのかを、文字で説明しているのが、あの膨大な数のお経になります。

漢文で書かれたお経というのは非常に難解でありますけれども、お経の意味はわからなくとも、仏様の姿を拝むだけで、仏様の心が伝わるようにと作ってくださっているのが、あのお仏像や仏画になるのです。

では、仏様、観音様の心というのはどのような心なのか。

お経の中には大いなる慈悲の心であるというふうに説かれています。

慈悲、慈しみ、人のことを思いやる心、人の苦しみがわかる心、この心こそが私たちの本心であるとお釈迦様はお説きになられたのです。」

と丁寧に説いてくださっていました。

そして伊藤さんのお嬢さんのお話になりました。

この話が印象に残っています。

まだ小学生のお嬢様だそうです。

その小学校では子どもたちの希望で献立を決める「リクエスト給食」があるそうです。

伊藤さんのお嬢様のクラスでも何を食べたいか多数決を取ったところ、一番人気は豚肉を使ったお料理だったそうです。

それで決定しかけた時、ある男の子が「先生!〇〇君は豚肉を食べられません!」と発言しました。

その友人はインドネシア出身の子で、イスラム教徒だそうです。

それで、豚肉が食べられないのでした。

この発言によって、もう一度話し合いをして「鶏の唐揚げ」に変更されたという話です、

さらに驚くべきことに、豚肉が食べられないインドネシア人の少年自身が、最初の多数決で豚肉の料理に賛成の手を挙げていたというのです。

どうしてなのかを尋ねると、「僕は食べられないけど、みんなが喜んで食べているのを知っているから、みんなが喜ぶと思って手を挙げた」と答えたという話なのです。

自分のことより他者の喜びを大事にしているこの心は、まさに「仏様の心、慈悲の心」であります。

このような純粋な思いやりの心は、特定の宗教や国籍、大人からの教えに関係なく、人間が本来持っているものだと伊藤さんは説いてくださっていました。

むしろ大人になるにつれ、損得勘定などの思いに妨げられて失われがちになってしまうのです。

そのあと釈宗演老師のお話となり、更に伊藤さんが建仁寺で御修行時代に当時の管長さまを介護なされた体験をお話くださっていました。

この管長さまは、まだ御元気な頃私もお仕えしたことがあるので、当時を思い出しながら涙がにじんだのでありました。

最後に宗演老師の和歌を紹介されました。

失ひし寶たづぬるおろかさを
 外にはあらで わが身にぞ知る

という和歌であります。

伊藤さんは「本当に大切な宝物というのは、自分自身の外に求めがちであるけれども、本当は内側にあるんじゃないのかな。

「仏様の心」というこの世界で一つの輝く光があります。

どんなにつらく苦しい日を迎えることがあったとしても、自分に与えられた場所で、目の前の人にできるだけのことをしてあげるという、これが仏様の心です。

それこそ、本当は一番大切なものではなかったのかな。

この仏様の心という宝物を活用して生きていくことが、本当に幸せに生きるということに通じていくことではないのかな。」

とお話くださいました。

我が身よりも周りの子のことを考える子供の話や、修行時代に一心に管長さまにお仕えしていた伊藤さんのことなどを通じて、ほんとうの宝物、仏様の心を教えていただきました。

 
横田南嶺

ほんとうの宝物

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