感動の禅の旅
今回は、禅文化研究所の企画で、所長と学ぶ禅の旅であります。
賛助会委員限定の企画であります。
昨年第一回禅の旅を平林寺さまで開催しました。
その時もとても好評だったので、今回二回目となりました。
これがまたとても好評でありました。
所長と学ぶ禅の旅とありますように、私と共に皆さんで禅を学ぶのであります。
今回も学ぶ事がたくさんありました。
今回は京都府八幡市の円福寺さまで開催しました。
午前中円福寺に到着すると、修行僧たちが、山門の外でお出迎えをしてくださっていました。
これにまず恐縮しました。
円福寺の政道徳門老師もお迎えくださっています。
早速ご挨拶させていただきました。
今回はなんといっても円福寺の修行僧さんたちにとてもお世話になったのでした。
その日は穏やかな秋の日でありました。
秋の日差しが柔らかく、穏やかで、風も心地よいのであります。
こういう行事の時にはお天気が大事であります。
もっとも雨の日には雨の日のあじわいがありますが、こういう穏やかな気候はそれだけで心が落ち着き満たされます。
まるで政道老師のお人柄を体現したようなお天気でありました。
控え室に入ると私などはまず床の間の書を拝見します。
そして床の間にお供えをします。
床の間の書がなんと慈雲尊者であります。
慈雲尊者が『法華経』の言葉を書かれていました。
今此の三界は皆是れ我有なり。其の中の衆生は、悉く是れ吾が子なり
という言葉です。
この迷いの世界は、私の家であり、その中で迷い苦しむものたちはみんな私の子であるという意味です。
この世界にあるすべては仏のいのちのあらわれであり、その中で生きているすべての人や生きものは、仏にとっては大切な子どもなのだということです。
これまた法華経の真髄とも言える言葉であります。
これを慈雲尊者が揮毫されているのですから、なんともあじわいが一層深まるのです。
しばし見とれていました。
簡単に政道老師と打ち合わせをさせていただきました。
その日はまず総茶礼といってみんなで一碗のお茶を禅寺の作法に則っていただきます。
それから本堂で般若心経をみんなで唱和します。
そして円福寺の坐禅堂で政道老師のご指導のもと坐禅をします。
それから修行僧さんたちが作ってくださった精進料理をいただきます。
そして午後から墨蹟を鑑賞しながら政道老師と対談をします。
そのあと皆さんで質疑応答をして、最後に円福寺様に伝わる達磨大師のお像を拝ませていただき、記念写真を撮って散会となりました。
はじめの総茶礼の時にはみなさんもとても緊張しているのが伝わりました。
たった一杯のお茶をいただくのですが、緊張するものです。
ただこういう緊張感もまたいいものです。
これから禅を学ぶという気持ちになります。
私が簡単なご挨拶をして本堂に移動しました。
大きな本堂にイスを用意してくださっていてそれに坐って般若心経を読みました。
出頭の合図の鐘が鳴ります。
この鐘の音色がまたなんともいえない良いものす。
鐘の音に合わせて老師が入堂され、本尊さまに焼香されます。
驚いたのは円福寺の修行僧さんたちがみんなご出頭してくださったことです。
これには感動しました
御袈裟をつけて大きな声で般若心経を読んでくださって、修行している方々の響きを感じました。
政道老師がお経の間に三拝をされるお姿も神々しいものでありました。
それから坐禅堂に移ります。
坐禅堂で坐禅させてもらえるだけでもありがたいことですが、これも驚いたのは四十名近い参加者みんなに修行僧がつかう単布団を用意してくださっていたことです。
一般の方にしてみればこんな蒲団に坐ることはほぼないと思いました。
これも禅を感じるのでありました。
政道老師が実に丁寧に坐禅指導をしてくださいました。
老師の先導で呼吸を調えました。
はじめ一、二、三、四と数えながら息を吸って、一、二、三、四と息を止めます。
そして一、二、三、四、五、六、七、八と数えながら息を吐きます。
老師のお声が透き通るような響きで、体も呼吸も自然と調ってきました。
私も円福寺様には何度もおうかがいしていますが、坐禅堂で坐禅をさせてもらうのは初めてであります。
円福寺のこの空気の中に私自身の体がとけ込んでいくような感覚でありました。
あっという間に坐禅が終わってみなさんで食事をいただきました。
その食事が実に素晴らしい精進料理でありました。
よくこれだけのものをお作りくださったと驚き感激しました。
ごま豆腐に精進の天ぷら、山芋の蒸し物、栗ご飯ととても美味しく一口一口感動しました。
私なども修行時代によく精進料理を作っていましたので、これはどれほどの時間と手間がかかっているかがよく分かるのであります。
私たちの為にこんなにしてくださったのだと思うと申し訳ないくらいであります。
食後の果物とお菓子もおいしく頂戴しました。
そのあとが圧巻の慈雲尊者墨蹟鑑賞であります。
老師は慈雲尊者を心から尊崇なされています。
たくさんの墨蹟を所蔵されています。
その一部を掛けてくださっていました。
それでも十数輻もの墨蹟を出してくださっていました。
どれも迫力のあるものです。
季刊『禅文化』二七七号に政道老師が書かれている「慈雲尊者に学ぶ語録の読み方――一切みな言説心念を離れみよ――」という玉稿に掲載されている「山色清浄身」という一幅も床の間にかけてくださっていました。
私はまずこの一幅に感激しました。
これは実際にその書の前に立ってみないとなんとも言えません。
慈雲尊者の墨蹟について政道老師がどのようにして出会ったのか、そしてそのどんなところに心惹かれたのか、私が聞き手になっていろいろとおうかがいしました。
気がついたら一時間が過ぎていました。
老師が慈雲尊者の墨蹟について熱く語ってくださるお姿にも生きた禅を感じたのでした。
最後に質疑応答を受けて達磨大師を拝ませていただきました。
これがまた堂々たる達磨大師であります。
圧倒されるような迫力です。
ただ坐っているだけでこれだけの迫力を感じるのだと感激しました。
かくして一日円福寺の政道老師と修行僧の皆さんにお世話になりました。
私たちにこんなにしていただいて申し訳ないと思ったのですが、はじめの控え室で拝見した墨蹟の言葉を思い出しました。
迷い苦しんで円福寺にやってきた私たちを、政道老師は我が身内と思い、我が子であると慈しんで応対してくださったのだと分かりました。
政道老師の広く深い慈悲のお心に感動する禅の旅でありました。
横田南嶺