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臨済宗大本山 円覚寺

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2025.10.29
今日の言葉

中学生達に語る

先日は円覚寺に、花園中学の中学生達が訪ねてくれました。

花園学園は、花園大学に花園中学、高等学校、そして幼稚園を運営しています。

妙心寺が母体となっている学園で、理事長は妙心寺派の宗務総長が務めることになっています。

明治五年がその始まりですので、もう一五〇年を超えるのであります。

その花園中学の学生さんたち五十数名が訪ねてくれました。

あいにくの雨でありました。

大方丈に入ってもらって、私がほんの少し挨拶程度のお話をしました。

スケジュールの都合で私が話をするのは十分ということでした。

十分で中学生に話をするのは難しいなと思いました。

しかし、少し考えてみると、毎日管長日記で原稿を書いて録音しているのが、十分前後なので、管長日記のつもりでしゃべればいいと思うと気が楽になりました。

まず皆さんに申し上げたのは、京都から鎌倉まで来ると遠いと思うでしょうということでした。

何名かの生徒さんが頷いてくれています。

遠いよと言いたいのでしょう。

そこで私が申し上げました。

しかし、皆さん、私はここから京都の花園大学に通勤していますと。

生徒さんは、驚きの声をあげていました。

毎日出勤していると誤解されてはこまりますので、あわてて、通勤と言いましても毎日ではなく、月に数回ですと申し上げました。

できるだけ月に一度上洛してそれで大学の授業と禅文化研究所の仕事をすませるようにしたいのですが、今月などは四回京都に参ります。

そんな話を最初にしておいて、今日こうして円覚寺にお越しいただいた御礼を申し上げました。

それから今日この場で皆さんにお伝えしたいことは二つありますと伝えました。

その一つは円覚寺の開創の精神です。

そしてもう一つは明治の時代の釈宗演老師のお心です。

円覚寺は鎌倉時代に開創されました。

元寇といって、元の国が日本を攻めてくるということが鎌倉時代に二度ありました。

一つは文永の役で、文永十一年一二七四年に、モンゴル帝国の軍が博多にせめてきました。

モンゴルの国はチンギスハーンによって作られた国ですが、どんどん大きくなってゆきました。

やがて国の名前を元といって、西は東ヨーロッパから東は朝鮮半島に到るまで広大な領土を持つようになりました。

南宋の国も元に滅ぼされてしまいました。

更に元の国は日本を攻めようとしたのでした。

第二回の元寇は弘安四年一二八一年のことでした。

一度目の戦いで敵の強さを知った武士達は博多の沿岸に防塁を築いて上陸させないように必死の戦いを繰り広げました。

戦いは五月に始まり七月になりました。

七月になって九州地方を大きな台風が襲って、元の船の大半は沈んでしまったのでした。

そのようにして元の支配を避けることができたのでした。

その元寇の明くる年に円覚寺が開かれました。

南宋から招いた無学祖元禅師を開山にして北条時宗公がお作りになったのでした。

時宗公は、円覚寺ができると元寇でなくなった多くの兵士達の御霊を慰めるために慰霊を願いました。

その時に無学禅師は敵味方を区別することなく平等に弔いました。

これが開創の精神であります。

怨親平等と言います。

元寇というのは元の国が一方的に侵略しようとしてきたのですが、その敵をも憎むことなく平等に供養したのです。

時宗公は執権に就任したのが数え年十八歳、元寇が終わって三年後に数え年三十四歳、満三十二歳で亡くなりました。

文永の役のときは二十三歳、弘安の役のときは三十歳でした。

それから六百数十年の歳月が過ぎて明治二十五年一八九二年円覚寺の管長になったのが釈宗演老師でした。

当時満三十二歳でした。

管長に就任した明くる年、明治二十六年一八九三年宗演老師はシカゴの万国宗教会議に出席して講演をなさっています。

海を渡って異国で講演されたのでした。

講演は二度行われていますが、その一回は平和について語っています。

その頃の世界はヨーロッパの大国がアジアの国を植民地にして支配している時でした。

強い者が弱い者を虐げることの非を説かれました。

「そもそも、戦争が私達に何をもたらしてくれるというのでしょう?

何も、もたらしてはくれません。

戦争とは、弱い者が、強い者に虐げられることに過ぎないのです。

戦争とは、兄弟同士が争い、血を流し合うことに他ならないのです。

戦争とは、強い者が、結局何も得るものがない一方で、弱い者が、すべてを失うことなのです。」

「私達の願いは、どのようにすれば、本当にかなえられるのでしょうか?

それを助けてくれるのが、真の宗教なのです。

真の宗教が、慈悲と寛容の源なのです。

真の宗教の本分は、普遍的な人類愛と恒久の平和という崇高な願いの実現にあるといえるのではないでしょうか。

そして、そのために、私達が中心となり、原動力とならねばならないのではないでしょうか。」(万国宗教会議講演録一八九三年 於シカゴ)

という内容の演説でした。

この宗演老師の渡米が縁となって鈴木大拙がアメリカに渡り、仏教や東洋の書物を英訳されるようになりました。

そして禅が世界に弘まっていったのです。

そんな話をしました。

終わると代表の生徒が、その短い話をまとめて、戦争という辛い経験がもとになりながら、このようなお寺ができ、そしてそのお寺からやがて世界に平和の尊さを発信するようになったことに感銘を受けましたと言ってくれていました。

そのあと記念写真を撮ってお見送りしました。

花園界隈で私を見かけたら声をかけてくださいとお伝えしておきました。

 
横田南嶺

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