無文老師の書
八月九日以来というので、二月振りであります。
何も特別なテーマも無しに、ただこの頃思うことと題して話をしました。
何を話そうというのでもなしに、チャットという皆様のお声を聞けますので、それを拝見しながらお話しょうと思っていたのでした。
それから大事な告知がありました。
長野県松本市の神宮寺様で、十一月三日の文化の日に藤田一照さんと私との坐禅会を開催するのです。
これが定員に満たないというのでご案内させてもらったのでした。
一照さんが座布団に坐っての坐禅会を、私がイスの坐禅会を開催します。
そして二人で座談しがら、会場の皆様のご質問にお答えするというものです。
神宮寺様は素晴らしいお寺です。
そして住職様も素晴らしいお人柄で、こんな機会に是非ともご参加くだされば幸いであります。
私もここ数年来毎年神宮寺様におうかがいしています。
昨年も法話とイス坐禅の会を催してもらったのでした。
神宮寺様は私の恩師の松原泰道先生ともご縁が深く、泰道先生もよく神宮寺でご法話をなさっていたのでした。
そんなお寺でお話させてもらえるのは身に余る光栄であります。
そのような神宮寺坐禅会のご案内をさせてもらったのでした。
それからライブ配信の日は幼稚園の運動会となっていました。
午前九時から開会で私は開会式でひとことご挨拶をさせてもらったのでした。
それからいくつかの競技を拝見してきました。
鈴割りという競技があります。
これも毎年恒例であります。
大きな鈴の玉を作って、それをぶら下げておいて、それに向かって玉を投げて鈴を割るのを競うのです。
赤組と白組に別れて行います。
白組の鈴は早くに割れたのでしたが、赤組の方はなかなか割れません。
こんなに長く割れないのも珍しいと思いました。
こういう体育の競技というのはいつ頃から行われているのでしょうか。
おそらく起源はそうとう古いように思います。
古代エジプトの壁画にすでに競技の様子が描かれているといわれていますので、ほんとうに古いものです。
鈴割りにしても競争するから楽しむのでしょう。
競争もなにもないと平和でいいと思うのですが、相手に負けまいぞと思うからこそ頑張りもするのでしょう。
競争というのは人間の進歩発展には必要だったのだと思います。
ただ競争というのはどうしても勝ち負けが出てきます。
勝つ者はいいのでしょうが、負けた者は気の毒であります。
幼い子供が競技をするのは微笑ましいのですが、こんな小さな頃から競争をさせられるのだと思うと、いろいろと考えさせられたものでした。
そのあとライブ配信になりました。
いつも掛け軸について質問してくださる方がいらっしゃるので、有り難いことであります。
今回は山田無文老師の「無一物中無尽蔵」という書を掛けてみました。
「無」という字を草書体で大きく書かれて、その下に小さな字で書かれています。
無一物中、無尽蔵、花有り月有り、楼台有りという言葉です。
茨木のり子さんの「マザー・テレサの瞳」という詩の中に、
自分を無にすることができれば
かくも豊穣なものがなだれこむのか
さらに無限に豊穣なものを溢れさせることができるのか
という言葉があります。
坂村真民先生もまたその詩の一節に
なにもかも
なくしたとき
なにもかも
ありがたく
なにもかも
光り輝いていた
という言葉があります。
山田無文老師は、明治三十三年西暦一九〇〇年のお生まれで、昭和六十三年の十二月にお亡くなりになっています。
満八十八歳のご生涯でありました。
昭和の終わりと共にお亡くなりになったのでした。
昭和四年(1929)に妙心寺の僧堂に入り、更に天龍寺の僧堂で修行を始められました。
それから昭和二十四年花園大学学長、妙心寺霊雲院住職になられるまで二十年にわたる雲水修行をなさった老師です。
花園大学の学長には四十九歳で就任なさっています。
それから昭和五十三年に妙心寺の管長になられるまで実に三十年近く学長をお勤めでいらっしゃいました。
昭和二十八年五十歳で神戸の祥福寺僧堂の師家にもなられています。
昭和三十九年からは禅文化研究所の所長にもご就任されています。
禅文化研究所はこの無文老師が中心になって作られたものです。
私が無文老師にお目にかかったのは昭和五十六年(一九八一)のことでした。
無文老師の年譜で確認すると、老師が湯の峰のあずまや旅館に御宿泊されたのがその年の四月十九日となっています。
その明くる日に妙心寺派和歌山教区の花園地方大会に出られています。
私がお目にかかったのはこの宿泊なされた時でありました。
その時の感動は今も覚えています。
この禅の道に間違いはないと確信したのはその時でありました。
この掛け軸は、とある方から最近頂戴したものです。
いつも大学の総長室に入ると無文老師の肖像画が飾られています。
禅文化研究所に行っても無文老師の大きな写真が飾られています。
老師のあと、只今大学の総長を務め、研究所の所長を務めていますので、老師の肖像を拝見するごとに、その頃のことを思いだし身が引き締まるのであります。
今禅文化研究所のYouTubeで無文老師の『般若心経』を用いて解説しているのも老師をお慕いしてのことであります。
無文老師の書を前にして坐ると、これまた一層身が引き締まります。
横田南嶺