共に生きる
日曜説教の原稿は、半月ほど前から書いています。
書いていてもそのあと更に話を練っていきます。
ときには大半を書き改めることもあります。
その日はいつにもまして大勢の方々がお集まりくださっていました。
コロナ禍を経て、なかなかコロナの前に戻ることはなかったのですが、その頃を思い出すかのような人でありました。
大勢の方がお集まりくださって恐縮します。
今回は、先月の島根で講演した「死を見つめて生きる」という主題にしようと思っていました。
そこで話の出だしには次の二つの話を用意していました。
一つは菅沼晃先生の『ブッダとその弟子 89の物語』(法蔵館)にある舎利弗と目連の話であります。
舎利弗はサーリプッタといい、目連はコーリタといいました。
この二人はとても聡明で、そして仲良かったのでした。
「あるとき、ラージャグリハ(ラージャガハ)の近くの山に祭礼があり、二人連れだって見物に出かけた。
さまざまな地方から何千何万という人々が象や馬車に乗ったり歩いたりして集まり、楽器に合わせて大声で歌ったり踊ったりしていた。
祭りはいまやたけなわというなかにあって、よろこびたわむれている人々を見てサーリプッタは思った。
「これらの人々は、いまは晴やかな顔をして笑いあっているが、百年経ったときには、生きている人は一人もいないのではないか」
コーリタ少年も一人の大道芸人のざれごとを聞いて、人びとが大口をあいて笑っているのを見て思った。
「百年経ったとき、いま口を開いて笑っている人々の上あごと下あごが合わさっているだろうか」このように思ったとき、二人とも祭を見てはいられなくなり、静かな場所へ行って、一日も早く出家して真実の道を求めようと誓いあった。」というものです。
すべての人は死を免れることはできないという話しです。
もうひとつは高神覚昇先生の『般若心経講義』にある話です。
引用しますとこんな話です。
「その昔ペルシャ(現今のイラン)にゼミールという王さまがありました。
年若きゼミール王は、「即位」の大典をあげるや、ただちに天下の学者に命じて、最も精密なる「人類の歴史」を編纂せしめたのです。
王さまの命令に従って、多くの学者たちは、懸命に人類史の編纂にとりかかりました。
一年、二年はまたたく間に過ぎました。
五年、十年は、夢のように過ぎました。
二十年、三十年の長い年月を経ても、世界で最も「精密なる人類史」は容易にできません。
四十年、五十年の長い長い時間を費やして、やっと書き上げた。
その人類史の結論は、果たしてなんであったでしょうか。
「人は生まれ、人は苦しみ、人は死す」それが人類史の結論だったのです。」
という話であります。
そこから死を避けることは出来ないという話から死を見つめて生きる生き方について話を展開していこうと考えていました。
しかし、その日曜説教の前日に西本願寺でうかがった法話の話がよかったので、その話に差し替えることにしました。
これは昨日ご紹介した話です。
本願寺でお話くださった和上様が、古本屋で『人生を100倍楽しく生きる方法』という本を見つけたというのです。
そこに、マラソンで必ず一等賞になる方法とはどんなものか書かれていました。
それは一人で走ればよいということでした、
絶対に交通事故に遭わない方法とは何か、それは出かけなければよいというものでした。
そして人間が絶対に死なない方法とは、生まれてこなければよいというものです。
昨日本願寺で聴いたという話にしたのでした。
本願寺の御影堂はとても大きいので、そのお堂でお話を聞いていて、円覚寺の方丈に来て見ると、とても小さく感じました。
畳の上で坐っていただいています。
本願寺ではほとんどがイス席で、畳に坐る人が少数ですが、こちらではまだイスの方が少ないのです。
本願寺ではイスも用意されていましたが、私はやはり畳に正座してお経を読みお念仏をお唱えして法話を拝聴していました。
イスしかなければイスに坐りますが、聞法するにはやはり畳に正座の方が馴染んでいるのです。
昨日の朝本願寺にお参りしてこんな話を聴きましたというところから始めたのでした。
やはり最近の話題から入った方がよいと感じました。
はじめから皆さんがとても熱心に聞きいってくれていました。
この三つの話は深いものがあります。
マラソンで必ず一等賞になる方法とは、一人で走ればよいということです。
一人で生きるわけにはゆきません。
大勢の人の中で生きてゆかなければならないのがお互いの人生です。
そうしますと必ずそこに比較が生まれます。
比べるのです、比べられるのです。
比べるとそこから速い、遅い、強い、弱い、すぐれた、劣ったという差別が生じます。
これを避けることができないのです。
そうしますと争いも生じてきます。
『法句経』の二〇一番に
「勝つ者 怨みを招かん 他に敗れたる者 くるしみて臥す されど 勝敗の二つを棄てて こころ安静なる人は 起居(おきふし)ともに さいわいなり(友松円諦訳)」とあります。
そこで勝ち負けを避けることのできない世の中にあって、勝ち負けを離れた世界を知っておくことが大事になります。
それが空の世界です。
空の世界には区別がありませんので、対立も差別も勝ち負けもありません。
そんな世界があることを知っていれば、勝ち負けの世界でそれほど落ち込むことはないのです。
それから絶対に交通事故に遭わない方法とは何か、それは出かけなければよいというものでした。
生きるからには不慮の事故や災害を避けることはできないのです。
その日の法話でも話をしたことですが、先月の日曜説教に見えてくださってお医者さんがいらっしゃいました。
その方は神奈川県の医学会でも要職にある先生です。
それが今年の春にご自身の病院が火災で燃えてしまったのでした。
たいへんなことです。
もう七十になろうかというお年なので、これで引退しようかとも考えたそうなのですが、中途半端ではいけないと思って、もう一度病院を建て直したのでした。
その時に私に色紙を書いてほしいと頼まれたのでした。
私はいろいろ考えたのですが「共に生きる」と書いたのでした。
病院を再建して新たな一歩を踏み出すのはたいへんなご苦労だったと察します。
いろんな人が力をくださったと想像します。
その先生を支えてくれる人、地域の人や先生を頼りとしている患者さんや多くの人に支えられての再出発だと思ったので、そんな多くの皆様と共に生きるのだと思って書いたのでした。
不慮の事故や災害は避けられません。
そんな中で人は誰かの力をいただきながら生きていくのです。
それから人間が絶対に死なない方法とは、生まれてこなければよいというものでした。
これは生まれたからには死を避けることはできないということです。
そして死生観について話をしました。
「生は寄なり、死は帰なり」という中国の古い言葉を紹介しました。
『広辞苑』には「人は天地の本源から生まれて暫くこの仮の世に身を寄せるに過ぎないが、死はこの仮の世を去ってもとの本源に帰ることである」と解説されています。
そんな死生観を沢庵禅師は、
たらちねによばれて仮の客に来て心残さず帰るふるさと
と詠われています。
そして人は亡くなったあともその言葉や姿が残された人の心に生き続けるという話をしました。
まさに人は亡くなった方とも共に生きるのです。
共に生きるとは今生きている方だけではなく、亡くなった方とも共に生き続けるという話にしたのでした。
横田南嶺