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臨済宗大本山 円覚寺

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2025.10.17
今日の言葉

大学で坐る

一週間のうちで京都に二度往復することはめったにありません。

先日は大学の授業があって、次の日がNHK京都文化センターで講演、その次の日が一日鎌倉にもどってきて、また明くる日に大学の授業と摂心の為に京都に行きました。

新幹線で二度往復であります。

朝は小田原からひかりに乗っていくのがいいことに気がついて、この頃はひかりを使っています。

いくつかの駅に止まりますが、これもまたいいものであります。

京都駅からは円町駅まで電車で行って、円町駅からは歩いて大学に行きます。

途中で聴講生の方にお声をかけていただいたりします。

二回目の京都では、大学で基礎禅学という講義をしました。

いつも毎月行っているのは、禅とこころという授業で、これは一般の聴講の方と大学でも希望者が受講するものです。

基礎禅学というのは、花園大学は臨済の禅を建学の精神としていますので、入学した者全員に受講してもらう授業なのです。

この春入学した学生さんたちを半分に分けて前期と後期で一回ずつ私が担当しています。

それ以外には臨済宗の和尚さんが担当してくださっています。

今回はその授業に合わせて大学の摂心を行っていました。

摂心というのは一定の期間を集中して坐禅することを言います。

かつて花園大学は臨済宗大学とも言いましたので、摂心もかなり本格的に行われていたようです。

それが今や仏教学のみならず、日本史、文学、社会福祉などいろんな分野の学生も増えて、摂心も難しくなってきていました。

私が総長に就任した頃は後期の授業が始まる前の日に、二日間行われていました。

一日は京都市内の本山で坐禅、そして一日は花園大学で坐禅をしていました。

その花園大学で坐禅をする日に私がお話をしていました。

それがいろんな問題が出てきて試行錯誤して、今では授業のある時に一日行っています。

そして私の基礎禅学の講義を摂心の提唱にあてています。

それが午前十時半から始まるのです。

午後は一時から仏教学科の実践禅学という授業を摂心にあてています。

こちらは担当している和尚様が講義と坐禅を実習するのです。

そのあと更に希望者のみ坐禅をして、最後に総長である私と学生さんとの懇談会を催しています。

ともあれ、そんな次第で一日大学で授業をして坐禅をしていたのでした。

基礎禅学には仏教学科の学生さんとあとは他の学科の方々が大教室に集まってくれていました。

仏教学科以外の方にとっては禅に興味があるかどうか、人によってさまざまであると思います。

しかし、日本の文学や歴史を学ぶと禅の影響というのはとても大きなものがあります。

今や禅は世界の人たちから注目されている教えであります。

栗山英樹さんとのご縁や、花園大学出身のソフトバンク社長の宮川さんの話などをして、スポーツの世界や経済の世界の方も禅に関心を持っていることなどのことから話を始めました。

少しでも禅に興味をもってもらいたいと思ったのです。

そして馬祖禅師の言葉を引用して達磨大師の伝えた禅の教えについて話を続けてゆきました。

「馬祖は示衆して言った、「諸君、それぞれ自らの心が仏であり、この心がそのまま仏であることを信じなさい。」達磨大師は南天竺国からこの中国にやって来て、上乗一心の法を伝えて諸君を悟らせた。」

という一節です。

あなたの心が仏である、このことを教えるのが禅であります。

馬祖禅師から臨済禅師へと教えが継承されてゆきまました。

臨済禅師は、

「君たち、その祖仏に会いたいと思うか。

今わしの面前でこの説法を聴いている君こそがそれだ。」

と説かれました。

今この話を聴いているあなたこそが仏だというのです。

そんな話をしながら、私が初めて参禅した目黒絶海老師の言葉を紹介しました。

まだ小学生の頃初めて老師の提唱をうかがった時に、老師は我々のことを手を合わせて拝んで「今日ここにお集まりの方はみんな仏さまです」と仰ったのでした。

このことに驚き、どうしてかと疑問を持って坐禅をしてきてこの頃になってやっとその通りだと思えるようになったと話をしました。

そのお互いが仏そのものであることを臨済禅師は

「この肉体には無位の真人がいて、常にお前たちの顔から出たり入ったりしている。まだこれを見届けておらぬ者は、さあ見よ! さあ見よ!」

とお示しになりました。

無位の真人とはお互いの心に他なりません。

その心を臨済禅師は、

「心というものは形がなくて、しかも十方世界を貫いている。眼にはたらけば見、耳にはたらけば聞き、鼻にはたらけば嗅ぐ。口にはたらけば話し、手にはたらけばつかまえ、足にはたらけば歩いたり走ったりする」ものだと説かれています。

その姿形がなく世界に満ち満ちている心を自覚するためにいろんな修行方法ができました。

坐禅もそのひとつです。

規則正しい毎日の暮らしを実践することもそうです。

そして公案というひとつの問題に全意識を集中させるという方法も確立されてきました。

看話禅と言われるものです。

毎日規則正しい生活をしながら坐禅をして公案に参究するという禅ができあがってゆきました。

そんな宋時代の禅が日本に伝わったのでした。

栄西禅師の話から円覚寺の開山仏光国師の話へと展開して江戸時代から現代に到るまでの禅の教えの変遷を講義しました。

お昼ご飯もかつては花園禅塾の学生さんたちがお給仕の役をしてくれて、食堂で皆でおうどんをいただいていましたが、コロナ禍以来は各自でいただくようになっています。

私も総長室でお弁当をいただきました。

そして午後から実践禅学の講座に参加しました。

担当は花園禅塾の塾長でもある桐野祥陽先生です。

桐野先生は臨済録の四料揀の話をしてくださいました。

四料揀というのはたいへん難しいところです。

桐野先生は、

「何のことやらちょっと分かりにくいというところもあるかもしれません。

けれどもわからないことは、わからないなりに一生懸命聞いていただくというのも、一つ大事なことかなと思っております。

わからないことをわからないなりに受け入れながら、自分自身の背筋がどうなっているか、一挙手一投足、どういうものかというものを見つめていただく。

そんな時間にしていただくのもいいのではないか」

とお話くださっていました。

修行道場の提唱のように見台を置いてお話くださっていました。

私たちは坐禅の姿勢のままで拝聴して、そのあと皆さんで坐禅をしました。

実践禅学の授業のあとは、摂心の参加者のみで二回の坐禅を行いました。

そして三時過ぎから四時まで懇談の場となりました。

例年花園禅塾の学生さんたちも参加してくださるのですが、今回は禅塾の学生さんはいらっしゃいませんでした。

仏教学科の学生さんは一名で、五十代の方でした。

仏教に魅力を感じて今大学で仏教を学んでくださっているそうです。

佐々木閑先生の講義を楽しみに学んでいるということでした。

有り難いことであります。

あとは社会福祉の学生さんで坐禅に関心があってふだんでもお昼休みに禅堂で坐禅をされているそうです。

坐禅をすると自分の考えが整理されていいのだと仰っていました。

花園大学には大きな坐禅堂があるので、活用してくれていて有り難いことです。

他には新体操部の学生さんが数人参加してくれていました。

それから社会福祉学部の教授である千田眞喜子先生も参加してくださっていました。

いろんな質問をいただきながら懇談をしたのでした。

かつて後期の授業が始まる前に行っていた頃、九月の半ばでとても暑かった記憶がありますが、その日はとても良い気候でありました。

坐禅堂に吹いてくる秋の風が心地よく、一日坐らせてもらったのでした。

 
横田南嶺

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