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臨済宗大本山 円覚寺

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2025.10.16
今日の言葉

運を味方により良く生きる

花園大学で授業をして、その晩は京都市内のホテルに泊まり、朝早くに西本願寺にお参りして、その日はNHK文化センター京都支社の講座で講演をさせてもらいました。

以前一度お招きいただいて講演をさせてもらったことがあります。

会場に着くと、同じ時間に川村妙慶さんの講座があると案内されていました。

川村妙慶さんというと、浄土真宗の尼僧さんでいらっしゃいます。

NHK教育テレビのこころの時代にご出演なされていたことがあります。

私のそれを拝見していて、今の世にもご立派なお坊さんがいらっしゃるのだと感銘を受けていました。

いつかご縁があればいいなと思っていたのでした。

朝本願寺にお参りした功徳なのか、なんとお目にかかることができました。

お互いにすぐ近くで講座を行うことになっていて、しかも同じ時間なのです。

講座の前に挨拶だけさせてもらいました。

これは運が良いなと思ったのでした。

その日にNHK文化センターからいただいたテーマは、

「運を味方により良く生きる」ということでした。

おそらくは、栗山英樹さんと、『運を味方にする人の生き方』という題の対談本を出しているからだと思います。

しかしながら私はあまり運がいいとか悪いとか気にしたことがないのです。

なにがあろうと、まあこんなものだと思って暮らしています。

ですからこういうテーマをいただくと改めて運とは何だろうかと勉強し直すことから準備を始めます。

そもそも運とは何でしょうか。

いつものようにまず『広辞苑』で調べてみます。

まず一番に天命という意味があります。

方丈記の「おのづから短き天命をさとりぬ」という用例が示されています。

天命というと、これも調べてみないとよく分かりません。

天命は、

①天の命令。上帝の命令。

②[中庸「天の命ずる之を性と謂う」]天によって定められた人の宿命。天運。

③天から与えられた寿命。天寿。

という意味があります。

更に運について、二番目には、

「めぐってくる吉凶の現象。幸・不幸、世の中の動きなどを支配する、人知・人力の及ばないなりゆき。まわりあわせ。」
という意味があります。

「運が悪い」という用例があります。

三番目に「特に、よいめぐりあわせ。幸運」という意味があります。

「運が向いてくる」という場合です。

ここでは、二番目の意味の運について学ぶのであります。

そこで注目したいのは「人知・人力の及ばないなりゆき。まわりあわせ。」というところです。

どうも「運」というのは人知の及ばぬものだといえそうです。

運とは人間の知の領域を越えたものであり、仏教でいえば不可思議なることであります。

不可思議なこと、不思議なことというと、何も特別なことだけではありません。

いつも法話の時に申し上げているように、お互いはこの世に生まれたということがまず不思議なのであります。

法句経の一八一番に

「人間の身を受けることは難しい。死すべき人々に寿命があるのも難しい。正しい教えを聞くのも難しい。もろもろのみ仏の出現したもうことも難しい。」

という言葉があります。

私たちはまず人間に生まれたことが不思議なる幸運なのです。

そのことをお釈迦様は「爪上の土」という譬えで示されています。

お釈迦様が、弟子を連れて歩いておられて、ふと立ち止まって、土を拾って爪の上にのせられました。

そして「この爪の上にのった土と大地の土とどちらが多いと思うか」と尋ねたのでした。

「爪の上の土など、ほんのわずかなもので大地の土とは比べようもありません」と答えます。

お釈迦様は、「生きとし生けるものは数限りなくあるけれども、人間界に生まれてくるこということは、爪の上の土ほどに有難い、滅多にない稀なことなのだ」と説かれたのでした。

それから盲亀浮木の譬えもよく知られています。

岩波書店の『仏教辞典』には、

「大海に住む盲の亀が百年に一度海中から頭を出し、そこへ風のまにまに流された一つの孔がある流木が流れてきて、亀がちょうど偶然にもその浮木の孔に出遇うという極めて低い確率の偶然性を表す比喩譚。

人間として生をうけることと、また仏法に遇うことの難しさをたとえる譬話」と解説されています。

かつて村上和雄先生は、

「一つの命が生まれる確率は、一億円の宝くじが百万回連続して当たることに匹敵する」(『致知』二〇〇五年三月号)と説かれました。

この世に生まれたこと自体が、めったにない素晴らしい運にめぐり合えているのです。

そんなことから話を始めました。

自分は不運だと嘆いていると不運な人生になるように思えて、逆に運がいいことだらけだと思っている人が運がいいと思うのです。

森信三先生が「いかに痛苦な人生であろうとも、「生」を与えられたということほど大なる恩恵はこの地上にはない。 そしてこの点をハッキリと知らすのが、真の宗教というものであろう。(『森信三一日一言』)」という言葉はまさに至言であります。

それから「運をよくする人、悪くする人の違い」を考察してみました。

運が良い人というのは、まず明るい表情をしています。

そして何事にも感謝しています。

更に自分は運がいいと思っています。

運を悪くする人は、そのすべてが逆です。

暗い表情をしていて、不平不満ばかり言って、自分は運が悪いと思い込んでいます。

運をよくしていく具体的実践として、私は、菩薩の四摂法を取り上げました。

四摂法というのは「布施。愛語。利行。同事」の四つです。

『仏教辞典』には、

「<摂>は引き寄せてまとめる意。

人びとを引きつけ救うための四つの徳。

原始仏教以来説かれるもので、<布施(ふせ)>(施し与えること)、<愛語>(慈愛の言葉)、<利行>(他人のためになる行為)、<同事>(他人と協力すること)をいう」と解説されています。

同事というのがわかりにくいのですが、「たとへば、人間の如来は人間に同ぜるがごとし」と道元禅師がお示しのように、仏様が人を救おうとするとまず人間の立場になって慈悲を行うようなものです。

まずは困っている人の身になってみることです。

相手の身になる、相手とひとつになるのが同事です。

こんな四摂法の実践が幸運につながると話をしたのでした。

それでも逆境にある時には、先代の足立管長の言葉を紹介しました。

苦しい時は 今幸せの種を 
蒔いていると思うがよい
その種はやがて芽を出す
たとえすぐ稔らなくても
私の人生これで良かった
そんな思いを残してくれる

という言葉です。

仏教では一切は空であると説きます。

空というのは、固定した実体を持たないことです。

すべては思いと言動と行動とによって変化するものであります。

今の思いと言動と行動を変えることによって未来を変えてゆくことができるとお話したのでした。

 
横田南嶺

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