駒澤大学禅文化歴史博物館へ
ただいま小川隆先生が、この禅文化歴史博物館の館長にご就任なさっているのであります。
一度おたずねしたいと申し上げていたのですが、わざわざ来なくてもと言われていました。
今回は、「澤木興道老師と駒澤大学」という特別展が行われているというので、是非ともと思って参りました。
朝方に駒沢大学に行く田園都市線が事故で止まってしまい、大学は午前中休校になったと知らされました。
しかし禅文化歴史博物館は開館しているのでどうぞと言われて参上したのでした。
結局田園都市線の運転再開は遅れてその日は休校となったようなのです。
そんな中を恐縮して拝見してきました。
大学の玄関につくと小川隆先生がお出迎えしてくださっていてこれまた恐縮したのでした。
禅歴史博物館は今年国の登録有形文化財(建造物)になったものです。
関東大震災により一部が倒壊した初代図書館にかわって建築されたもので、昭和三年から二代目図書館として使用が開始されています。
関東大震災からの復興期に隆盛したライト風建築の第一人者とされる 菅原 榮蔵の設計による建物です。
屋外のスクラッチタイルなどは旧帝国ホテルに近い意匠を用いているそうです。
小川隆先生が丁寧に説明してくれました。
中央吹き抜けの大閲覧室は天井がステンドグラスになっていてとても素晴らしいものでした。
澤木老師特別展の展示も充実していて勉強になりました。
澤木興道老師は、明治十三年(一八八〇)のお生まれで、唱和四十年(一九六五)の十二月にお亡くなりになっています。
数え年八十六歳のご生涯でありました。
私は中学生の頃から老師の本を愛読していました。
なんといっても大法輪閣から出版されていた『禅談』は座右の書でありました。
それから澤木興道全集もよく読んでいました。
『観音経』の講話にも深く感銘を受けたものでした。
中学の頃は、澤木興道老師の書物から曹洞宗の只管打坐に憧れていました。
しかし、当時私のいなかでは曹洞宗で坐禅をさせてもらえるお寺を見つけることができずに、臨済宗のお寺に通うようになっていったのでした。
澤木老師は、三重県津市の生まれです、
人力職人の多田惣太郎の四男として生まれます。
五歳で母が亡くなり、八歳で父が亡くなります。
一家は離散して、父方の叔母の家に預けられます。
更に叔父も亡くなり、沢木文吉の養子になりました。
その界隈は遊郭の裏側だったようで、澤木老師は九歳の時に遊郭で急死した男性を見て世の無常を感じたと言います。
一七歳で家出して永平寺に入りました。
もちろん簡単に出家させてもらうわけにはいかずに、作業部屋ではたらくことになったそうです。
やがて十八歳のとき、天草宗心寺住職、沢田興法和尚について念願の得度をします。
「興道」の法名を頂いたのはこのときです。
二十五歳で日露戦争に出征します。
重傷を負って帰国し、更にもう一度出征しました。
明くる年に帰国しています。
二十九歳の時に法隆寺で佐伯定胤和上について唯識を学ばれています。
この時のノートなども展示されていました。
若き日には綿密に仏教学を学んでおられたのでした。
三四歳で丘宗潭老師にめぐり会います。
以前管長日記にも紹介した丘宗潭老師の逸話も書かれていました。
若き日の澤木老師が坐禅をしていると、襖ひとつ隔てた宗潭老師の自室へある人が独参にやってきました。
「うむ、何か」
「どうぞ私のために一大事をお示し願います」
それを眼鏡越しにジロッと睨んで、
「誰の一大事じゃ」
「へえー、私のでございます」
「うむ、貴様のか。貴様一人くらい、どうでもええじゃないか、ハッハッハッハハ」
ひどい話のようですが、澤木老師はその後も、ご自身の身に非常に辛い、耐え難いようなことが起こると、必ずその時のことが思い起こされ、
「うむ、貴様一人くらい、どうでもええじゃないか、ハッハッ」という、宗潭老師の声が耳に蘇ってきたというのです。
味わい深い話なのです。
三七歳で熊本にある大慈寺の僧堂講師に就任されました。
四四歳の頃には熊本にある柴田家の別邸で坐禅三昧だったようです。
その頃から講演、説法、坐禅会の指導など各地に招かれるようになったのでした。
そして五六歳の時に、駒澤大学に招かれて教授になりました。
更に大本山総持寺の後堂にも就任されています。
はじめは博多で当時の学長大森禅戒老師にお目にかかり、大学に来るように頼まれたようですが断りました。
しかし、ウンと言ってくれるまで幾日でも帰らずにここで頑張るという大森学長の熱意に負けて引き受けることになったというのです。
その時に大森学長に出した手紙が展示されていました。
きれいな書のお手紙でありました。
澤木老師は坐禅を大学の正科とされたのでした。
坐禅に使う坐蒲も展示されていました。
それから澤木老師が坐禅されている姿の彫像も展示されていました。
とても美しい坐相であります。
臨済宗の加藤耕山老師とは昵懇の間柄であり、耕山老師の描いた達磨大師に澤木老師が讃を書かれた墨蹟も展示されていました。
たくさんの墨蹟が展示されていますが、どの書も禅僧らしい気骨が感じられて、それでいて気品があります。
澤木老師の坐禅がそのまま書になっていると感じました。
中学生の頃から憧れてきた澤木老師の息吹に触れることができた思いでありました。
多くの方の見てもらいたいと思う展示でありました。
横田南嶺