おおげさな話
「盛る」というのは『広辞苑』にはいろんな意味があります。
もともとは、「飲食物などを器物に入れて一杯にする。」という意味です。
或いは「高く積み上げる」ことです。
土を盛ると言ったりします。
それから「薬を盛る」とか「毒薬を盛る」という使い方もあります。
もとは匙に盛って調合することから言います。
薬を調合して人に与えることです。
特に、飲食物に毒物を混ぜることにも使います。
話を盛るというのは、「さらに飾りつける。おおげさにする。」という意味だと『広辞苑』には解説されています。
ここにあるように大げさにいうことです。
針小棒大という言葉もあります。
これは、「針ほどのことを棒ほどにいう」ことで、物事をおおげさにいうことです。
「針小棒大に書き立てる」などと使います。
どれも大げさにいうことです。
さてこの大げさですが、『広辞苑』を調べてみると、三つの意味が書かれています。
まずは「大きな袈裟」という意味です。
これは文字通りです。
袈裟は僧侶が身にまとう衣装です。
それの大きなのが大袈裟なのです。
それから「袈裟をかけたように肩から斜めに大きく斬りおろすこと」という意味があります。
そして三番目に「物事を実質以上に誇張していること。おおぎょう。」という意味が書かれています。
物事を大げさにいうという場合の大げさはもともとは大きな袈裟をいう言葉でした。
大きな袈裟というと、例年開山忌の折には、私たちも九條袈裟という大きな袈裟を身につけます。
普段の袈裟は七條の袈裟ですが、円覚寺では開山忌の法要など特別な時のみ九條の袈裟をつけるのです。
なかなか一人で着用するのは難しいのです。
出来なくはないのですが、着付けをしてもらいます。
例年出入りしてもらっている京都の法衣店の方が付けてくださいます。
体にぐるぐる巻き付けるようにして着用します。
これを身にまとうとかなり動きが制限されてしまいます。
それに重たいのであります。
なぜ重たいかというと、大きな布であるからでもありますが、金糸を使った金襴という袈裟だからです。
金襴というのは『広辞苑』には、
「金糸を絵緯(えぬき)として織り込み、それを主調として文様を表出した織物の総称。
地組織は平地・綾地・繻子(しゅす)地などがある。
豪華できらびやか。
古くは中国から輸入したが、天正(1573~1592)年間、中国の工人が堺にこの技を伝え、のち京都西陣で製出した。」
と書かれています。
お坊さんの袈裟などというのは、元来は質素なものであったはずです。
袈裟はもとインドの言葉の「カーシャー」の音をあてたものです。
「カーシャー」はもともと赤褐色を意味します。
「壊色(えじき)」とも言います。
壊色というのは、青・黄・赤・白・黒などの鮮明な原色を避けて、青・黒(泥)・茜(あかね)(木蘭)など混濁した色をいいます。
不正色(ふしょうじき)とも言います。
もともとはゴミ捨て場や墓地などに捨てられていた布の断片を縫い合わせて作った糞掃衣(ふんぞうえ)が原則でした。
これを衲衣(のうえ)とも言います。
衣服(えぶく)についての欲望を制するために、一般の在家者がかえりみない布の小片を綴り合わせて染めたものが用いられたのでした。
今でも南方のお坊さんが身につけているのが赤褐色の袈裟であります。
それが岩波書店の『仏教辞典』には、
「仏教の伝播と共に、気候風土や衣服の慣習の相違から種々の変形を生じた。
中国・日本では日常の衣服としての用法を離れ、僧侶の装束として法衣の上に着用し、特に儀式用の袈裟は金襴の紋様、縫い取りが施されて華美で装飾的なものとなった。」
と解説されています。
ずいぶんとハデな袈裟が用いられるようになったのです。
開山忌を迎えるには、一月くらい前から支度が始まります。
私はよく晴れた日を選んで、代々の管長が用いられた金襴の九條袈裟を蔵から出して干して防虫剤を入れ変えることをします。
その時に今年の開山忌にはどの袈裟を用いるか決めたりしています。
今年も蔵から袈裟を出しては広げていました。
円覚寺には開山仏光国師の袈裟も伝わっていますが、これは重要文化財になって普段は鎌倉国宝館に預けています。
これを着用することはありません。
寺の蔵には大梅窟老師の袈裟が古いものです。
それか朝比奈宗源老師の使われていたものがあり、先代の足立大進老師がお使いになっていたものが数点伝わっています。
どれもその年々に着用させてもらってきました。
もっとも重いのは大梅窟老師の袈裟であります。
もう今では造れないとも言われるような立派な重たい袈裟です。
禅宗では法を伝える証拠として袈裟を伝えたという伝統が古くからありますので袈裟を尊んでいるのです。
私は毎年老師方の袈裟を出しては干してまたしまっていて、その労力を知っていますので、自分の代には作って増やすことはしないようにと思っていたのですが、円覚寺の中興開山大用国師の二百年と釈宗演老師の百年の大遠諱で立派な金襴の九條の袈裟を寄進してもらったのでした。
今年は、先代足立老師が、当時の裏千家の家元から寄進してもらった九條の袈裟を使いました。
私がこれを使うのは初めてでありました。
先代がお使いになっていたので、ご遠慮申し上げてきました。
今年の八月に当時の裏千家家元であった鵬雲斎宗匠がお亡くなりになったことを思って、着用したのでした。
やはり大きくて重いのでありました。
これを着用すると体の動きが制限されてかなり不安定になります。
私の役目は開山様にお供えものをしてお香を焚いてひたすら礼拝を繰り返すことです。
そのときに最近研究してきた手の感覚に意識を向けると体がとてもまとまることを感じました。
礼拝の動作も立ったり坐ったりしますが、股関節の引き込みを意識すると体がまとまって礼拝できました。
合掌や叉手の時に手の感覚に意識を向けるのは体の安定感をましてくれます。
大きな布に包まれると意識が一定しなくなります。
それを手なら手の感覚だけに意識を向けると体が調います。
ふだんの身体の研究がこういう儀式の時にも大いに活かされるものです。
「勿体なや祖師は紙衣の九十年 」とは大谷句仏上人の句であります。
祖師のことを思うと、もったいないことですが、そんな大袈裟をまとって開山忌の儀式を務めたのでした。
横田南嶺