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臨済宗大本山 円覚寺

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2025.10.07
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白隠フォーラム in 宇和島

先月の末に京都でヨーガ禅道院の講演を終えて、そのまま伊丹空港から松山空港まで飛行機に乗りました。

松山に夜着いて一泊して、次の日には宇和島に行きました。

花園大学国際禅学研究所主催の白隠フォーラムin宇和島に参加するためであります。

大学の研究所が主催で、禅文化研究所も共催なので、大学の総長としてまた禅文化研究所所長としてご挨拶をさせてもらうためであります。

朝早くに松山市内にある石手寺にお参りしました。

石手寺は四国八十八箇所霊場の五十一番札所であります。

途中に山頭火の句碑を見つけました。

分け入っても 分け入っても 青い山

という有名な句であります。

「解くすべもない惑いを背負い行乞の旅に出た」というまえがきがあります。

山頭火にとっての青い山は惑いの山だったのかもしれませんし、それは同時に仏様の慈悲の山であったようにも感じます。

そのあと宇和島の吉田町にある大乗寺を訪ねました。

河野徹山老師は大学時代からのご縁であります。

お茶をいただいて、お昼のお弁当を頂戴して、白隠フォーラムの会場に向かいました。

会場は西予市の宇和文化会館です。

和尚様方や地元の方々、それにご遠方の方まで大勢お集まりくださり、大盛況でありました。

今回の白隠フォーラムは、大乗寺の河野老師が、

「大乗寺と遼天義頓禅師 四国における白隠禅の嚆矢」と題してご講演、
それから大洲市教育委員会の山田広志先生が、「愛媛に伝わる白隠禅画と近世郷土史」と題してご講演、最後に芳澤勝弘先生が、「白隠禅師と近世の吉田藩・大洲藩」と題してご講演がありました。

最後にお三方の鼎談でありました。

開会の挨拶を禅文化研究所理事長の松竹寛山老師がなされました。

私が閉会の挨拶をさせてもらったのでした。

大乗寺の河野老師が白隠禅師のお弟子の遼天義頓禅師のお話を丁寧に解説してくださいました。

義頓禅師という方は地元宇和島の豪商法華津屋の生まれだそうで、大乗寺で出家されました。

醍仙禅師のお弟子になられます。

そして義頓という名前をいただくのですが、それと同時に公案もいただいているのです。

そのいただいた時の書が火災で失われ、同じ言葉を天倪禅師がお書きになっている書が残っています。

今回の会場にも展示されていました。

安名といって名前を授けるのと同じに公案を与えていたということに感銘を受けました。

義頓禅師は後に原の松陰寺の白隠禅師に参禅されました。

そして大乗寺に帰って住されます。

ところが火災に遭って伽藍を焼失してしまいます。

それをご苦労なさって復興されます。

妙心寺からも瑞世を望まれますが、固辞されました。

六十七歳でお亡くなりになっています。

墨蹟が一点だけ残っていて会場に展示されていましたが、実直そのもののお人柄がうかがえる書でありました。

今回は会場に大乗寺に伝わる白隠禅師の墨蹟などが展示されていました。

圧巻が布袋と於福さんを書いた白隠禅師の大作でありました。

今回芳澤先生がこの大作が大洲に伝わった経緯を講演で話してくださいました。

山田先生は該博な知識で、大洲にいた中江藤樹の話から始めてくださいました。

大洲の曹渓院の天梁和尚について学ばれていたのでした。

それから大洲には如法寺という盤珪禅師のお寺がございます。

加藤泰興公が盤珪禅師に参禅されていたのでした。

加藤泰興公は槍の名手で槍禅一如の心境を極めるために禅に参じたとお話くださっていました。

加藤公は愚堂国師にも参じておられるそうです。

盤珪禅師にも参禅されていました。

それから内の子騒動についてお話くださっていました。

芳澤先生は白隠禅師と伊予との関わりからお話くださいました。

白隠禅師は修行時代二十二歳のときに松山の正宗寺に来ておられます。

白隠禅師が伊予に見えたのはこのときのみです。

白隠禅師が六十四歳の頃、大洲藩の加藤泰衑(やすみち)が三島宿で朝鮮通信使のご馳走役を務めて三島に滞在していました。

加藤公はこのときに二十一歳でした。

加藤公と臣下の者たちはこのときに白隠禅師に会う機会があったと芳澤先生はご指摘されていました。

これがご縁で大作の布袋於福の絵が、加藤公に送られたのではないかとお話になっていました。

大洲の加藤泰興と盤珪禅師のことはよく知られていますが、白隠禅師と加藤泰衑公のご縁があったというのは私も初めて知りました。

それから吉田藩の豪商高月狸兄と白隠禅師のご縁についてお話くださっていました。

白隠禅師はこの高月狸兄の絵を描いて、それに梁田蛻巌に讃を書いてもらっているのです。

狸兄の子供が大乗寺の義頓禅師ではないかというのが河野老師の説でありました。

宇和島と白隠禅師との深いご縁について学ぶことができたのでした。

私は終わりの挨拶で、只今その白隠禅師の禅が大乗寺の僧堂で今も挙揚されており、このことがまた百年の後には歴史になっていくのだと申し上げ、大乗寺をどうぞご法愛くださいとお願いしたのでした。

芳澤先生もとても御元気でいらっしゃいました。

多くの方が集まってくださって、まだまだ禅に関心を持ってくださる方はいらっしゃるのだと実感したのでした。

 
横田南嶺

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