世界が明るくなった
終わったあとに、何人かの修行僧が感想を述べていましたが、私の感想は驚きと共にありました。
世界が明るくなったのでした。
それまで同じ部屋にいたのですが、全く違うというほど明るくなったのです。
その中にいる人たちも皆光耀いて見えたのでした。
毎日何時間も坐禅して摂心など集中して坐っていると、こういう体験をすることはありますが、足のワークだけで同じように感じられるのに驚いたのでした。
講座を終えて歩く足取りも軽くなっているのです。
学ぶことで新しい世界が開ける、そんな喜びと感動を味わったのでした。
西園先生をお迎えに行こうと駅に向かっていると、藤田一照さんからお声をかけていただきました。
もう今西園先生は、寺の中にあがっていったところだというのです。
その日は、何時何分着の電車でお見えになるとうかがっていたので、その時間に行けばいいと思っていました。
これがよくなかったのです。
何時何分と教えてくださるのは親切なのですが、人は必ずしもその通りになるとは限りません。
一電車早くなることもあるのです。
お迎えに行くということは、駅で待つこということです。
その時間に行けばいいというのが私の思い込みであったと反省させられました。
そんなことがあって、かつてのことを思い返していました。
この頃は電話などの通信機器も発達しましたので、何時何分に着くという情報が伝わりやすいものです。
しかし携帯電話も無い頃は、そんな便利ではありませんでした。
先代の管長様にお仕えしていて、何時にお帰りになるか、そんな情報はまず入りませんので、こちらで想像してお待ちしたものでした。
寒い風の吹く中を一時間も二時間も立ってお待ちしていたことなどを思い返していました。
『無駄骨を折る』という本を出版していますが、私の修行時代などは無駄骨ばかりでありました。
ただ今になって考えてみると、その無駄というのは尊い時間だと思うのであります。
西園先生の講座では毎回修行僧達から前回の講座から今回までに気がついたことや質問がないかと聞かれます。
早速ある修行僧が質問していました。
身体の硬い青年です。
昨年修行道場に入門して、はじめの頃は足を組むにも難儀していました。
一年経ってかなり坐禅も慣れてきています。
身体が硬いだけに、毎日ストレッチを小一時間かけてやっているそうです。
身体をほぐしてから寝るのですが、次の日の朝になると、前日より硬くなっていると感じるというのです。
昨年からのことを考えると身体も柔らかくなってきていると感じるのですが、毎日は一進一退という気がするらしいのです。
こういう質問をされると、私などは、そんなに硬いやわらかくなるなどに一喜一憂せずに淡々と毎日やることをやればいいのですと答えると思います。
手っ取り早く言えば、余計なことを考えずにやるべきことを淡々とやればいいという答えです。
西園先生は、まず「朝は体が硬いものです」と仰っていました。
このひと言でもホッとするものです。
そうか先生でもそうなのかと思うとこちらも頑張ろうと思うものです。
「硬くなるけれども動いたらほぐれるということは、血行が良くなったらほぐれるということ」なのだと解説してくださっていました。
朝起きてどのくらいの疲れの残り具合かで硬さは違うそうです。
しかし、毎日続けた方がいいのです。
いろんなストレッチをして、その行う内容を変えるのではなく、毎日繰り返す中で感覚の深さが変わっていくというのです。
このことは勉強になりました。
毎日同じようにやっていても日々いろいろ違うはずです。
体の硬さ、筋肉の硬さ、伸び具合というのは、その日の運動量にもよるし、その日の内臓の疲れ具合。筋肉疲労などにも関わります。
その疲労度によって硬くなったり、ストレッチで曲げる角度も変わったりします。
「今日はこうなんだな」みたいに感じたら、内臓疲労がもし原因だったら、柔軟性を確かめることによって、自分にはこの食事がどうなのか観察していくのがいいですというのです。
どんどん柔らかくなるということもあるけど、身体の変化やその波とともにその体の使い方を省みることだ大事だと教えてくださいました。
とても親切な解説で納得がいくものでした。
そして毎日頑張っていこうという気持ちになるものです。
もう一人の修行僧が、手と足で握手をするというワークを行うと、足の裏がどうしてもすぐにつってしまうので、どうしたらいいかという質問でした。
西園先生はまず、「つるという現象というのは、よくすぐ言われるのはミネラル不足もある」と仰っていました。
ミネラルというのは、神経を伝達するときの栄養なのだというのです。
ミネラルは神経伝達と筋の伸縮性に必須なのです。
それが。不足すると末梢への伝達低下や収縮不全が起きやすいのです。
関節は全部つながりあっていますが、縮む側と伸びる側の協調が崩れてしまうと、倍の力が必要になり、つりやすくなるそうです。
力をいれるにも一か百ではなく、もっと多段階の出力を調整することが大事だと教えてくださいました。
骨を一個ずつ動かす意識で、一から百までの目盛りを増やすようにして調整すると予防に役立つということでした。
このような質問とその的確な回答からも学ぶことがあります。
そこからいつものワークが始まりました。
チェック動作というのがあるのですが、最初の頃は全くできなかったのが、この頃はぎこちないのですが、少しは出来るようになっています。
足で立っていてもまだ何もしなくても足の裏から地面に三十センチくらいは深く杭が刺さっているかのように感じることができます。
もっともこれが終わった後には何メートルも深く足の裏から刺さって立っているように感じられるのです。
足指を左右前後に開くといのを行っていますが、今回は特に足指の骨から足指を開くように指導してくださいました。
足の裏を両手で包むようにしてほぐすのも、両手の親指でふわふわっと、筋肉は潰さず、骨を動かすようにします。
骨を感じるようにするのです。
骨を触りにゆこうとすると筋肉や皮膚の存在が消えるような、透明になるような感じがして足が手の感触を受け取る感じになるのです。
足の感覚の景色になると表現されていました。
受け取り側を意識するといいというのです。
足はどう感じているのかなと意識するのです。
硬くなってしまう人は「感じる」ということをしないで動いていると指摘されていました。
これは教える時にも、受け取り手の感じを大事にすることにも通じます。
感じると変わってくるのだというのはとても大事な視点です。
かくして一通り終わって立ち上がると、世界が明るくなっていたと感動したのでした。
毎回多くの学びをいただいているのであります。
横田南嶺