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臨済宗大本山 円覚寺

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2025.09.10
今日の言葉

黄檗禅師のこと

黄檗禅師のことが世に知られるようになったのは、裴休という役人との出会いによると言ってもいいでしょう。

筑摩書房『禅の語録8 伝心法要・宛陵録』にある入矢義高先生の解説には次のように書かれています。

「黄檗は百丈の法をついだのち、やがて洪州にほど近い高安の地に、出身の寺の名に因む黄檗山を開創する。

百丈の入寂は元和九年(八一四)のことであるから、おそらくその数年後であろう。

かれはそのころしばらく洪州大安寺(開元寺ともいう)にいたともいわれる。

洪州大安寺は、かつて馬祖がいたところであるから、黄檗がここにいたという可能性は強い。

また、かれが杭州塩官の門下で、まだ沙弥として身をひそめていた宣宗と相い知ったというのも、おそらくこの間のことであろうし、南泉を訪うたのも同じ頃であろう。

しかし、洪州宗の後継者として、かれの名声が一時に聞えはじめるのは、何としても黄檗山の開創を機としてである。

かれと裴休との邂逅を、かれが大安寺で衆僧の中に混じていた頃のこととする有名なエピソードは、おそらく後の附会である。

裴休がかれに贈ったという詩は、そうした型通りの禅機を必要とはしない。

むしろ、裴休と黄檗の出遇いは、裴休みずから記しているように、会昌二年にかれが鍾陵、すなわち洪州に観察使として在任したとき、その道名を聞いて城中の龍興寺に迎え、旦夕問道したときのこととするのが、おそらくもっとも自然である。

その頃、裴休はすでに洪州宗の主張について、宗密を通じて知るところがあったはずで、そうした予備知識が、かれの黄槳への信頼をいよいよ深めたことと思われる。」

というのです。

裴休は、西暦七九七年に生まれ八七〇年に亡くなっています。

もともと圭峰宗密について華厳を学び、黄檗禅師を自らの任地にある龍興寺や開元寺に迎えて道を問うたのでした。

『碧巌録』には、そんな裴休と黄檗禅師の出会いが書かれています。

こちらは山田無文老師の『無文全集第一巻 碧巌録一』から引用します。

「黄檗はまた総理大臣になった瑟休という男と方外の友であった。

方外の友。

世俗を超越した交わりを結ぶ友人である。

黄檗が大安寺で雲水をしておった時に、この知事が大安寺にやって来た。

僧が案内をして、たまたま壁に描かれた頂相の前に行くと、裴休が尋ねた。

「これは何の絵だ」

「これは昔の祖師方の肖像でござります」

これを聞くと裴休が、

「真儀は観る可し、高僧は何れにか在るー肖像画であることは分かったが、その人は今どこにおるか」

案内の僧はこれに答えることができなかった。

裴休はそこで尋ねた。

「何百人も坊主がおるようだが、この中には禅の分かった坊主はおらんのか」

その時分にはまだ禅宗の寺はなかったのだから、禅僧は他宗の寺で一緒に暮らしておったのである。

すると案内をした知客寮の僧が、

「そう言えば禅僧らしき老僧が一人おります」

と言って、皆にまざつて黙々と作務をしておった黄檗を連れて来た。

そこで裴休が、

「真儀は観る可し、高僧は何れにか在る」
と尋ねると、黄檗、

「裴休ッ」

とその名前を呼ばれた。裴休、思わず、

「ハイッ」

と返事をすると、すかさず、

「甚麽の処にか在る-その返事をした人はどこにおるか」

こう、黄檗に突っ込まれて、裴休、忽然として悟りが開けたというのである。

それから裴休はこの黄檗に帰依をすることになり、自分が知事をしておる領地に迎えて来たのである。」

と説かれています。

またこんな話もあります。

「その時に裴休は宛陵の知事をしておったので、自分の領地に来てもらつたのである。

そこで、裴休は自分の悟りの境地を文章に表わして、黄檗に見せた。

黄檗はそれを黙って受け取ると、膝の傍に置いたままいつこうに見ようとはしない。

しばらく黙っておったが、やおら口を開いて、
「分かるか」
「いえ、何も分かりません」
「この黙って坐っておるところで、あなたが分かるならば、いささか悟りが開けたと言える。あなたのように紙に書いて、それが悟りだなぞと言っているようでは、我が禅宗が分かったとは言えん」

裴休、これを聞いてすっかり感激してしまった。」

というのであります。

この裴休が黄檗禅師のお説法をまとめたのが、『伝心法要』であります。

黄檗禅師がある年の九月一日に裴休に示された説法があります。

「九月一日、師は私に話された

達摩大師が中国に来られてこのかた、説かれたのはただ一つの心だけであり、伝えられたのはただ一つの法だけである。

その伝えかたは、仏(心仏)によって仏を伝えるという方式で、それ以外の仏を取り出すことはなく、また法(心法)によって法を伝えるという方式で、それ以外の法を取り上げることはなかった。

その法とは言い表わしようのない法であり、その仏とは把握しようのない仏である。

つまり本源清浄心なのである。

このことだけが唯一真実の教えであり、その他の教えは真実ではない。

般若とは智慧であるが、その智慧とは、ほかでもない、姿かたちのない本源の心のことである。」

と直に心について説かれています。

伝心法要は。今も筑摩書房『禅の語録8 伝心法要・宛陵録』によって学ぶことができます。

裴休という方のおかげで黄檗禅師の教えを今も学ぶことができるのです。

 
横田南嶺

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