枢機卿に会う
ただいま日本にはお二人しかいらっしゃいません。
先だってローマ教皇がお亡くなりになって、新しい教皇を選ぶコンクラーベにも参加されるのが、枢機卿であります。
そんな方にお目にかかることはめったにありません。
お目にかかったのは、前田万葉枢機卿であります。
二〇二三年の四月に一度お目にかかっています。
『かまくら春秋』という冊子があって、令和三年から前田枢機卿と私とで連載をさせてもらっているご縁でありました。
前田枢機卿は、心をたがやす聖書の言葉、私が心をたがやす仏典の言葉というのをずっと連載させてもらってきました。
それが二年前にそれぞれ連載した二十五話をまとめて一冊の本にしてもらいました。
『心をたがやす』という題の本であります。
それから更に二十五話がたまったので、またまとめて一冊にしてくださるのです。
前回の本にもそれぞれの連載と、前田枢機卿と対談した記事を載せたのでした。
前回の対談は、かまくら春秋社からの出版ということで、前田枢機卿に円覚寺にお越しいただいて行いました。
今回は、鎌倉から枢機卿のいらっしゃる大阪のカトリック玉造教会を訪ねて行いました。
大阪高松カテドラル聖マリア大聖堂というのです。
対談は午後から行われて、夕方には終わりましたので、日帰りで行ってきました。
前の日に、西園美彌先生の足指のトレーニングを受けていたので、その余韻がまだのこっていて、歩く足取りがとても軽く、駅の階段でもすーっと登ることができます。
新幹線の中ではイス坐禅の姿勢を心がけているので疲れも感じることがないのです。
それでも、とても高い立場の方にお目にかかって話をするので、緊張しました。
ただ初めてではなく二回目にお目にかかるので、多少気楽な一面もありました。
控え室で待っていると、枢機卿が正装して現れました。
なにか行事のあった後なのかと思っていましたが、私と対談するというので、お召しくださったというのです。
それは前回対談した折に、私が法衣でお出迎えしていたからだと仰るのでした。
その折に枢機卿はスーツでお越しでありました。
私などは洋装の習慣がないので、いつでもどこでも法衣で人に会うので、これが普段着でもあります。
ただその枢機卿のお心遣いに恐縮しました。
その日はかなり暑い日でしたが、どうもお見受けするところ、夏用の衣装ではありません。
私が恐る恐る、それはお暑くありませんかとうかがうと、やはり夏用の衣装ではないのだそうです。
そしてなんと夏用のは作っていないと仰るのです。
そう何度も使うものでもないし、夏のは作らずにこれで通しているのですとお笑いになっていました。
枢機卿という高い地位にありながら、実に質素な方なのです。
こちらが夏用の紗の法衣で参りましたので、恐縮しました。
対談の前には、大聖堂を案内していただきました。
入ると息をのむような広さです。
思わずここにはどれくらいの人が入れますかとうかがうと千五百人入れると聞いて驚きました。
正面にはマリア様の大きな絵がございます。
これは堂本印象が描かれたそうです。
大作であります。
昭和二十年の大阪大空襲で聖堂は焼失し、昭和三八年に聖マリア大聖堂が建てられたそうです。
今教会の建っているあたりが、豊臣秀吉の時代に細川越中守忠興の屋敷があったそうです。
大聖堂の近くにある越中井は細川ガラシャ終焉の地と伝わっています。
そこで、大聖堂内内陣左側には細川ガラシャを描いた大きな画が掲げられています。
「最後の日のガラシア夫人」と聖堂正面の壁画「栄光の聖母マリア」、右側にある「高山右近」は堂本印象の筆なのです。
ただいま大聖堂では、安土桃山時代に長崎で殉教したキリシタン二六人が描かれた肖像画「日本二十六聖人画」のうちに二枚がバチカンの美術館から里帰りして展示されています。
他にもレプリカが飾られていました。
これは広島市出身でカトリック信徒の日本画家・岡山 聖虚(一八九五~一九七七年)の代表作だそうで、バチカン美術館で保管されていました。
一九三一年に当時のローマ教皇に献上したそうです。
それ以来、九四年ぶりの“里帰り”となったというのです。
とても素晴らしい絵で、その目の澄んだ輝きに感動しました。
対談では、先だって行われた教皇選挙、コンクラーベについてうかがうことから始まりました。
コンクラーベが行われた頃には、日本から参加されたということで、前田枢機卿のお姿を報道でも拝見していました。
とても公開できないような秘話も教えてくださいました。
それからこのたびかまくら春秋社から上梓された『図説天正遣欧使節』という本にちなんでお話させてもらいました。
天正遣欧使節とは
「天正一〇年(一五八二)ヴァリニャーノの企画により、九州のキリシタン大名大友宗麟・有馬晴信・大村純忠がローマに遣わした使節。
伊東マンショ・千々石ミゲルを正使、中浦ジュリアン・原マルチノを副使とし、教皇グレゴリウス13世に謁見、同18年帰国。」
と『広辞苑』に解説されています。
当時まだ十四歳の少年たちが二年半もかけてヨーロッパに派遣されたのでした。
文字通りの命がけです。
しかし悲劇が起こります。
派遣されたのは織田信長の時代でキリスト教も認められていたのですが、秀吉の時代になってしまい、バテレン追放令が出されたのでした。
帰国した後には更に家康の時代となって、キリスト教は禁じられ迫害されるのです。
キリスト教から離れた者もいて、拷問にあって死んだ者もいるのであります。
なんとも悲しい話であります。
それからこの教会ゆかりの細川ガラシャ夫人についていろいろお話をうかがいました。
対談は二時間ほどですが、あっという間に終わったという思いでした。
枢機卿の飾らないお人柄と、信仰に生きる純粋な思いに触れて、こちらも心浄められる思いでありました。
横田南嶺