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臨済宗大本山 円覚寺

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2025.08.16
今日の言葉

草も木も山も海も皆仏

東嶺和尚の『宗門無尽灯論』のはじめに、お釈迦様がお悟りを開かれたときの言葉として、

「奇なる哉、一切衆生、如來の智慧徳相を具有す」

という言葉があり、
更に

一佛成道 觀見法界 草木國土 悉皆成佛。」

という言葉が出ています。

はじめの方は、なんという不思議なことだ、あらゆる生きとし生けるものは皆如来の智慧と徳相を具えているではないかという意味です。

あとの方は、一人の仏様が悟りを開いて、この世界を観てみれば、草も木も国土も皆悉く成佛しているではないかという意味であります。

白隠禅師に参禅された庵原の平四郎が三日間お風呂場にこもって坐禅して悟りを開いたときにも同じことを言っています。

平四郎が白隠禅師にお目にかかろうと、薩埵峠を越えて田子の景色を眺めたときに、自分が先に得た体験というのは、草木国土悉皆成仏の端的であったと分かったというのです。

「草木国土悉皆成仏」とは、岩波書店の『仏教辞典』には。

「草木国土悉く皆成仏す」と読み下されるもので、草・木・国土など心を持たないもの(非情)すべてが、人間など心を持ったもの(有情)と同じように仏性があって成仏することをいう。」

と解説されています。

この点はチベット仏教などとは主張が異なるところであります。

チベット仏教などでは、成仏するのは有情に限られると説いています。

有情というのは、感情や心のはたらきを持つものを言います。

また『仏教辞典』には、

「草木成仏」についても解説されています。

「草や樹木のような心を有しない非情のものでも、有情(衆生)と同じように仏性をもっており、仏となることをいう。

<無情成仏><非情成仏>ともいう。

有情・非情などの差別の見解を超えたならば、万法はすべて真如仏性の顕現以外なにものでもないのであるから、非情の草木もまた成仏することができるとする。」
と解説されています。

更には「仏性について、涅槃経では<一切衆生悉有仏性>と説かれているが、中国においては、衆生の範囲を超えて、心をもたない草木でも同じように成仏できると考えられるようになった。」

と書かれています。

更に「この思想は浄影寺慧遠(えおん)に萌芽的に見られるが、はっきりした形では三論宗の吉蔵にはじまる。

唐代には天台・華厳・禅などがそれぞれの立場から草木成仏説を展開する一方、その主張が安易な空論に陥ることに対する批判も見られた。」

とも説かれています。

それから
「日本では、もともと固有の信仰にアニミズム的、自然順応的な態度が見られ、草木成仏説も比較的抵抗なく受容された。」

とも解説されています。

日本の神道では岩や滝など自然のものをご神体としているところもあります。

私のふるさと新宮市にある神倉神社なども、ご神体はゴトビキ岩という大きな岩であります。

熊野権現が初めて地上に降臨したとも言われています。

花の窟神社というのも三重県熊野市にあります。

ここは季節の花を供えて伊弉冉尊を祭ったと言われています。

この神社には社殿はありません。

熊野灘に面した高さ約45メートルの巨岩である磐座(いわくら)が神体なのです。

先日比叡山にお参りした帰りにふるさとの熊野に寄ったのでした、

久しぶりに鬼ヶ城にも参りました。

鬼ヶ城は坂上田村麻呂が桓武天皇の命を受けて、鬼と恐れられこの地を荒らし廻っていた海賊・多娥丸(たがまる)を征伐したという伝説があります。

獅子岩という珍しい形の大きな岩があります。

とても暑い日ではありましたが、熊野の海や山、大自然にふれると、すべてが仏のご身体だと感じられるのであります。

これもまたこの世界がすべて毘盧遮那仏の現れだとする華厳の教えにも通じるのであります。

久しぶりにふるさとのお墓にもお参りしました。

「紺屋の白袴」という言葉があります。

商売に忙しく、自分のことをするヒマのないことを言います。

私など、役目柄他人様のお墓にはお参りしますが、ふるさとの墓にお参りすることはほとんどないのであります。

平素のご無沙汰をわびて、お線香をあげお経をあげてきました。

市内を少し歩いていると、弟が珠算学校の校舎が残っていると教えてくれました。

ふるさとに行っても変わることのないものもあれば、すっかり変わったと感じるものもあります。

かつて通っていた小学校などはもうありません。

珠算学校があると聞いて驚いたのでした。

もっともそれは建物だけ珠算学校の頃のもので今は別のことに使われています。

しかし、建物はそのままだったのです。

木造二階建てです。

私が小学生の頃は算盤が必須でありました。

それで珠算学校には大勢の子供達が通っていたものでした。

今やその小学校もなく、算盤を使うこともなくなりました。

私が習っていた頃にも、ある人は算盤などはやがてコンピューターができてなくなるだろうと言っているのを耳にしていました。

ほんとうだろうかと思いながらも、熱心に習ったものです。

買い物をするにしても暗算ができないと困ったものでした。

それが今やどうでしょうか。

算盤はもとより、買い物で暗算することもほとんどありません。

ピッピッと電子で読み取って終わりであります。

わずか数十年でも大きく変わるものであります。

それに比べると鬼ヶ城の岩などは、千数百万年前の火山活動によって形成されたものです。

それが今も変わらずにあるのです。

うつりかわる人間の営みと変わらぬ大自然の姿との対比に考えさせられます。

時には大自然に触れて、この草も木も山も海も皆仏の姿だと感じるのはいいことです。

 
横田南嶺

草も木も山も海も皆仏

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