らしくなれ
その立教百年の大祭にお招きいただいて参列してきました。
思えば十五年前に、立教八十五年の式典に招かれたのが、私にとって初めてのご縁でありました。
管長に就任して間もない頃でありました。
各宗派、本山の管長などが大勢集まる式典であります。
私も初めてのことであり、緊張して参列したことを覚えています。
出席にするか、どうかも迷ったのですが、その当時まだお元気であった前管長の足立大進老師も、念法眞教と円覚寺の朝比奈宗源老師とのご縁が深いので、是非とも参列しておくようにと言われたのでありました。
念法眞教というのは、大正十四年の八月三日に、小倉霊現開祖が、久遠実成阿弥陀如来から霊告を受けられて始まった教えであります。
それが今年でちょうど百年になるのです。
その教えが脈脈と受け継がれて、ただいまは第四代燈主になっています。
念法眞教と円覚寺とのご縁は、念法の開祖小倉霊現様と朝比奈宗源老師とが、お互いに肝胆相照らす仲であられたことから始まっています。
昭和四十八年に伊勢神宮の式年遷宮を記念して世界連邦宗教者大会が伊勢の地で開かれました。
その時大会長であった、朝比奈老師は伊勢神宮に参拝し、天照皇大御大神からご神託を受けられたと申します。
「世界連邦の理想も大事だが、まず足元の日本の精神的再建が先決だ」と。
このことがもとになって、昭和四十九年に「日本を守る会」が結成され、念法眞教の小倉開祖も発起人として協力なされたのでした。
その年の六月に小倉開祖は円覚寺を訪れ、朝比奈老師とも対談されたとうかがっています。
そのとき小倉開祖と朝比奈老師とは、初対面だが百年の知己のようであったと伝えられています。
また昭和五十一年に小倉開祖の東京初親教がなされた時に朝比奈老師は講演をなされています。
更に朝比奈老師は念法眞教の本山金剛寺にも拝参なされています。
本山の広場の大きな石に、「自分を知ってらしくなれ 」と書いてあるのを一見して「仏法の極意、まさにこの一語に尽きる。さすがに念法の親爺さんだけのことはある」と朝比奈老師は感嘆されたという話です。
前管長の足立老師のおそばでお仕えしていて、毎年お正月に念法眞教の方がご挨拶に見えているのを存じ上げていました。
私もそのご縁を引き継ぐことになったのであります。
管長に就任して間もない、まだ四十代半ばのころ、立教八十五年の行事に参列したのでした。
今回は百年の行事で、私もようやく六十歳となりました。
それでも各本山の管長様方の中ではまだまだ若輩であります。
念法眞教の開祖が示された「自分を知ってらしくなれ」とは、「自分らしくなれ」ということでありますが、これは決してわがままになることではありません。
かの明恵上人はその『遺訓』に次のように説かれています。
「人は阿留辺畿夜宇和(あるべきやうわ)と云いふ、七文字を持(たも)つべきなり。僧は僧のあるべき様、俗は俗のあるべき様なり。乃至帝王は帝王のあるべき様、臣下は臣下のあるべき様なり。此あるべき様を背く故に、一切悪(わろ)きなり。
我は後世たすからんと云いふ者に非ず。ただ現世に先ずあるべきやうにて、あらんと云者なり。」
という文章であります。
訳しますと、
「人は「あるべきようわ」という、七文字をたもつべきであります。
僧であれば僧の「あるべきよう」があります。
俗人であれば俗としての「あるべきよう」があります。
帝王は帝王の「あるべきよう」があり、臣下ならば臣下の「あるべきよう」があります。
僧、俗の者それぞれ皆が、この「あるべきよう」に背くために、すべて悪くなってしまうのです。
私は、生まれ変わった次の世で救われようなど思う者ではありません。
ただこの現世において、まず「あるべきよう」にあろうとしている者です」
というところです。
らしくなるというのは、簡単のようで難しいことであります。
念法眞教では
「自分をよく見つめ、人は人らしく、仁・義・礼・智・信の五つの徳を磨いて生活を送ることで、この世に極楽が生じ、素晴らしい世の中になる」
と説かれています。
朝比奈老師は禅僧として長年坐禅の修行をなされて、「仏心」を明らかにされて、その仏心の信心をお説きになりました。
人は皆生まれながらに尊い仏心をもっています。
この仏心に目覚めて暮らすことこそ、「自分を知ってらしく」生きることにほかなりません。
仏心とは大慈悲の心であります。
人は仏心の中に生まれ、仏心の中に生き、仏心の中に息を引きとるのです。
生まれる前も仏心、生きている間も仏心、死んでからも仏心、仏心とは一秒時も離れてはいないのです。
その自覚に生きるのであります。
もっとも仏心の中にありながら、思うに任せぬことも多々ございます。
禅の初祖である達磨大師は、この世でいろんな苦しみに直面したとき、それは前世の行いの報いであると受け止め、恨まずに甘んじて受け入れることを報怨行として説かれました。
そして苦楽は因縁によって起きるだけのもので、実体はないと見て、栄誉や屈辱に一喜一憂せず、どんな状況でも道と共に静かに生きることを随縁行として説かれました。
前管長は、つねづね僧侶はどうあるべきかを問い続けるようにと言われていました。
いかにあるべきかと反省し求め続けよと説かれていました。
その言葉は今も耳に残っています。
そのように自ら省みることは「らしくなる」ことへの道に繋がるのだと思います。
横田南嶺