幻住
中峰和尚の名前を初めて知ったのはまだ学生の頃でした、
中峰和尚座右の銘を読んだのでした。
はじめて読んだ時の感激は忘れがたいものであります。
原文は漢文なので、現代語訳してみます。
「末法の時代のお坊さんたちは、外見だけは出家修行者の姿をしていますが、心には恥じ入る気持ちがなくなってしまい、身体には法衣をまといながらも、心は俗世の欲にまみれてしまっています。
口では経典を誦えていますが、心の中は貪りや欲望にとらわれていて、昼は名声や利益を追い求め、夜は愛情や執着に溺れてしまっています。
外見だけは戒律を守っているように見せていますが。内心ではひそかに戒を破っています。
常に世俗の道を歩み、悟りを求めて俗世を離れることなどすっかり忘れてしまっています。
妄想に執着し、すでに正しい智慧を捨て去ってしまっています。」
という強い反省の文章から始まります。
そのあと十項目にわたる心構えが説かれています。
一つには、仏道を求める心を堅く持ち、必ず自己の本性即ち仏性を明らかにしようと努めること。
二つには、古人の示された公案についてその真意は何かと深く疑い、まるで鉄を噛むように、簡単に理解しようとせず徹底的に取り組むこと。
三つには、坐禅に励んで、橫になったりしないようにすること。
四つには、常に仏様や祖師の語録を読んで、常に自らの至らなさを恥じ、反省すること。
五つには、戒律を清らかに保ち、身と心をけがしてはならない。
六つには、立ち居振る舞いを静かに整え、乱れた振る舞いをしてはならない。
七つには、言葉を少なく、声を静かにし、冗談や笑いを好んではならない。
八つには、たとえ他人が信じてくれなくても、他人から非難されるようなことをしてはならない。
九つには、いつも掃除ための箒を手にして、堂内や建物を掃除すること。
十には、修行に倦むことなく、満腹になるまで食事を貪ってはならない。
そして最後に
「生死の問題は重大であり、時はすぐに過ぎ去るものだから、一瞬一瞬を惜しむようにしなさい。
世間は無常であり、移り変わりはあまりにも早く、時は人を待ってはくれない。
人として生まれることは難しいのですが、いまこうしてすでに人の身を受けています。
仏法を聞くこともまた難しいのですが、いままさにこれを聞いています。
この身を今生で救わなければ、いったいどこでこの身を救うことができるでしょうか。」
という文章です。
中峰和尚は、西暦一二六三年に生まれ一三二三年に亡くなっています。
中国の杭州の生まれです。
高峰原妙禅師の法を継がれています。
この方は「定居なく、あるいは船中に、あるいは庵室に起臥して自ら「幻住」と称した」と『禅学大辞典』には説かれています。
この一派を幻住派と称するようになりました。
「この派の特色は、派祖中峰の隠遁的性格と禅浄一致の思想を継承し 当初は中央五山から離れ、地方教化に終始していた」と『禅学大辞典』に書かれています。
後には幻住派も五山に進出してゆきます。
この中峰和尚に参じた日本の禅僧も多いのです。
無礙妙謙禅師もまたその一人です。
仏真禅師と諡されています。
仏真禅師は、武蔵国の方で、佛光国師のお弟子である高峰顕日禅師に法を継がれています。
元の国にわたって中峰和尚にも参じています。
帰国して鎌倉の寿福寺の住持し、さらに円覚寺第三十六世となり、如意庵を営み退居されています。
上杉憲顕に招かれて伊豆国清寺の開山となっています。
伊豆に国清寺という円覚寺派の寺院があります。
このお寺は、特別なお寺で、なにせ最盛期には末寺三百、塔頭も七十八もあったという大寺院だったのです。
この寺の創建に諸説あるようです。
お寺のパンフレットには、「康安元年(1361)室町幕府の有力者であった畠山国清は関東管領に背き鎌倉から伊豆に居を移し、翌康安二年春、奈古谷に一寺を建て、これを国清寺と呼んだ」と書かれています。
先日はこの国清寺を訪ねました。
ただいま国清寺では、毘沙門堂にお祀りされている毘沙門天の五十年に一度のご開帳に向けて準備をされています。
五十年に一度というと、前回は昭和五十年のことでありました。
この毘沙門堂がまた由緒があるのです。
国清寺から二キロほど山道を登ったところに毘沙門堂があります。
平安後期に文覚上人がこの毘沙門堂に配流されたのでした。
後に源頼朝に旗揚げの決意をさせたとも言われています。
毘沙門天のお像は慈覚大師作と言い伝えられています。
また毘沙門堂に登る途中の仁王門には仁王さまがお祀りされています。
源頼朝が壇ノ浦の戦いに勝ち平家が滅亡した翌年に運慶父子に命じて作らせて寄進したと伝えられているのです。
とても由緒のある仁王さまで迫力があります。
また毘沙門堂に登ってゆく山道の途中には文覚上人を訪ねて源頼朝と政子が腰かけて休んだという夫婦石もございました。
ただいま国清寺をお守りしているのは、高岩院の和尚です。
和尚とは円覚寺の修行道場で共に修行したご縁があります。
ご開帳に向けて寄付を集めているというので、応援したいと思いました。
最盛期には七十八もあった塔頭も今は四ヶ寺が残っています。
高岩院と徳隣院と竜泉院と松月院です。
高岩院は華頂峰、徳隣院は寒山窟、竜泉院は石牛洞、松月院は愈好軒というそれぞれ独自の山号があります。
幻住派を思わせる山号であります。
今回初めてその四ヶ寺の塔頭もお参りすることができました。
「幻住派」の雰囲気を感じることができたのでした。
今回の国清寺参拝については八月九日に予定しているライブ配信で紹介させてもらいます。
横田南嶺