山下に流水有り
黙雷老師の端正な書は拝見するだけで、居ずまいをただし、背筋が伸びる思いがします。
書かれている白隠禅師の詩は、白隠禅師二十三歳の時のものです。
幼くして地獄の話を聴いて、怖れおののき、地獄から逃れるにはどうしたらいいのかと白隠禅師ははじめ天神さまを信仰し、観音さまを信仰し、更に出家して修行をなされていました。
ところが十九歳の頃に、清水の禅叢寺で、巌頭和尚の話を聴いて愕然とします。
巌頭和尚といえば唐の時代を代表する禅僧ですが、賊に襲われて殺されてしまいました。
その時の叫び声が数十里に聞こえたとありますが、白隠禅師は盗賊の災難さえ避けることができないのにどうして地獄の業を逃れることができようかと大いに悩みました。
一時は修行にも身が入らなくなっていました。
それが二十歳の頃に、美濃の瑞雲寺で馬翁和尚のもとで修行していて『禅関策進』にであいます。
慈明和尚が夜坐禅していて眠くなると自らの股を錐で刺して目を覚まして修行したという話です。
その話を読んでこれまでの自分の考えを大いに反省してまた修行に励むようになったのでした。
二十一歳の時に伊自良の東光寺にも行かれています。
こちらも名刹であります。
東光寺を辞して二十二歳で若狭小浜の常高寺に行って修行されました。
ここで暁舜禅師の偈を読んで涙を流して感激したという体験をしました。
暁舜禅師の話は小川先生の『宗門武庫』の講義で学んだところです。
暁舜禅師は棲賢寺のある地方の役人の怒りをかってしまい、なんと僧籍を奪われて還俗させられてしまいました。
かつて暁舜禅師に師事されていた大覚禅師のはからいによって、仁宗皇帝が、暁舜禅師を宮中に呼んで直に会って、そのすぐれた禅僧であることを確かめて、再び棲賢寺に戻させたのでした。
その再び棲賢寺にお入りになるときに、偈を作られました。
「端無くも譖せられ枉げて迍(ちゅん)に遭い 半年有余俗人と作る 今日再び三峽の寺に帰り 幾多(いくば)くか歓喜し幾多(いくば)くか嗔る」。
という偈を作られたのです。
その偈の結句「幾多(いくば)くか歓喜し幾多(いくば)くか嗔る」という句に白隠禅師が感激されたのでした。
そのあと白隠禅師は更に四国に渡り、伊予松山の正宗寺に行きました。
そこで逸禅和尚の仏祖三経の提唱を聞き、四十二章経の一節に深く感銘を受けたのでした。
それはどんな一節かというと、原文は漢文ですが、現代語に意訳します。
「仏さまが仰せになった、仏道を修めるものは、ちょうど木が水にあって、川の流れにそって行くようなものだ。
両岸に触れず、人に取られたりせず、ばけものに遮られず、うずまきに巻き込まれてとどまったりせず、また腐ったりしなければ、私はこの木が流れて必ず海に入ることを保証する。
それと同じように道を学ぶ者も、欲望の為に惑わされず、さまざまなよこしまなる誘惑に乱されず、悟りを求めて精進してゆけば、この人は必ず真の道に入ることを保証する」というところです。
これから『禅関策進』を友とし『仏祖三経』を師として常にそばにおいて手放さなかったのでした。
二十三歳で、愛媛から海を渡り、福山の正寿寺に行きます。
更に岡山に行きましたが、仲間達は岡山の壮麗なお城を見物していましたものの、白隠禅師は、「修行もできていないのにどうして観光などできようか」と瞑目してお城を見ることはなかったのでした。
修行一途な白隠禅師でありました。
岡山から播州にいたり、ある山寺で一晩泊まりました。
そこで谷川が流れているのを見て感じるところがありました。
そして漢詩を作りました。
「山下に流水有り、滾々として止む時無し。
禅心若し是の如くならば、見性豈に其れ遅からんや」という詩です。
流れる水が滾々として止む時がないように、修行もまたそのように怠ることなく務めれば、悟りが開けるのも遅くはないであろうという意味です。
そののち兵庫に向かいます。
その途中、一人の仲間が病気になってその荷物も持ってあげました、
更に自分も疲れたから持ってくれと頼まれて、三人分の荷物をかついで旅をしたのでした。
白隠禅師は、この功徳によって速やかに悟りの眼が開けますようにと念じて無字の公案を工夫しながら歩いたのでした。
更に兵庫から浪速に向かって船に乗りました。
ところが大波でたいへんな目に遭ったのでした。
十艘船が出てたすかったのはその船だけでした、
お坊さんたちはお経をあげて祈り、皆気息奄々たる様子でしたが、白隠禅師は昼間仲間の荷物の持って歩いた疲れでぐっすり眠って何も気がつかなかったのでした。
白隠禅師は陰徳あれば陽報があると確信されたのでした。
このような逸話は白隠禅師の修行ひとすじな心が伝わってくるものです。
その「山下に流水有り、滾々として止む時無し。」という偈を黙雷老師が端正な書で揮毫されているのであります。
白隠禅師の篤い求道心が伝わってくる墨蹟であります。
横田南嶺