禅定と智慧
前回は、敦煌文書の発見の話で終わりました。
はじめに敦煌で新しい文献が発見されたことの意義について解説してくださいました。
まずより古い文献が見つかったことによって、古い資料を見ることができるようになりました。
昔のことが分かるようになったのです。
中には、後に改変された箇所も分かるようになりました。
それから、敦煌文書が発見されるまでは、臨済の禅というと、白隠禅そのものであると思われていました。
白隠下の公案に参じることこそが、禅の総てであるように思っていたのでした。
白隠禅師の門下の方々によって、公案が体系づけられ、禅定を練り、初関を透過して千七百とも言われる古則公案に参じることが禅そのものであると思われていたのでした。
それが敦煌文書の発見によって、白隠禅のみが唯一絶対のものではないということが分かったのでした。
鈴木大拙先生は、この公案によって禅は伝わってきたのですが、公案が公案体系というような特殊な型にはめられてしまったことを憂いておられたのでした。
公案禅を含めた禅の全体像を再構築されたのが大拙先生でした。
小川先生のご紹介で、その日は、リチャード・ジャフィ先生がお見えくださっていました。
講座の前にご挨拶させていただきました。
ジャフィ先生は、大拙の研究者でいらっしゃいます。
ジャフィ先生から、大拙先生が、あまり坐禅を強く薦めることをしていないのはなぜだろうかと聞かれました。
ジャフィ先生は、それは大拙先生が禅の印可を受けた師家ではないからかと仰いました。
私はそのときに、大拙先生は、六祖壇経に「見性を論じて、禅定解脱を論ぜず」とあるように、見性と智慧を重視されていて、禅定というものにこだわらなかったのではないでしょうかとお答えしました。
禅定と智慧の問題は難しいものです。
戒定慧の三学と言われますように、戒を守り、禅定を修めて、そして智慧を得るのが仏教の修行だと言われています。
私は長年禅定の修行に努めてきましたが、禅定が必ずしも智慧を生み出すとも限らないと感じることがあります。
もっとも禅定を得ることによって智慧が出やすくなることはあります。
しかし、禅定と智慧とは何か次元の異なるものがあるように感じていました。
そんな話をして、小川先生のご講義に臨みました。
今回は達磨大師の二入四行の話でありました。
二入四行も、唐のはじめの『続高僧伝』に一部が説かれていました。
それが敦煌文書の発見によって全貌が明らかになりました。
敦煌文書でみつかった二入四行を抜粋して『続高僧伝』に書かれていたことが分かったのでした。
今回は、小川先生が『続高僧伝』にある二入四行を原文と現代語訳を紹介してくだしました。
二入というは理入と行入です。
理入は、一切の衆生に同一なる真実の本性があることを深く信じるのです。
平たくいえば、すべてに仏性が具わっているという道理を明らかにするのです。
本来の尊い本性が客塵といって、外からきた煩悩によって覆われてしまっているのです。
その本性を壁観という坐禅によって明らかにするのです。
行入は四つあります。
報怨行と随縁行と、無所求行と称法行です。
簡単に要約しますと、
報怨行とは、この世でいろんな苦しみに直面したとき、それは前世の行いの報いであると受け止め、恨まずに甘んじて受け入れることです。
随縁行とは、苦楽は因縁によって起きるだけのもので、実体はないと見て、栄誉や屈辱に一喜一憂せず、どんな状況でも道と共に静かに生きることです。
無所求行とは、求める心が苦を生むので、道を求める者は執着せず、無為に任せて安らかに生きるのです。求める心がなければ苦もなくなります。
称法行とは、本来の清らかな自己の本性に従って生きることで具体的には六波羅蜜を実践することなのです。
この二入四行を小川先生は、
一、苦悩・迷妄の原因としての自己の否定
二、虚妄な主体・客体を幻出する「心」の否定
三、老荘・玄学ふうの無為と随順の思想
の三つにまとめてくださっていました。
そして、その一番の自己の否定として引用された資料に興味を持ちました。
筑摩書房『禅の語録1 達摩の語録』にあるものです。
誰の問答なのか不明なのですが、柳田聖山先生の現代語訳を引用します。
「問、「世俗のひとびとは、さまざまに学問をしておりますが、どうして真理を得ないのですか」。
答う、「かれらは自己にとらわれているから、真理を得ぬのだ。もし、自己にとらわれないことができるなら、すぐに真理をうるのだ。
自己とは我執(我があり、わがものがあるという観念)である。
聖人は苦難に際して悩まず、悦楽に処して溺れぬのは、自己にとらわれぬからである。
かれが、苦楽せぬわけは、自己を否定しているからだ、自然の自由(虚無)に至ることができると、自己すら否定するのである。
まして否定できぬ何物があろうか。
天下に自己を否定する人は、どれほどあろうか(めったにない)。
もし自己を否定することができるときは、すベてがもとより無である。
自己なるものは、ほしいままに計らいを起して、すぐに現実の生老病死、憂悲苦悩、寒熱風雨などのあらゆる好ましからぬ事を感受しようとするが、これらはすべて妄想の現われであり、あたかも幻術師の変化のように、ゆくこともとどまることも、自分の思うに任せぬのだ。
なぜなら、かれらは自分の主観によって、やたらに対立を起して、ゆくことと、とどまることと(生死)を自由にすることができぬからである。
こうして、煩悩があるのは、自已にとらわれるからであり、それで、ゆくことと、とどまることがあるのである。
しかし、ゆくことと、とどまることが自分の思うにまかせぬのは、とりもなおさず、自分がつくり出したものであるとわかると、幻術師が変化せしめたような存在は、それらにひきとめられることはない。
もし、幻術師の変化にさからわねば、どんな物も無碍であり、もし変化にさからわなければ、何事も悔いることはない」
というのであります。
ここに「学問をしていても」とありますが、禅定や修行も同じだと思いました。
いくら禅定を修めても、そこに自我があれば、我慢になってしまいます。
そういう例は多いのです。
大拙先生の説かれた無分別の智慧は、自己の否定によって露わになるものであります。
禅定も自己を否定する方法のひとつだとみれば納得できます。
そのように道理を理解し信じて実践することが大事であります。
禅定や修行が我見我慢になってしまってはなにもなりません。
大拙先生が晩年に「自分の見性は衆生無辺誓願度だ」と仰ったのは、まったく我執を離れて衆生の為にという慈悲の心になっていたからだと思いました。
禅定から智慧への、カギとなるのは、我執を離れることであります。
横田南嶺