魔をしりぞけるには
「問い。仏法を修行する人が、ともすれば魔道(惡魔の世界)に入ってしまうというのは、どういうわけか。」という質問があります。
『夢中問答集』は夢窓国師と足利直義との問答がおさめられています。
まず夢窓国師は、「仏道の障害となるものをば、すべてこれを魔業と名づけている。魔業をすれば、必ず魔道に入る。」
とはっきりお答えになっています。
そして魔には、内魔と外魔との二種あると説かれています。
「魔王やその手先の魔民など、外からやって来て、行者を悩ますものをば、外魔と名づける」というのです。
具体的には、「その魔王は欲界の第六天にいる。これを天魔と言っている。一般に天狗などと言っているのは、すなわち魔民に相当する。」
と説かれています。
現代語訳は講談社学術文庫『夢中問答集』にある川瀬一馬先生の訳を引用しています。
外魔の例として、夢窓国師はこんな話をとりあげておられます。
「「涅槃経」の中に述べてある。阿難尊者がある日外からやって来た。
その途中で、九百万の天魔が、皆仏の姿を現わして、釈尊とそつくりである。
それぞれ仏法を説いて、互いにそしり合っている。
阿難はぼんやりとして、真実の師、釈尊はどれとも見分けがたい。
その時、釈尊はこれをみそなわして、智恵者の文殊菩薩に命じて、妙なる咒文(陀羅尼)を誦えさせた。
ために天魔はことごとく退散したという。阿難尊者のような聖者でも、まどったこと、このとおりである。いわんや愚人においてはなおのことだ。」
というのであります。
それから内魔があります。
内魔について夢窓国師は、
「このように、外魔がやって来て悩ますことはないが、もしも仏道修行者の心中に煩悩が生じ、悪い考えにとらわれ、慢心を起こし、心の統一に耽り、知恵に誇り、あるいは二乗心に落ちて、独りみずからの力で煩悩の苦を離れようと求めたり、あるいはまた眼前の大悲にとらわれて、衆生に与える利益を欲したりする。
これらは皆、無上の悟りの障害であるから、すべてこれを内魔と名づけている。」
というのであります。
「病患によって仏道の修行を怠ること」「日増しになまけ心ばかりが増長すること」
「ひどく怒るなどの煩悩が強盛に起こることも、魔障である。
煩悩が生ずるのを怖れて歎き悲しむのも、魔障だ。」
とも説かれています。
修行する者が起こしやすい魔が慢心であります。
これは内魔です。
夢窓国師は「悪い考えなどを起こすがために魔道に入ることは、もつともなことだ。しかし、智も徳もあらたかな功徳があるのに魔道に入るのは、どういうわけか。」と問われて、慢心について答えています。
「仏道を学ぶ人も、修練の功が積もるに随って、その修行の功徳も普通とは異なり、その不思議なしるしも、余人よりはすぐれている場合がある。
この人がもしそのちょつとした智德、わずかな効験に誇って、高慢の心を起こせば、魔道に入ることは疑いない。」というのが慢心です。
「六度の行を修めても、仏道の障りとなるわけを説いて、檀那の布施を行なう人は、他人が欲張りなのを見てこれを憎み、戒律を保つ人は、戒を破る人を見てこれをそしる。かつまた、禅定(一心)を修めている人は、とりとめのない人をいやがり、智恵のある人は、愚かな者を軽蔑する。もし人間にこのような心が起こるならば、六度の行の功德はかえって仏道を障げる因縁となるということだ。」と説かれています。
布施に熱心なのは尊いことですが、人が布施しないでケチなのを見ては憎むようになると慢心です。
戒律を保つのは尊いことですが、戒律を破った人をさげすむのも慢心です。
禅定を一心におさめるのは尊いのですが、心が散乱している人を軽蔑するとなると慢心なのです。
夢窓国師は「これもまた、六度の行を修めることが、魔業なのではない。執着の心にとらわれて、自分で自分を是とし、また他人を非とするがために、仏道の障りとなるのである」と諫めてくださっています。
さて魔を却けるにはどうしたらいいか、『天台小止観』には、止と観の二つの方法が説かれています。
一心に心を集中させていれば魔は自然と退散してしまいます。
集中でもだめなら、「わが心を観察する」のです。
「もしその心がないなら、彼もなんの悩ますところがあろうか。このように観察するとき、あい尋いでまさに滅し去るであろう。」
と説かれています。
「心を正しくして動せず、魔界の真如はすなわち仏界の真如であり、一如であって、二ではないのであるから、魔の世界においても捨てるベきものもなく、仏の世界においても取るベきものもない。そこで仏法が自然にあらわれ、魔境は消滅するであろう。」というのです。
現代語訳は大東出版社の『天台小止観』にある関口真大先生のものです。
白隠禅師に魔を退けた話が伝わっています。
白隠禅師が三十一歳の時であります。
禅文化研究所発行の『白隠禅師年譜』にある芳澤勝弘先生の
現代誤訳を参照します。
「ある日、山中を歩いていると、坐禅するのにちょうどよさそうな岩があった。そこからは四方が一望できる、素晴らしい場所だ。そこで登って坐禪していると、遠くから「その岩に登ったらいかんぞーッ」という声がするので、岩から下りた。
その日の真夜中、誰かが庵にやって来る足音が聞こえたと思つたら、入りロの戸を開けて入って来て、(坐禅中の)慧鶴の前に立つ者があった。
身の丈八九尺、苦行中の山伏のようななりである。やがて、大きな声で「鶴ソ!」と呼ぶ。慧鶴は黙って、これに構わないでいると、しばらくして出て行った。慧鶴が(坐禅より)起って戸を見ると、閂はもとどおり閉まっていて、人の出入りした形跡はなかった。人ならぬものが、慧鶴の操履を窺いにやって来たのだった。明くる日、ひとりの村人がやって来て、「タベ変わったことはなかったですか」と言うので、「そういうことか」と言うと、「あの岩は山神さまの居る場所であって、そこに登る者はきつと崇りに遇うのです」と言った。
每日、小さな木魚を叩いて誦経諷呪をしたが、狐や兎もその声に感じて庵室の外に集まって来て、慧鶴の経が終わると立ち去るのだった。」
と書かれています。
これは木魚を打ちながら、一心に集中して魔を退けています。
それから「ある夜、(坐禅中に)空中に天上の音楽のような響きがあった。聴けば聴くほどに素晴らしい。しかし、「一切の相あるものはみな虚妄である」と観じて、これに構わないで坐った。次の夜もまた同じ現象があらわれた。このようにして六七夜、最後には坐禅中に忽然として、これは唯心所造であると覚知した。」
というのは観察によって退ける方法であります。
「白隠老師は後にこう語られた、「坐禅をする者は、このことを知っておかなければならない。深山で一人坐禅をしておると魔魅が現われることがあるが、それはみな有念が媒(なかだち)となっているのだ。経に「内に魔動く時、外、魔便りを得る』とあるのがそれだ」と。」
ということであります。
一心に集中することや、「我が自心をもって如実にありのままに見るならば、法界は一つの相であって、魔仏も同体、邪正も一如である。ならば、何を彼とし何を我とするのか(彼我の別もないのだ)」と観察することによって魔が退けられるのであります。
横田南嶺