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臨済宗大本山 円覚寺

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2025.07.08
今日の言葉

最期は美しい

先日は姫路にある不徹寺の松山照紀さんにお越しいただいて、いろんなお話をうかがうことができました。

松山さんは、昭和三十七年生まれですので、私よりも二才年上でいらっしゃいます。

尼僧さんであります。

都内で講演のために上京され、お目にかかることができました。

前日がご講演だったらしいのですが、私は残念ながらその日は京都に出かけており、拝聴することはできませんでした。

講演を聴かれた知人から、素晴らしい講演だったとうかがいました。

松山さんに円覚寺にお越しいただいて、いろんな話をうかがっていたのですが、私とは全く対照的な生き方をされた方だと感じました。

私などは、全く坐禅だけの人生を送ってきました。

十才の頃に坐禅にであって、それからはその坐禅のためだけに生きてきました。

それ以外の経験はほとんどありません。

松山さんは、私よりも二年早くこの世にお生まれなのですが、結婚もなされ子供も育てられ、多くの方の最期を看取ってこられ、そして禅の修行もなさってお寺の住職にもなられているのであります。

今、多くの方が松山さんに話を聞いてもらいたいと言ってはお集まりになっているのはよく分かることであります。

もともと松山さんは福岡で生まれ育った方であります。

学生時代の二十歳で、結婚し中退して出産をなされています。

第二子も授かっていた頃に、お父様が五十五歳で突然お亡くなりになったのでした。

過労死だったというのです。

その後に離婚されてしまいました。

認知症を患う祖母、七〇代目前の母に、二人の娘という一家五人の生計を、松山さんが一人で担ってゆくことになったのです。

松山さんは働きながら准看護師の資格が取れる看護学校に入学されました。

朝から見習い看護師として働き、午後は授業を受け、夜勤に励む毎日だったそうです。

それに子育てもありますし、祖母の介護もあります。

とうとう体を壊してしまいました。

結核性胸膜炎という病気になってしまい、入院されてしまいます。

松山さんは、看護学校に通っておられた時に、アルフォンス・デーケン氏の『生と死を考える』という本に出会って、死を考えることがよい人生に繋つながるという死生観を学んでおられました。

死についても松山さんなりに学んで、インドにあるマザー・テレサの慈善施設で数週間奉仕活動もなさったほどなのです。

この時は残念ながら、マザー・テレサは不在でお目にかかることができなかったそうなのです。

もしこの時にマザー・テレサに出会っていたら、二人の子供を日本においたまま慈善施設ではたらいていたかもしれないとご著書に書かれていました。

とても行動力のある方であります。

そんな松山さんが重い病で入院されたのでした。

そのように死について学んできたつもりが、実際にご自身が入院して死に向き合ってみると、学んだことが何の役にも立たないと分かったというのです。

その時には、己の無力さに愕然とされたのでした。

死と直面した日はこれまでの価値観が崩壊した、人生の転換点になったと後に語っておられます。

病気は奇跡的に回復なさったそうです。

退院後に正看護師の資格を取得されて、老人ホームで終末期と向き合い、多くの方をお見送りされてきました。

しかし医療の限界を感じるようになり、もっと日本人の死生観について学びたいと思って三十五歳の時に母校の九州産業大学に再入学して、民俗学を学び始められたのでした。

そして三十七歳の頃太宰府の戒壇院で、衝撃的な体験をなされました。

本堂の鉄格子を覗くと、毘盧遮那仏が安置されているのを拝んで、言葉にできない温もりを感じて、時間の経つのも忘れて見入ってしまわれました。

そして仏様の傍に少しでも近づきたいと思って坐禅会に通い始めるようになりました。

そんなご縁が熟していって、松山さんは四十八才で、出家して僧となりました。

その年は、奇しくも私が円覚寺の管長に就任した時でありました。

それから臨済宗で尼僧さんの道場である天衣寺で三年半ほど修行されました。

修行を終えて、ご縁があって姫路市にある不徹寺を訪ねたそうです。

松山さんは不徹寺の門をくぐって、境内に入って、「ここだ、間違いなくここで決まる」と直観されたのでした。

それまで三十年近く無住の状態になっていた不徹寺にお入りになることに決めたのでした。

二〇一六年に住職に就任されています。

そこで今も多くの方の悩み相談を受けておられます。

円覚寺にも尼僧希望という二人の女性の方が一緒に見えてくださいました。

松山さんのお話をうかがっていて、多くの方を看取ってこらえた体験から、「どの人も最期は抱きしめたいくらい美しく見える」と言われたのが心に残りました。

松山さんの著書『駆け込み寺の庵主さん 心の「モヤモヤ」供養します』には次のように書かれています。

「死ぬ間際、人はすでに自分の我欲から離れ、肉体すら捨てようとしていきます。

すると、どうなるか。

「自分」が消えてなくなつて、生まれたての赤ん坊のような純真なところだけが見えてくるのです。

赤ちゃんつて、泣いたり笑いかけてきたり、無垢でしょう?

清らかで、ありのまま。

カッコつけて泣いている子を、私は見たことがありません。

恥ずかしいなーって思いながら泣いている子も、ね。

もともとある、清らかな心。これが魂と呼ばれるものなんじゃないかと思うんです。

赤ちゃんを抱っこすると、光り輝くような魂が伝わってきて、なんとも言えない幸福感がわいてきませんか?

死にゆく人がキラキラして見えるのは、そして、思わず抱きしめたくなるのは、あの感覚に近いんだと、ようやく腑に落ちたんです。」

というのであります。

松山さんがお見えになるというので、北鎌倉駅でお迎えして山門から佛殿をご案内しました。

円覚寺の佛殿にお祀りしている仏様ももともと毘盧遮那仏であったとお伝えしました。

お茶を差し上げてからは、国宝舎利殿や開山堂などにお参りしてもらいました。

松山さんも私のYouTubeをよく聞いてくださっているとのことで、有り難く思いました。

 
横田南嶺

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