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臨済宗大本山 円覚寺

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2025.07.06
今日の言葉

生きることは

先日は、世田谷区野沢の龍雲寺細川晋輔さんと、神戸市須磨寺の小池陽人さんと三人で、龍雲寺様のYouTubeチャンネルでお話させてもらいました。

喫茶去三人座談会というものです。

前回行ったのが、昨年の十二月でありましたので、ずいぶんとご無沙汰であります。

忘れた頃にやってくるという感じであります。

毎回のことながら、楽しくお話させてもらい、そして深い学びがありました。

お互いによくお話させてもらってきていますので、今回も気楽に始めることができました。

はじめに細川さんから「法話」とは何であろうかという大きな問題が提起されました。

改めて法話とは何かと問われると考えてしまいます。

講演、法話、提唱と、禅宗の場合、いろいろとあります。

この頃、私は講演となると、パワーポイント資料などを作ってお話することが多くなっています。

法話ですと、せいぜい紙の資料に、禅語や、経典の言葉など、そのときに使う言葉だけを書いて話をしたりします。

提唱となると、法衣を着て、袈裟をかけて、講座台に登って、仏様や祖師に向かって、自らの心境を披瀝するように致します。

それぞれ趣が異なります。

法話は、その時々の話題を取り上げたりして話します。

しかし、大事なことは、伝えるべき教えが込められていることです。

禅宗の場合は、各自の心が仏であり、みんな仏の心を持っていることを伝えるのであります。

この伝えることがはっきりとしていれば何の話をしていようが法話となると私は思います。

逆にいろんな語録の言葉や経典の言葉を引用したとしても、この大事な教えが抜けていれば法話と言えぬように思っています。

みんなが仏である、仏の心を具えているという教えを伝えるのです。

そんなことを申し上げて、私は小池さんに質問しました。

真言ですと、何を伝えるように心がけていますかと聞いてみました。

小池さんは、明確に答えてくださいました。

小池さんは、「すべての命の尊さ」を伝えるのだと仰せになりました。

そんな尊い命を授かっていながら、お互いは、ふだん分別をしてしまっています。

いろんな価値判断をして、よい悪い、上だ下だ、など言っては、その本来の尊さを見失っているのです。

そこでいろんな悩みが起きてくるのです。

小池さんは「その生きているだけで充分という言葉だと、あまりにも平たく言い過ぎかもしれませんが、お互い生まれた瞬間にそのかけがえのない命を宿しているということ」を一番お伝えするようにしていると仰っていました。

私は、その小池さんの言葉を聞いて、あらゆる命がそれぞれ光り輝いているという曼荼羅の世界を思いました。

小池さんもまさにその曼荼羅の世界を伝えようとされているのです。

そのあと細川さんが最近、人工知能AIの本などを読んで勉強されていると仰っていました。

AIの研究者の方と話をなさっていて、生きるとはどういうことかという話題になったそうなのです。

そこで、「生きるとはどういうことだと思いますか?」と聞かれました。

まず私は単純にご飯を食べて排泄して、息を吐いて吸って、あとは寝ることでしょう」と答えました。

細川さんは、この答えは臨済宗的だと言ってくださいました。

そして細川さんは、AIの研究者の方の言葉を教えてくださいました。

「生きるとは、新しい世界が広がること」なのだというのです。

これは素晴らしい答えだと思いました。

細川さんは、祖父にあたる松原泰道先生が、生きることをとても大事にされていて、生きて何をしたかというと、一文字でも原稿を書いて、一ページでも多くの本を読んで、仏教を勉強したいということだったと教えてくださいました。

「そう考えると、新しい世界を開いていくというのはいい言葉だなと思った」と言うのです。

私もその通りだと思いました。

たとえ病気になったとしてもまたそこで病という新しい世界を知ることになります。

年を取った時には、年を取った分、また新しい世界が開けていくということであります。

そんな話をしていたところ、小池さんが更によいことを教えてくださいました。

小池さんは、絵本セラピーというイベントを毎年やっておられるそうです。

それに関わってくださっている方の息子さんの話でした。

なんとその息子さんは、ボランティアで包丁を研ぎ続けている少年だというのです。

その子が包丁を研ぐと、それまで全然切れなかった包丁も、とてもよく切れるようになるというのです。

そのお母さんがSNSでそんなことを発信したら、全国から包丁が届いて今何千本という包丁を研ぎ続けているというのです。

またその子はとても旅好きで、中学生の時に一人で四国に歩き遍路に行ってきたというのですから驚きです。

残念ながら家出少年と間違えられて、親が迎えに行ったという話でした。

また去年の夏休みには北海道を、自転車で一周したというのであります。

その子に弟さんがいて、兄弟の問答を小池さんが紹介してくれたのでした。

高校生のお兄さんと中学生の弟さんの会話です。

お兄さんが弟に「人が一番成長するのはどういう時だと思う?」と質問しました。

弟さんは「なにか新たなことに挑戦したりとか、新たなことをしようとしたときに、人は成長するんじゃないか」と答えました。

するとお兄さんの方は「そうやな。それも大事やな。だけど、俺にとってはそれは二番目なんやって」と答えました。

そこで「病気とか怪我とかして挑戦できない人は成長できないのか」というのです。

そうすると弟さんは困ってしまいました。

そのお兄さんが「人が一番成長するのは自分と対話する時だと思う」と言ったという話しであります。

小池さんは、その子が「自分と対話する時に人は成長できる」と言ったのは、多分包丁研いだりとか、一人旅をしている中での経験から、湧き出てきた言葉なのかなと想像するのだと仰っていました。

そこで「生きるということは、自分との対話」ではないかというのであります。

これはまた実に深いお話でした。

またこんな高校生がいるということは驚きであり、喜びであります。

明るい未来を感じました。

その座談が終わったあと、小池さんからその子の話を教えてもらいました。

生きるとは何かと問われて、私が、食べて出して寝るというつまらぬことをまず答えて、細川さんが新しい世界を知る事だと素晴らしい答えを示してくれて、最後の小池さんがより高次元なことを教えてくださったのでした。

有り難いお示しでありました。

 
横田南嶺

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