大乗の教え
朝の坐禅や修行僧との禅問答を終えて、北鎌倉駅から電車に乗って、大船で乗り換えて東海道線で小田原に行き、小田原から新幹線のヒカリに乗って京都に行きました。
京都で山陰線で円町まで行きました。
円町からは歩いてすぐなのであります。
円町の駅で降りて、驚いたのは京都の暑さでありました。
まだ六月の半ばというのに、三十度を超えていたようであります。
もっとも帰ってきて神奈川県もたいへんな暑さであったことが分かりました。
大学の構内を歩いていると、何名かの方から声をかけていただきました。
大学の職員さんからも声をかけてくださり嬉しく感謝しました。
大学に勤めながら、私のこの毎日のYouTubeラジオ管長日記も聴いていてくださるそうなのです。
『イス坐禅』の本にもご関心があるようでしたので、ちょうど数冊持っていましたのを一冊謹呈させてもらいました。
こういう職員さん達が大学を成り立たせてくださっています。
まだ講義の三十分も前でしたが、一般の聴講の方が何名かお越しになっていました。
それぞれご挨拶をさせてもらいました。
中には私の新著『無駄骨を折る』を持ってきてくださっている方もいらっしゃいました。
名刺交換をさせてもらう方もいらっしゃいました。
それぞれのお仕事をなさりながら、花園大学に来て仏教を学ぼうとしてくださるのは有り難いことであります。
大学では「禅とこころ」という授業があって、毎回いろんな先生が講義をされています。
私もその中で月に一回お話をさせてもらっています。
コロナ禍の前までは、公開講座でだれでも自由に聴講できましたが、コロナ禍になって人数制限をするようになり、いまも申し込み制になっています。
まずは総長室に行って、大学の方から大学の近況を聴かせてもらいます。
なんといっても少子化の影響は想像以上に大きく、大学もこれからどうしてゆくか真剣に対策を講じているところであります。
総長という役職は完全な名誉職で、実際の運営には関わらないことになっていますが、現状の報告などはしていただけるのであります。
私の講義は二限目になっていますので、一限目の授業の終わりのチャイムが鳴ると、総長室から講義をする教堂に向かいました。
教堂というのは、平成十一年に出来た建物です。
教堂の向かい側がグラウンドになっていて、野球部の学生たちが暑い日差しの中を熱心に練習しています。
昨年大学の創立記念日で栗山英樹さんをお招きして対談した折には、野球部の皆さんにも聴いていただきました。
それからというもの野球部の方も、私のことを知ってくださるようになりました。
野球部の先生にもご挨拶させてもらいました。
炎天下流れる汗をものともせずに素振りに打ち込む学生の姿というのは尊いものであります。
離れていたので、実際に声をかけることはしませんでしたが、「頑張ってください」と心の中で応援しながら教堂に入ります。
「禅とこころ」の授業は学生さんと共に一般の方が多いのです。
教堂に入ると顔見知りの方も多く、軽く会釈しながらご挨拶させてもらいます。
授業の始まりには皆で般若心経を唱和します。
正面には大きな一円相が掲げられています。
これも禅宗ならではのものです。
その大円相の前で焼香してお経を読みます。
それから教堂の祈りという言葉を唱和して、ほんの数分イスの上で坐禅をします。
これもまたいいものです。
今年は『夢中問答集』を読んでいます。
今回は「智増、悲増」という問答を取り上げました。
これは、
「自分自身がもし煩悩から離脱しなければ、他人を悟りに導くこともできない。それなのに自身をさしおいて、先ず第一に衆生のために善根を修めるというのは、理屈が通らないのではないか」という問いに夢窓国師が答えているものです。
はじめに、ちょうど暑さが厳しくなっているので、夏の暑さの話題から、海の話をしました。
鎌倉には海がありますので、夏になると湘南の海岸に多くの方が海水浴に訪れています。
海に来ている人たちの中には、一所懸命に泳いで体を鍛えようとしている方もいらっしゃいます。
健康の為にいいと思って海水浴を楽しむ方もいるでしょう。
ただ波打ち際で遊んでいる人もいます。
砂浜で寛いでいる方もいます。
いろんな人がいらっしゃいますが、人を救うためにいる方もございます。
ライフセーバーという方であります。
この方々は、自分の楽しみではなく、溺れたりした人を助けるために海に来てくれています。
溺れている人を救うには、まず自分自身が泳げないと駄目です。
泳げるといってもかなり泳げないと、溺れている人を救えません。
少々泳げますくらいでは、溺れる人を助けようとしても一緒に溺れてしまいます。
溺れている人を救うには、よほどの訓練が必要になります。
悲増というのは、こういう人を救おうという思いを持って修行することを言います。
智増というのは、多くの人を救うためにまず自分自身の修行をきちんとしておこうという考えであります。
夢窓国師のお答えは、
「衆生が生死の迷いに沈んでいるのは、我が身にとらわれて、自分のために名利を求めて、種々の罪業を作るからだ。
それ故に、ただ自分の身を忘れて、衆生を益する心を発せば、大慈悲が心のうちにきざして、仏心と暗々に出会うために、自身のためにと言って善根を修めなくとも、限りない善根が自然によくそなわり、自身のために仏道を求めないけれども、仏道は速やかに成就する」というのです。
講談社学術文庫『夢中問答集』にある川瀬一馬先生の現代語訳を引用しました。
そのあとに夢窓国師は「それに反して、自身のためばかりに俗を離れようと願う者は、狭い小乗の心がけであるから、たとい無量の善根を修めたとしても、自分自身の成仏さえもかなわない」と述べておられます。
ここに「狭い小乗の心がけ」とありますが、この時代の大乗、小乗という考えが現れています。
今では小乗という言い方はしません。
これは大乗仏教が多くの人を救ってゆくすぐれた教えだということから、それまでの仏教をさげすんで「小乗」と表現したのでした。
いまでは上座部とか、上座説仏教という表現をしています。
仏教はインドに起こって大きく分けると南と北に向かって広まりました。
南方には早く伝わりました。
アショーカ王の子であるマヒンダという方によって伝わりました。
お釈迦様がお亡くなりになって百年乃至二百年の頃であります。
まだ紀元前の話であります。
その頃にはまだ大乗仏教は興っていませんでした。
純粋なお釈迦様の教えが伝わっていたのでした。
その後インドでは大乗仏教が興りました。
その大乗仏教も含めた仏教が紀元後に中国に伝わりました。
諸説ありますが、後漢の明帝の頃には伝わっています。
大乗仏教も同時に入っていますので、大乗仏教の経典にはそれまでの仏教よりもすぐれていると表現されていますので、中国では大乗仏教を中心にして受け入れていったのでした。
大乗仏教では「小乗の羅漢」という表現をすることがよくあります、
この表現には批判的やや軽視的な意味合いがあります。
もともと「羅漢」というのは、上座部仏教での修行の最終目標であります。
煩悩を断ち、輪廻から解脱した聖者とされ、仏弟子の最高位とみなされます。
ところが、大乗仏教では、阿羅漢の悟りというのは自己の解脱にのみとどまるとされました。
それに対して、大乗の菩薩は他者をも救済するために修行を続けるという点で、より高次の理想であると説いたのでした。
小乗には「劣った乗り物」という意味合いがあります。
大乗仏教が用いた蔑称といえます。
現代ではもう用いないのです。
夢窓国師は「先ず一切衆生を導きつくして後、みずからの仏道を成就しようと誓約しているのは、悲増の菩薩である」と説かれ、「我が身が先ず仏道を成就して後に、衆生を導こうとするのが、智増である」と説かれます。
更に「智増の人は、声聞・縁覚の二乗の考えに似ているけれども、一切衆生を導こうというために、先ず自身の成仏を求めるからして、菩薩心を成就することができる」と説いています。
そんな話から四弘誓願の話をしました。
もともとの仏教にあった四諦の教えを大乗仏教では四弘誓願として大事にするようになったのです。
まず人々の苦しみを救っていこうと願う心から始まるのであります。
これが「衆生無辺誓願度」であります。
そして苦しみのもとである煩悩を断ちきっていこうと願うのです。
これが「煩悩無尽誓願断」です。
そのためには様々な教えを学んでいこうと願います。
これが「法門無量誓願学」です。
そして仏道を成就しようと願うのであります。
これが「仏道無上誓願成」であります。
四弘誓願が「衆生無辺誓願度」から始まることについて、鈴木大拙先生は「大乗仏教がこの一句を四誓願の劈頭にかかげたるは、直に人類生存の究竟目的を示す。」と述べています。
人を救っていこうという願いを大事にしているのが大乗の教えであります。
横田南嶺