ゆるやかなしばり
梅雨らしいといえばまさに梅雨を感じました。
十五日でしたので、まず佛殿で今上天皇の聖寿万歳をお祈りするために読経します。
佛殿にはいつも今上天皇聖寿万歳と書いた札をお祀りしています。
この儀式を祝聖といいます。
聖寿即ち国王の寿命の無窮を祝祷する法要であります。
そのあと、佛殿から舎利殿に移って開山様に読経します。
佛殿から舎利殿まで移動する間には、かなり強く雨が降りました。
法衣も袈裟もびしょ濡れになりました。
そのあと、洪川老師以来歴代のお墓にお参りしました。
そうしてしばし準備などをして鎌倉エフエムのラジオに出かけました。
鎌倉エフエムのスタジオは長谷にあります。
行く時にはまだ雨が降っていました。
スタジオに着いて、話をしているうちに雨が上がってきました。
生放送をしているうちに晴れ間が出てきました。
朝の土砂降りが信じられないように天気に変わってゆきました。
鎌倉エフエムのラジオ生放送は、今年の一月から始めて、これで七回目であります。
一月のみ二回出演しました。
二月から月に一回であります。
もう一回は、土居裕子さんが担当してくださっています。
両方ともお相手は村上信夫さんであります。
月二回ですが、それぞれもう一回再放送をしています。
私は、月の第一日曜が多いのですが、お寺の都合で第一日曜が難しいときには、土居さんと交代で、第三日曜日にさせてもらっています。
ラジオの生放送ですが、今の時代はインターネットから聞くことができます。
多くの方はたぶんネットから聞いているのではないかと想像します。
ただアーカイブは残りませんので、その時にしか聞くことはできません。
その次の週に再放送があるのです。
アーカイブが残らないというのは気楽でいいものです。
その時にしゃべればそれでお終いであります。
午前10時から正午までの放送ですが、毎回私が担当するのは、今日の法話と、禅語の解説と坂村真民詩の朗読の三つなのであります。
法話といっても十五分くらいの短いものです。
それとその日にひとつの禅語を選んで話をすればいいので、気楽でもあります。
その他の時間は何をしているのかというと、音楽を流したり、お便りを読んだりしているのです。
お便りといっても今やはがきなどで届くのではありません。
もっともはがきや手紙も全くないわけではありません。
その日も一通のはがきが届いていました。
あとはメールなどで届くのであります。
あらかじめ送ってくださっている方もいらっしゃいますし、その放送を聞きながら送ってくださる方も多いのです。
毎回テーマが決まっていて、今回のおたよりテーマは「父の思い出」でありました。
いろんな方の父の思い出を拝聴することができました。
ある方のお便りに、父は清らかな人で、いつも家族に有り難うという言葉を掛けてくれる人だったというのがありました。
その方は子供に対しても「です、ます調」の敬語でお話になっていたそうです。
オペラが好きだったそうで、素敵なお父様だったろうと思いました。
丹波の方からのお便りで、お父様がお亡くなりになって六年、年を重ねるごとに尊敬の思いが増すと書かれていました。
毎年こんにゃくを作っていたという思い出でありました。
手間暇のかかるものであります。
手間暇かけただけ、きっとおいしかったろうと思いました。
五才の時に母を亡くして、父親に育てられていたという方のお便りもありました。
村上さんが読んでくれるのですが、お父さんに育てられていったのだと思っていると、そのお父さんも七才の時に病気で亡くなったというので、驚きました。
そのあとのことは詳しく書かれていませんでしたが、きっとご苦労されたのだと想像しました。
そして更に私は、五才の我が子を残して逝かねばならなかった母の思いや、母なきあと自分がこの子を育てなければと思っていた父が、七才の子を残して逝かねばならなかった時の思いを想像しました。
とても思いはかることのできるものではありませんが、しばし思いにふけっていました。
きっと今はこうして元気にラジオにお便りを書いている我が子をご覧になって喜んでおられるのではないかと思ったりしていました。
いろんな父の姿があるものです。
村上さんに聞かれて私も我が父の話を少しさせてもらいました。
ラジオでは私の新刊本の紹介もしてくださいました。
今回は、『無駄骨を折る』の紹介でありました。
村上さんは既によく読み込んでくださっていて、ご持参いただいた拙著には、あちらこちらにマーカーを引かれていました。
本の中にある「修行とは結局無駄骨を折ることにほかなりません。無駄を無駄と知っていて、それでも営々と無駄を貫き通してゆくしかないのです」という言葉を紹介してくださいました。
ラジオを聞いて下さっている方には抽選で三冊プレゼントすることにさせてもらったら、その放送中に何名も応募くださったようでした。
有り難いことでありました。
ラジオが終わってからお寺に帰って午後からは東慶寺様の坐禅会の方にイス坐禅を指導させてもらいました。
十人ほどでしたが、二時間丁寧に教えることができました。
首や肩の調整に、今回は手の指、手の平の感覚を意識して丁寧に手を合わせることを致しました。
手の感覚を変えて合わせるだけで体が調うであります。
これには東慶寺の和尚様も実感してくださって、とても喜んでくれました。
二時間の坐禅の最後の方で手ぬぐいをまいて坐ることも行いました。
これも安定感があがります。
仙骨を立てる、丹田に気を集中する、そして頭頂を意識するという三つの要領を教えさせてもらいました。
東慶寺の和尚様も足に手ぬぐいをまいて坐ると安定することに驚かれていました。
これはコツがあって、ゆるく巻くのです。
ふんわりと手ぬぐいが両足を包んでいるような感覚にしますと、安定するのです。
イスで坐るのが難しいのは不安定だからであります。
結跏趺坐などに比べると何の拘束のないので、楽なように感じますが、不安定なので坐りにくいのです。
そこで少し足元にゆるやかなしばりを掛けると、それで体が安定します。
土台が安定すると上体の力も抜けます。
頭頂から足の裏、足の指まで十分に調えて意識できるようにしていますので、坐ると実に心地よくなりました。
すっかり朝からの疲れも抜け落ちてしまいました。
このゆるやかなしばりというのがコツだと思いました。
きつく縛っては窮屈になります。
ゆるやかなしばりは安定感をもたらします。
きっと結跏趺坐という座法もそんなゆるやかなものだったのではないかと想像しました。
インドのヨガ行者はいろんなアーサナを行って蓮華座という結跏趺坐を行います。
十分股関節もやわらかくなっていて、足をゆるやかにしばるようにしたのが結跏趺坐ではなかったかと思ったりしたのでした。
ともあれ、午後のイス坐禅のおかげで体も楽になってすっかり調うことができたのでした。
なにもしばられないのがいいように思いますが、ゆるやかなしばりが身も心も安定させるというのはなかなか深い意味があると思います。
横田南嶺