十字街頭
「上堂、云く、「一人は孤峰頂上に在って、出身の路無く、一人は十字街頭に在って、亦た向背無し。那箇か前に在り、那箇か後に在る。維摩詰と作さざれ、傅大士と作さざれ。珍重」。」
という上堂です。
岩波文庫の入矢義高先生の現代語訳では
「上堂して言った、「一人は、絶対究極の境地に達して、もはや先へ進み出る道はなく、一人は現実のさなかに生きつつ一切の相対を超えている。さて、どちらが優り、どちらが劣っているか。前者は維摩詰だ、後者は傅大士だなどとは言うまいぞ。やあご苦労。」」
となっています。
更に入矢先生による註釈を参照します。
「孤峰頂上」とは「修行の究極のところに到達して、もはやそれ以上の超出の余地はない独尊の境地」です。
「十字街頭」とは、「相対的な日常の現実に立ちながら、その相対性を超えた自在な生き方、立場」です。
「維摩詰」は、「釈迦と同時代の、高邁な悟境に達したインドの居士」です。
「傅大士」とは、「中国の梁代の居士。学德ともにすぐれ、当時の高僧をも凌いだ達道者」です。
「維摩」については岩波書店の『仏教辞典』には、
「サンスクリット語ヴィマラキールティの音写。<維摩詰>の略。
垢(く)を離れた誉れある者の意で、<無垢称(むくしょう)><浄名(じょうみょう)>などと訳される。
大乗仏教の代表的な経典<維摩経>の主人公の名称。
維摩は、当時の先進的な都市ヴァイシャーリーに住む大資産家の設定で、維摩経ではこの在家の維摩が、釈尊の高弟や菩薩らをはるかにしのぐ高度な教理を開演していく。
その自由闊達な在家居士の姿は、中国知識人に大きな影響を与えた。
維摩の居室は方丈であり、鴨長明の『方丈記』の方丈はこれによったものである。維摩経。」
とあります。
傅大士については、
「497ー569
傅翕(ふきゅう)。
中国、南北朝時代、斉の東陽の人。
字は玄風、別に善慧大士と号し、世に傅大士・双林大士・東陽大士とも称し、弥勒の生れ変りといわれた。
<大士>は有徳のすぐれた人物の意で、摩訶薩の意訳語として用いられ、菩薩を指す。
梁の武帝(在位502ー549)の帰依を受ける。
居士で双林寺を建て、輪蔵(転輪蔵)を創案して大蔵経をこれに収めた。
これによって、後世経蔵には傅大士とその二子(普建・普成)の像を祭り、俗に<笑い仏>という。」
と解説されています。
傅大士については、こんな逸話があります。
泥棒が傅大士の家に入りました。
傅大士は泥棒に、籠ごと麦や果物をあげたというのです。
さてこの孤峰頂上と十字街頭と、臨済禅師は、後者の立場に近いのであります。
どんな修行者がやってきても、期待に背かずに応対してあげると述べています。
仏教伝道協会での講演の折に、この一段を紹介していました。
そこで松原泰道先生のお話をしたのは、先日紹介した通りであります。
もっとも、孤峰頂上に坐す人を駄目だというのではないと思います。
この場合では、徳山禅師のことを指していると言われています。
徳山禅師は、師の龍潭禅師から、孤峰頂上に坐して道を立てるだろうと言われていました。
それぞれの立場があります。
山田無文老師は禅文化研究所の『臨済録』で、
「孤峰頂上とは、何もかも否定し尽くした、絶対無という山のテッペンだ。何もかも無視して、雲の上に聳えておる山のテッペンだ。そのテッペンにドン坐って、世の中を無視していく一人である。
孤峰頂上にドン坐れば、川もなければ、野原もなく、海もない、街も村もない。悩める衆生もなければ悟った人もない。
尽大地、塵一つない、何もない、本来無一物。そういう心境が孤峰頂上というところであろら。
坐禅をするならば、一応そういう心境に入らなければならんのである。
眼に触れるもの一物もない。廓然無聖というところである。
そういう、精神の一番高いところにドン坐って、世の中へ出る意志は少しもない。衆生済度の意志は少しもない。
これはいわば小乗仏教の羅漢の境界である。世の中の人がいかに悩もうが、世の中が台風でどんなに難儀をしようが、青少年が不良化して、社会の道徳がどんなに乱れようが、ヴェトナム戦争がいつ解決するのか分からんようなありさまであっても、インドとパキスタンがどんなに闘おうが、そんなことは俺の関係したことではない。
禅宗坊主はそんなことに関係するものではない。
新聞も読まなければ、雑誌も読まない。
じっと門から外へ出ずに、雲水と一緒に坐禅さえしておればいい。
これが本当の禅だというのが、孤峰頂上に在って出身の路無しというところだ。」
と孤峰頂上に坐っていることを、かなり批判的に説かれています。
しかしながら私が思いますには、誰も寄りつかないところで、一人仏道を行じていることも尊いものです。
今の時代にもそういう方がいらっしゃると思います。
そういう方がいらっしゃるというだけで、その時代に大きな影響を与えています。
その存在を知るだけでも、救いになるものです。
どちらがよいというのではなく、それぞれの立場があるのだと思います。
禅は、その二つに分けて善し悪しを論じることを嫌っています。
横田南嶺