生涯励み勤める道
もう四二回になります。
今回は、
「我が生涯励み勤めん道 ―― 勇猛の大志を憤起」という題であります。
奘堂さんは、先日の盤珪フォーラムにお越し下さっていて、まずその話から始まりました。
私が盤珪フォーラムで講演した折に、こんな白隠禅師の逸話を紹介したのでした。
それは『壁生草(いつまでぐさ)』(禅文化研究所)に次のように書かれています。
「残念なことには、五十名ばかりいた雲水は、ことごとく不生禅を信奉しており、食事以外ではただひたすら居眠り坐禅をしており、夜更けに就寝の鐘が鳴るのを待って、それぞれ枕を並べて臥し、みな『大安楽、大安楽』と言っているのだった。
ひとり自分だけは勇猛の精神を奮い起こし、決して体を横たえて寝るまいと、片時も眠らずに坐禅したのである。彼らが毎晩言っていた『大安楽、大安楽』の言葉こそ、自分に不臥不眠を勧める契機となったのである。」
という一節であります。
これは白隠禅師二十一歳の時で、西暦一七〇五年のことであります。
岩崎霊松寺で万休和尚のもとに参じていたときであります。
盤珪禅師は西暦一六九三年にお亡くなりになっていますのでまだ御遷化の後十二年しか経っていません。
奘堂さんは、盤珪禅師のことを、お釈迦様にも匹敵するほどのお方だとおっしゃっていました。
しかし、盤珪禅師の法は、その直弟子の時から既に大いに違ってしまっていると指摘されていました。
この霊松寺のことにしても盤珪禅師の教えを、ただありのままで仏だと受けとめて安住してしまっていることをよく表しています。
「みな人々親の產附たは、餘のものは產附はせぬ、只不生の佛心一ッばかり產附た所で、常に其不生の佛心で居れば、寝りや佛心で寝、起りや佛心で起て、平生活佛でござつて、早晩佛で居ぬといふ事はなひ。常が佛なれば、此外又別になる佛といふてありやせぬ。佛にならふとせうより、佛で居るが造作になふて、ちかみちでござるわひの。」
という教えを鵜呑みにしてしまっていたのでしょう。
それから白隠禅師が、十九歳の時に、清水の禅叢寺で巌頭和尚が賊に襲われて大きな叫び声をあげてなくなったという話を聞きました。
その叫び声が数十里に聞こえたというのですが、唐代の禅僧でも代表格の巌頭和尚ですら、こういうことになるのであれば、修行してもなにになるだろうかと大いに煩悶したのでした。
白隠禅師は、地獄の話を聞いて、地獄の苦しみからどのようにしたら逃れることができるか、その道を求めて修行を始めたのでした。
それが、なんと禅の修行を仕上げた巌頭禅師がこのような最期を迎えたという話をきいて愕然としたのでした。
一時期修行への熱意も失いかけていたのでした。
そんな頃二十歳の時に美濃の馬翁和尚のもとにいて、書物の虫干しにあたりました。
『壁生草』には
「虫干の後、古き高机の上に、書籍二三百積重ねたり。
予一見して限り無く歓喜し、焼香誦経、礼三拝して、南無十方一切諸仏、一切護法の諸神祇、我が生涯励み勤めん道し有らば、只今授け給玉え、
と祈誓し、目を閉じ閑かに行いて机の処に到り、手を指し展べて一巻を探り得たり。
謹んで再三頂戴して之を見れば、貴ぶべし、即ち禅関策進なり。歓喜に堪えず謹んで披覧すれば、向(さき)に所謂、昔、慈明和尚、汾陽に在りし日刻苦の事なり。…」
と書かれています。
虫干しで二百も三百もの書物が出されていました。
そこで白隠禅師はお香を焚いて誦経三拝して、自分が生涯励み勤めるべき道を示してもらうと、十方一切の諸仏に祈りを捧げて、一つの本を手にしたのでした。
それが『禅関策進』であります。
その本を披くと、慈明和尚が、寒い夜、皆が夜の坐禅を憚る中を、夜通し坐禅をして眠気が襲ってきたら錐で股を刺して坐ったという話が目に入りました。
それから気を取り直して修行に励むようになったのでした。
馬翁和尚の指導は厳しく、皆はそれに絶えられずに下山してしまいましたが、白隠禅師は止まって修行をしました。
ある時に白隠禅師が井戸端で大根を洗っていた姿を、馬翁和尚はご覧になって、
「鶴や鶴、起つ鳥や勇むのう。」とおっしゃったのでした。
それから白隠禅師は勇猛の大志を奮起して修行されたのです。
そこから奘堂さんは坐禅の話に入ってゆかれました。
私も盤珪フォーラムでお話したことですが、馬祖禅師や臨済禅師は、それまでの坐禅のあり方を否定されたことから始まるのです。
単に心を静めて澄ませようということを否定されました。
奘堂さんは、波を静かにすれば、きれいな珠が現れると説かれていることに触れて、「波がないのがよいのか?」と問題を提起されました。
単に静まりかえっているのがいいのではありません。
坐禅の姿勢にしても型どおりに坐っていればいいというのではありません。
赤ちゃんがお坐りの練習をして坐らせると正しく坐れないという具体例を示してくださいました。
私たちの坐禅もお坐りの練習になっていないかとおっしゃいます。
只腰を立てようとか、心を調えようとかという坐禅では全く届かない世界があるのです。
それを馬祖禅師は、
「本有今有、修道坐禅を仮らず。不修不坐、即ち是れ如来清浄禅なり」という言葉で示されています。
もともと具わっていて今もあるのです。
それは修行し坐禅して獲得するものではありません。
なにも修することもなく、坐って仏になろうとすることもないというのです。
「道は修するを用いず。但だ汚染すること莫れ。何をか汚染と為す。但(も)し生死の心有りて、造作し趣向せば、皆之れ汚染なり。」
仏道は何も修行することは必要なく、ただ汚れに染まらないことだけだというのです。
その汚れとは何かというと、仏を目指そうとか悟りを得ようとか思うのが汚れなのです。
お坐りの練習によって失われたものを、お坐りの練習によって治そうとしても無理なのです。
そこでどうしたらよいか、実習となりました。
蹲踞の姿勢から片膝をついて腰を立てる方法はよくできていると感じました。
今回初めての方法でした。
その姿勢から股の付け根を下ろしてゆくことを何度も繰り返しました。
お坐り練習では駄目だと講義を受けながら、これもお坐り練習になっているのではと思いながらも奘堂さんの熱意に打たれて繰り返していました。
これが決してお坐りの練習になってはならないのです。
一回一回、本来具わっているものを今発揮することを繰り返しているのです。
前を向いて立とうとすることが大事だとも教わりました。
この前を向くというのも大事だと体感しました。
そこで立とうという志が気を充たしてゆくのです。
奘堂さんが最も大切にしているディオニソス像は、その志、気をもっともよく現しているというのです。
奘堂さんの生涯励み勤める道を歩む、そのおすがたに接して大きな力をいただいたのでした。
横田南嶺