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臨済宗大本山 円覚寺

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2025.06.12
今日の言葉

寝る禅

『天台小止観』には食事と睡眠、それに体と呼吸と心を調えることが説かれています。

その中で睡眠については次のように説かれています。

大東出版社の『天台小止観』にある関口真大先生の現代語訳を引用します。

「第二に、睡眠を調えるというのは、眠とはこれ無明が心に覆いかぶさるのであるからこれをほしいままにしてはならない。

もし眠り寝ることが必要度を過ぎて多いときは、それだけ仏法を修習することが廃されるだけでなく、また努力の心も失なわれがちで、しかも心をくらくし善い心を沈没させる。

まさに人生が無常であることを覚り、睡眠をよく調伏して、気分を清白に、心を明るく浄からしめるがよい。

故に、仏は、初夜にも後夜にもまた廃することあることなかれといっている。

睡眠のために人の一生を空しく過ごし、所得無からしめるようなことがあってはならない。

まさに無常の火が種種の世間を焼くことを思い、早く自からを済度することを願い求めて、眠眠しすぎることなからしめるがよい。」

ということであります。

ここではあまり寝過ぎないようにということを戒めています。

眠りを貪るというのもよくありません。

もっともそうかといって過度に睡眠を削ってしまうことも考えものです。

ことに坐禅が習熟していくと、禅定の中で疲れがかなりとれていくので、そんなに長時間寝ることは必要なくなっていきます。

しかし、慣れないうちに無理に睡眠を削ってしまうと、坐禅中に眠くてしかたなくなってしまいます。

よく坐れるように眠ることも大事なのであります。

白隠禅師の『夜船閑話』には、「内観の法」が説かれています。

これは白隠禅師がお若い頃、ご病気になって、それを克服された体験がもとになっています。

その病気の様子というのは、『夜船閑話』には次のように説かれています。

春秋社の『夜船閑話』にある伊豆山格堂先生の現代語訳を参照します。

「その後、日常を反省してみると、動と静の二つの境涯、日常と坐禅が全く離ればなれで調和していない。

進退・去就の動作がきごちなく自由でない。

それで大いに踏ん張って今一度死に切って大悟しなければと、歯をくいしばり両眼を開いたまま坐禅をし寝食を忘れるばかりの修行を始めた。

ところが一ヶ月にもならないのに、心火逆上してのぼせあがり、肺が衰え、両脚は氷雪の中に漬けたように冷え切り、両耳は耳鳴りして渓声を聞いているようである。

肝臓と胆嚢の働きが弱まり、動作がおずおずし、心は疲れ切った状態で、寝ても醒めても種々の幻覚を生じ、両腋下にいつも汗をかき、両眼にはいつも涙がたまる状態であった。

それで遍く名僧を尋ね、広く名医を探し求めて治療を受けたが、百薬寸功なしであった」というのであります。

そこで白幽仙人に出会い内観の法を伝授されたのでした。

白隠禅師二十六歳の頃であります。

その内観の法については次のように書かれています。

「そこで内観法だが、それは次の如きことである。

参禅修行をしている優れた人物が、若し心臓の鼓動が激しくてのぼせ、身心疲労し、肺・心・肝・脾・腎の五臓が調和しない場合には、これを針・灸・薬の三つで治そうとしても、たとい中国の名医華陀・扁鵲・倉公といえども容易に治すことはできないだろう。

自分には仙人の還丹という秘訣がある。

但し中国道教のそれとはちがう。

君達ためしにやって見たらどうか。

雲霧を払って太陽を見るような不思議な効きめがあるだろう。

若し此の秘訣を実践しようと思うなら、しばらく公案(禅問題)工夫の修行をやめ、先ず熟睡してから目をさますのだ。

まだ眠りにつかず目を閉じない時に、長く両足をのばし、強く踏みそろえ、全身に籠もる天地根元の気をへそ下の下腹部、腰と足、足のうら土踏まずに充たしめ、いつも次のように観念するといい。

わがこの気海丹田(へそ下の下腹部)腰・脚・足心(土踏まず)そのまますべて是れ我が本来の面目(本心・本性)である。その面目(顔つき・様子)はいかなる様子をしているか?

我が此の気海丹田は、そのまますべて「唯心の浄土」(浄土は我が心)である。

その浄土にはいかなる荘厳があるか?

我がこの気海丹田はそのまますべて「己身の弥陀」(弥陀はおのれ)である。

その弥陀はいかなる法を説くか?

繰り返し繰り返し常にこのように観念すべきである。

観念の功果がつもると、一身の「元気」がいつの間にか腰・脚・土踏まずの間に充ち足りて、臍下・下腹部がひょうたんのように張って力があること、あたかも蹴鞠に使う皮製の鞠をまだ篠打ちしない時のようであろう。

このようにひとえに観念し続け、五日七日乃至二週間三週間を経過しても、今迄の五臓六腑の「気」の滞り、神経衰弱や肺病等の病気が徹底的に治らなかったら、この白隠の首を切り取ってもよろしい。

ここにおいて皆の者は喜んで礼拝し内密に内観の法を精進実践したが、悉く不思議の効果をあらわした。

功果の遅速は精進の程度によるものの、大半は皆全快した。

各人は内観の奇功を讃美し続けた。」

という風に書かれています。

この方法を自分なりにどうしたら実践しやすいか研究をしてきました。

いろいろ学んだことを取り入れて、今橫になってする禅を研究しています。

修行僧達と共に実践するととても効果があることが分かりました。

これを実習してから坐禅をするととても集中しやすくなるものです。

上半身の緊張をとって下腹から足にかけて充実させる方法であります。

白隠禅師は、『夜船閑話』の中で、

「そもそも生命を養い長寿を保つに必要なことは、先ず身体を鍛えることである。
身体を鍛えるためには、霊妙な生命力たる「神気」を臍下丹田に集中させることが大切である。

「神」が集中すれば「気」というやや物質的な生命力が集まってくる。

気が集まる時にはそっくりそのまま私の真の錬丹が出来上る。

真丹が出来れば身体が堅固になる。

身体が堅固になれば神気が完全になり、神気が完全になれば寿命が長くなる。」

というのであります。

白隠禅師は晩年になって「自分の年は本年七十を越えたが、少しの病もなく、歯が抜け落ちることもなく、眼や耳もますますハッキリし、ともすれば老眼鏡を忘れる位である。

毎月二度の説法今もって怠ることなく、諸方の請待に応じ、三百人五百人の人々の集まりで、或いは五十日、七十日もの間、経やら禅録やらを講本として、雲水僧の所望に従ってやたらに説きまくることおよそ五、六十回に及んだが、遂に一日たりとも午前の講座を休んで、そのため外来の人々が講了後の斎座 (中食)に出ないで散ずるということはなかった。

身心ともに健康で、気力に至っては二、三十歳の時より遥かに勝っている。

これ皆内観の秘法の不思議な効果によることと思う。」

と語っておられます。

禅は日常の生活すべてにあると思っています。

歩いていても歩行禅であるし、立ったままでも立禅でありますし、坐れば坐禅です。

これに橫になってする禅も加えれば、いうことありません。

イス坐禅の次は、橫になる禅、寝る禅を工夫しているところであります。

 
横田南嶺

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