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臨済宗大本山 円覚寺

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2025.06.06
今日の言葉

幸福とは?

岩波文庫の『ブッダのことば』には「こよなき幸せ」という章があります。

「多くの神々と人間とは、幸福を望み、幸せを思っています。最上の幸福を説いてください。」

「諸々の愚者に親しまないで、諸々の賢者に親しみ、尊敬すべき人々を尊敬すること、これがこよなき幸せである。

適当な場所に住み、あらかじめ功徳を積んでいて、みずからは正しい誓願を起していること、これがこよなき幸せである。

深い学識あり、技術を身につけ、身をつつしむことをよく学び、ことばがみごとであること、これがこよなき幸せである。

父母につかえること、妻子を愛し護ること、仕事に秩序あり混乱せぬこと、これがこよな幸せである。

施与と理法にかなった行いと、親族を愛し護ることと、非難を受けない行為、これがこよなき幸せである。

悪をやめ、悪を離れ、飲酒をつつしみ、徳行をゆるがせにしないこと、これがこよなき幸せである。

尊敬と謙遜と満足と感謝と適当な時に教えを聞くこと、これがこよなき幸せである。

耐え忍ぶこと、ことばのやさしいこと、諸々の〈道の人〉に会うこと、適当な時に理法についての教えを聞くこと、これがこよなき幸せである。

修養と、清らかな行いと、聖なる真理を見ること、安らぎ (ニルヴァーナ)を体得すること、これがこよなき幸せである。」

とあります。

この中に、「諸々の〈道の人〉に会うこと、適当な時に理法についての教えを聞くこと、これがこよなき幸せである。」と説かれていますが、夏期講座を務めていると、有り難いことに、いろんな分野の道の人に会うことができます。

初日は禅学の第一人者である小川隆先生に出会い、そして二日目には、幸福学の第一人者である前野隆司先生のお話を聞くことができました。

まさに「適当な時に理法についての教えを聞くこと」はこよなき幸せであります。

前野隆司先生には何度かお目にかかったことがあります。

昨年より武蔵野大学にお移りになっています。

武蔵野大学で、ウエルビーング学部を創設されたのであります。

ご講演でははじめにWHOの健康の定義を紹介してくださいました。

「健康とは、単に病気や病弱でない状態ではなく、肉体的、精神的、社会的福祉が完全に良好な状態であること」です。

身体の良好な状態が健康であり、心の良好な状態が幸福であり、社会的に良好であることが福祉だと教えてくださいました。

そして視野の広い人ほど幸せだと説かれました。

幸福になるには視野を広くすることなのです。

いろんな人にあったり、旅行して見聞を広めたり、新しい考えを取り入れて視野を広くすることは幸せになるのです。

それから協調性、思いやりのある人も幸福であります。

思いやりのない人は幸福度も低いようです。

そして感謝する人は幸福度が高いそうです。

それからやる気のある人が幸せを感じるのであります。

前野先生は多くの人に調査したデータをもとに幸せの四つの因子を提唱されています。

それは、

「やってみよう!」 因子
「ありがとう!」 因子
「なんとかなる!」 因子
「ありのままに!」 因子

です。

「一つめの「やってみよう!」 因子は、「自己実現と成長」の因子です。夢や目標をもって、それを実現しようと成長していくことが幸せをもたらします。」

「二つめの「ありがとう!」因子は、「つながりと感謝」の因子です。人を喜ばせることや愛情に満ちた関係などが幸せをもたらします。」

「三つめの「なんとかなる!」因子は、「前向きと楽観」の因子です。自己肯定感が高くて、いつも楽しく笑顔でいる人は、明らかに幸せな人ですよね。

逆に、自分を卑下する人、悲観的な人、神経質な人は、幸せを感じにくいでしょう。」

「四つめの「ありのままに!」因子は、「独立と自分らしさ」の因子です。他人と比較しないで生きている人は、間違いなく幸せです。」

というのです。

これは前野先生の『幸福学の先生に、聞きづらいことぜんぶ聞く』から引用させてもらいました。

更に「そうでない人は、他人に勝とうという意識が強いあまり、年収とか、社会的地位とか、ブランド品といった「地位財」と呼ばれるものに心を奪われてしまいます。」「地位財が幸福に結びつきにくいことは、研究で証明されています。」

と書かれています。

この四つの因子がそろっていることが大事であって、二番目の「他者との良好な関係性や、感謝の気持ちを持つことで生まれる幸福」という因子だけが強いと、利他という人のためにということばかり強くなってしまい、自己犠牲になってしまうこともあるというのです。

よく整理して説かれていると思いました。

私はその日、前野先生の講義の前に、こんな言葉を紹介しました。

『人生後半、そろそろ仏教にふれよう』 (PHP新書)という佐々木閑先生と古舘伊知郎さんの対談本にある言葉です。

「こうして佐々木先生と輪廻や業について話していると、何十年か前、テレビ朝日でアナウンサーをしていた時代に取材したブラジルの原始部族の人たちのことを思い出します。

七〇人くらいのユニットなのですが、本当に原始的な暮らしをしていて、定住はせずに狩猟採集で移動して生活しているのです。

僕は取材後、酋長に「都会から来た人間からすると、あなた方の幸福の価値観がまだ理解できない。

こちらに来て原始的な暮らしがいいなぁと思う僕は偽善で、それはやがて文明がある都会に帰ると思っているから軽薄なことが言える。
皆さんの幸福観とは何かを教えてほしい」
と聞いてみたのです。

そして何カ国語も通訳を介して戻ってきたのが、「聞いてくれることは嬉しいけれど、我々は、あなたのおっしゃる『幸福』という概念と言葉を持ち合わせていないので、答えることができない」。
その言葉にただただ驚きました。
すごく器の大きい酋長で、いま思うと彼には釈迦の要素が入っているのです。

言葉というのは表裏一体の関係で、幸福があれば不幸せというのも必ずついてくるし、不幸せがあるから幸福を求める。

その部族に幸福がないとしたら、同時に不幸もないんだなって。
いまの時代は不幸に満ちあふれているのに、幸福だけが良くて、不幸はできれば避けたいと思ってみんな苦しんでいますよね。

問い自体がナンセンスということはわかるのですが、幸福になるにはどうしたらいいのでしょうか。」

という言葉です。

控え室でおうかがいすると、世界の多くの民族でももともと幸福という言葉がなかったと教えてくださいました。

いつの頃からか使うようになったのでしょう。

現代の私たちは、もはや狩猟採取の暮らしに戻ることはできません。

幸福という言葉を知り、不幸にはなりたくないと思って暮らしています。

そうなると、やはり幸福に生きるとはどういうことか、学んでおくことは大事であります。

 
横田南嶺

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