分からないまま歩み続ける
夏期講座というには、少々肌寒いと感じる気候でありました。
初日の講師は駒澤大学の小川隆先生であります。
小川先生のご講義はとても人気があるので、雨の日でありましたが、満席でありました。
今回の小川先生は、「禅僧と生死」と題して講演くださいました。
九十分があっという間のご講演でありました。
禅僧と生死という題を選ばれたのは、昨年の九月に早稲田大学エクステンション・センターというところから依頼された講座がご縁だったというのです。
それはサタデーレクチャー「二度とない人生を生きる――禅から学ぶ生き方・死に方」という講座でした。
私の話をなんと恐れ多いことに小川先生が聞き手となってくださったのでした。
その折りに、生と死について話をさせてもらいました。
生と死については誰しも興味のあるものです。
先日麟祥院の講座で偏義副詞というのを習いました。
偏義副詞というのは、二つの意味を持つ言葉が組み合わさって単語を形成する場合、そのうち片方の語の意味のみを強調し、もう一方の語は補助的な役割を果たすものをいうそうです。
『教育勅語』の例を出してくださいました。
「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」という箇所があります。
「緩急」を『広辞苑』で調べても
まず一番に「ゆるやかなことときびしいこと。遅いことと速いこと。」という意味があり、「緩急よろしきを得る」という用例があります。
それから「緩」は語調を整える語として、「急なこと。危急の場合。まさかの場合」という意味があります。
そこに。「一旦緩急あれば」という用例がありました。
「生死」という場合も、これは死を強調しています。
はじめに入矢義高先生の『禅語辞典』にある言葉を紹介してくださいました。
「ユーゴスラヴィアの諺に「我々の生まれ方は一つ、死に方はさまざま」というのがある。
禅は人の死にかた(決着のつけ方)に何か究極絶対の型を規定することは絶対しない。
人さまざまな受けとめ方・決着のつけ方があっていいのである。
禅語というものの持つ独特のふくらみは、まさにそのことを示唆している。」
というのであります。
たしかに死に方はさまざまであります。
そのどれが模範であるとか手本ということはありません。
正解などはないのであります。
むしろ禅ではこれが正しい、これが間違いだという区分を嫌いました。
そうして實に様々な禅僧たちの死を紹介してくださいました。
小川先生の該博な知識を垣間見る思いであります。
ある禅僧は今でいえば生前葬のように生きている間に自分の葬儀をさせました。
そしてその葬儀の終わる頃に、
「明日、雪が晴れたところで、いよいよ参るとしよう」と言いました。
ところが翌日になってみると空は晴れていました。
しかし、突如として、雪が降り出しました。
そしてその雪が上がると、その禅師はお香を焚いて、坐禅したまま亡くなったという話でありました。
一人の僧が病になって、もう一人の僧が看病していました。
病の僧は、だんだん死が近づいてきました。
そしてずっと看病してくれていた僧に一緒にゆこうと言います。
自分には病気もないので一緒にゆくわけにはゆかぬと言いますが、今までずっと一緒にいたのだからと請われてしまいます。
なんとその看病していた僧は、当時師事していた洞山禅師のもとにお暇乞いの挨拶をしました。
洞山禅師は、「すべては、お主しだいだ。道中、よく気をつけてまいるがよい」と言ったのでした。
その僧はもどってきて、病の僧と二人で対坐し、語るべき事をすべて語りおわると、胸の前で合掌し、ひっそりと世を去ったというのであります。
それを聞いた洞山禅師は「この二人は、このように行くことができただけで、もどって来ることを知らなんだ。わしとでは、まだ三生を隔てるほどの差がある」と言ったのでした。
ある禅僧はいまわの際になって、ずいぶんと苦しみもだえました。
弟子の僧が、あれほど意気軒昂に仏祖を罵っておられたほどの方が、どうしてこのような有様にと嘆きます。
それを聞いた禅師は、「お前までもが、そんな料揀であったとは!」というと、さっさと起き上がると坐禅を組み、侍者に香を焚かせ、その煙とともに亡くなったというのです。
お香を焚いて坐禅を組んで死ぬことはじゅうぶん出来るのですが、敢えて苦しみもだえていたということでしょうか。
禅僧は生死を超越したからといって、超然と悟りすますことを嫌う傾向があります。
徳山禅師のお話はそのことをよく表しています。
徳山禅師がご病気のおりに、ある僧が聞きました。
「病に苦しむ老師のほかに〝病まざる者〟が有りますでしょうか」。
徳山禅師は「有る」と答えます。
「では〝病まざる者〟とは如何なるものにございましょう」と聞くと、徳山禅師は「ああっ、イタタタタッ! ああ、イタタタタッ!」と全身で痛がりました。
痛い、苦しいという姿こそ、〝病まざる者〟にほかならないのです。
むしと〝病まざる者〟をはっきり自覚しているからこそ、全身全霊で痛み苦しむこともできるのです。
最後には私の毎日の管長日記から朝比奈宗源老師の言葉を引用してくださいました。
「私どもも仏心の一滴であって、一滴ずつの水をはなれて大海がないように、私どものほかに仏心があるのではありません。私どもの幻のように果敢なく見える生命も、ただちに仏心の永劫不変の大生命なのであります。」
という言葉であります。
仏心の一滴と自覚できていれば、どのような死に方もそれは仏心の中なのであります。
私などは、ここで話を終えるのですが、そのあと最後のお話が心に響きました。
小川先生はそこから更に「死は永遠の歩みのなかの一歩という考え方」をお示し下さいました。
大いなる仏心の中でじっとしているのではなく、歩み続けるのであります。
仏心はただ静止しているのではなく、大いなる歩みでもあるのです。
鈴木大拙先生の死去の一か月前に、米国の知人宛てに書かれた手紙の一部を引用されました。
「ともあれ、一つ申し添えたきことは、われわれ人間の完成は未完成のうちにこそ在る、ということです。
人間の完成は、永遠に自らの未完成を悟ろうとしつづけること、そして未完成を自覚しつづけ、それを完成に至らしめようとしつづけることに在るのです。人生は完全なるものに向かう終わりなき闘いです。」
という言葉であります。
その流れで小川先生は私がかつて紹介したことのある雲巌寺の植木憲道老師の「死に直面して」という言葉を引用されました。
一つ、もっと親切でありたい。
一つ、もっと正直でありたい。
一つ、もっと真面目でありたい。
一つ、もっと寛容でありたい。
死に直面しても死が決して終わりではないのです。
未完のままに永遠に歩み続けるのであります。
知らざる最も親切という禅語を用いて、なにも知らずにいることがもっとも道にかなっていることを示し、分からないまま歩み続けることを説いて、九十分のご講演が終わったのでありました。
構成が素晴らしく、該博な知識から縦横無尽の禅僧たちの逸話があって、とても充たされた思いでありました。
横田南嶺