生と死
古い本です。
昭和十五年の本であります。
その中に「生と死」という一章があります。
そこに次のように書かれています。
生のない處に死はない、しかし生のある處に必ず死がある。人生にとって一番いやなものは死である。
しかし一番神聖なのも死である。
人間は不死だったらいいと思ふが、しかし人間は不死にはつくられていない。
そして人生には死を平気で迎へることが出来る時もあるらしい。
死は帰するが加しといふ言葉がある。
しかし死は大概の場合、招かれざる客である。
必ず死ぬ人間が、死にたくないやうにつくられておる処が不思議である。
しかし人類が今日まで生存し、人口が少しも減ぜず、今後益々増加してゆく傾向のあるのは、人間が死を喜ばないからである。
死がもし我等にとつて何んでもないものだったら、自殺者はどんなにふえるであらう。
又病人は自分の病気をなほすよりは死ぬ方が面倒でないと言ふであらう。
或は不言實行するであらう。
そして人類は今日まで地上に存せず、ずつと過去に於て死滅したであらう。
人間が今日まで生きられたのは、死を恐れる本能が強いからで、今後も人間は生きられるかぎり生きるであらう。
人間は死ぬものである。
しかし死ぬ迄は生きねばならないものである。
換言すると人間は生きられるだけ生きたい間、死にたくないやうにつくられてゐる。
それなら生きられるだけ生きたら、死は怖ろしくなくなるわけだと言ふ人があるかも知れない。
「然り」と自分は言ふであらう。
もしうたがふ人があれば、その人に自分は言ふであらう。「先づ生きられるだけ本当に生きてごらんなさい。
それが出来れば私の言ふことは本当だといふことがわかるでせう。
しかし本当に自分を生かすことをしないで、平気で死ねないと苦情を言っても、それは仕方がない。
大往生したければ、大生命にふれなければならない」
「それなら君は自分を生かし切ったのか。君自身經驗出来ないことを本當らしくしゃべつてゐるのではないか」
「僕はまだ死が怖い人間だ。だからまだ自分を徹底して生かし切ってない人間だ。
しかし自分を生かし切った人間はー過去にさういふ人間はゐた―死を怖れなかった。
ソクラテスなぞその代表的な人と思ふ。
釋迦の死なぞも平和なものであつたらう。
道理はさうなるべきものなのだ」
「原因がなくなれば結果もなくなる。
目的を果せばその欲望はなくなる。
腹がへれば餓を感じるが腹がはつたものは餓を感じることは出来ない。
渇したものは水をのみたがるが水を十分のんだものは渇を覺えない。
肉體の苦痛に悲鳴をあげるものも、その苦痛がなくなればけろりとする。
死の恐怖はいかに強くとも、死を許された時がくれば、恐怖の姿は消える方が当然である。
だから死が怖いのは生に執着があるからで、その執着がなくなる時、死は恐ろしくなくなるのは當然である。」
よく分かる武者小路さんの死生観であります。
『碧巌録』にこんな生と死にまつわる問答があります。
岩波文庫の『現代語訳 碧巌録』にある末木文美士先生の現代語訳を参照します。
本文のみを記します。
「道吾が漸源とともに、ある家に弔問に行った。
漸源は棺を叩いて言った、「生きているか、死んでいるか」。
道吾「生きているとも言わない、死んでいるとも言わない」。
漸源「どうして言わないのですか」。
道吾「言わない、言わない」。
途中まで戻ったとき、
漸源「和尚さま、すぐに私に言って下さい。もし言わないと、和尚さまを打ちますよ」。
道吾「打つならご自由にどうぞ。しかし、言えというなら言わない」。
漸源は打った。
後に道吾が亡くなった。
漸源は石霜のところに行き、先の話を提示した。
石霜「生きているとも言わない、死んでいるとも言わない」。
漸源「どうして言わないのですか」。
石霜「言わない、言わない」。
漸源はただちに悟った。
漸源はある日、鍬を手にして法堂を行ったり来たりした。
石霜「何をしているのか」。
漸源「先師の霊妙な遺骨を捜しています」。
石霜「見渡す限りの大波が天に逆巻く。
どんな先師の霊妙な遺骨を捜そうと言うのか」。
雪竇が著語して言う、「やれ悲しや」。
漸源「力を尽くしてぶつかってみよう」。
太原孚「先師の霊妙な遺骨は今も残っている」。」
というものです。
何が生であり、何が死なのか、その境はどこにあるのか、考えると分からなくなります。
武者小路さんの『蝸牛獨語』には、こんな文章もありました。
「僕は無心を生命の極致と思つてゐる。
そして死は無心の極だと思つてゐる。
それならなぜ死なないのかといふと生きてゐる内は人間として生きる義務があるのだから、それを果さないと何かにすまないと思ふからだ。
だから僕は自分の死を考へる時から神様に言って死にたいと前から思つてゐる。
それは理想的な言葉で、現實では僕はまだ見つともない眞似をするかも知れない。
「僕はもう死んでもいいのですか。ありがたう。今死んでよけれは自分の一生は幸福でした」
つまり自分は死ぬことを許されないから生きてゐるといふ見方がある。
つまり自分はまだこの世でしなければならないことをしないで生かされてゐるといふ考へ方だ。
罰といふ言葉は少し強すぎるがこのさい一寸さういふ言葉をつかつてもいいとも思つてゐる。
僕は生きられることを感謝し、死ぬことを感謝したいと思つてゐるのだ。
僕は親を愛し、自分を生んでくれたことを感謝してゐる。
だから僕は生れてよかつたと思つてゐる。
しかし皆死んでゆくのだ。
そしてそれも悪いこととは思はない、寂しいことではあるが、美しいこととも思ふ。
少くも僕は自分がどうしても生きられない時には、苦痛や、死の恐怖は困るが、死そのものは歓迎したいと思つてゐる。
「もう死んでもいいのですか」」
というのであります。
この言葉が、前管長の足立大進老師の本のタイトルになっています。
老師がこの本を出されたのが、還暦の年でありました。
今ようやく自分がその年齢になって、すこしは理解できるようになってきました。
横田南嶺